【占星術リリス】守・破・離
守…ひたすら教えを守り、学ぶ
破…教えの言葉から抜け出し、真意を会得する
離…型に一切とらわれず、自在の境地に入ること
子育ても
会社の教育でも
独学する時も
教えるものも
教わるものも
「守」だけをバカのように言う人は
本当にわかった境地にはたどり着けないと思う。
リリスは、強制的な「守」に閉じ込められそうになると
強烈な拒絶を起こす。
それは単なる「強制マニュアル」で
ユダヤなるものが私たちを奴隷化するときに
好んで扱う方法だ。
占星術のリリスは、いい意味で使えば
この「守」だけをバカのように言う人を
強烈に拒絶する星だ。
もちろん最初の「守」がダメと言っているわけではない。
「守」という言葉はどちらかというと
原理原則のことのように思える。
誰に対してもフラットに顕現する原理原則だ。
一方、「守る」というのは、私たち俗世間では
○○先生の言うことを守る・・・とか
○○さんは絶対正しい・・・とかいう
序列、ヒエラルキーを生む。
人間の一番ダメなところはそこだ。
この「守」の一番悪いところが
コロナで露見したではないか!
誰かの言うことに従っていれば
自分は責任を取らなくてもいいし、
○○先生がこう言っていたから
みんながこう言っているから、と逃げることができる。
おまけに、依存していればいいからとても楽だ。
しかも、従うという一種「酔いしれる」感覚も生まれるから
抜け出す努力などもっとしなくなる。
「守」は従うことではない。
明治時代、学生が発布されてから150年ほど・・・
世の先生たちはこの「守」の上に胡坐をかいてきた。
先生だから偉い・・・
先生だから守れ・・・
最近は指導者と呼ばれる人が、
この「守」をはき違えていると思わざるを得ない。
「守」とは、自分に従うことではなく、
世界の、宇宙の原理原則を自分を通して伝え続けるだけだ。
そのお役目がたまたま自分になっただけだし、
ときどきその「守」を教えられてる側から逆に気づかされることが多い。
「世の中みな先生だ」
「守」は、仮に先生がいたとしても、
「教え」の原理原則をつかむ過程なのだ。
水は、沸騰させれば水分が飛ぶし、
卵はゆでれば固まる。
大きな視点で言えば、
すべては「いのち基準で考える」・・・
ただそれだけだ。
そういった、この地球上での原理原則を知って
次の「破」に辿り着くのだ。
「真意」がわかれば、
こっからは、本当の旅が始まる・・・
自分がその世界を体感し、体現する側に回るからだ。
守・破・離・・・
「破」や「離」に移行するための「守」であることを
大人たち、親たちは、決して忘れてはいけない。
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theme : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
genre : 心と身体
tag : 守破離