国葬の概念を変えたらどうでしょう・・・
➡安倍さんの国葬、誰も来ないってよ!
こういうことも含めて
私は全く興味もない・・・
反対デモなどもあるようだが、
きっと変わらず執り行われる。
国はやると言ったらやる横暴な性質のものだ。
そんなことは
歴史を見れば、ワクチン政策を見れば
一目瞭然・・・
そもそも国・国民・国費という概念も、
事あるごとにこうやって分断させるために
ユダヤなるものが作ったのだから
その罠にはまるのも嫌だという人は、
こう考えたらどうだろうか・・・
国葬を
国葬(こくそう)とは、国家にとって
特別な功労があった人物の死去に際し、
国費で執り行われる葬儀のことである。
と捉えるから腹が立つのであって、
国民が、「安倍なるもの=ユダヤなるもの」を葬り去る
と捉えれば、
新たな時代の到来を予感させる儀式に変わると思う。
集合意識って世界を作るうえで結構大切なので
捉え方を変えて無難に過ごされたらどうでしょうか・・・
それにしても、この期に及んで「死者に泥を塗るな!」と言って
安倍さんを悪く言う人を責める方が見えますが、
それもどうかなって思います。
死ねばすべてがチャラになり
美しくなるっていうのは
それこそ不自然なことでしょう・・・
人は、
生きていた通りに死んでいく・・・
死んだとおりに生きていた・・・
それが原理原則であり、真実だからこそ、
できるだけ懸命に、美しく、汚れなく
生きようとするのではないでしょうか・・・
さあ、こんな理不尽な時代ですが、
今日も一日笑顔で懸命に頑張っていきましょう・・・
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theme : 政治・経済・時事問題
genre : 政治・経済
