群衆から抜け出ること②
群衆という語は・・・(中略)
意識的な個性が消え失せて、
あらゆる個人の感情や観念が、
同一の方向に向けられるのです。 ル・ボン
個性を消させ、同一の方向へと促すのは
いつの時代も大人、
そうどちらかと言うと年配の人が多い。
戦時中、強制的なモンペや迷彩色の服が嫌だったとか
赤など目立った色のリボンさえつけられなかったとか
かつての軍国主義一色の日本に
怒りを込めて発言していた
かの美輪明宏さんでさえ、
マスクは現代版の手拭い。抵抗感がないのは当然のこと
そう宣われた。
➡美輪明宏が考える、日本人がマスクをきちんとつける理由
現場の子どもたちの声を知らなさすぎる・・・💧
当初は抵抗だらけでしたよ。
何度も鼻出しや顎マスクで抵抗したのですが、
幾度も注意を受けるうちに
もう反抗する気力さえなくしているんです、子どもたちは・・・
それこそ美輪さんが嫌ったあの戦時中の空気・・・
しかも、歴史うんちくを持ち出し、
日本にはそういった被り物に対する歴史が昔からずっとある・・・
江戸時代に広く用いられた「頭巾」です。
頭や顔を包む布製の被り物で、
僧侶や武士、町人らが、防寒、ほこりよけ、
そして人目を避けるために使っていました。
女性たちも外をお忍びで歩くときは、
「御高祖頭巾」という紫の頭巾を被っていました。
あの有名な大泥棒・ねずみ小僧も、手拭いで頬被りをしていますでしょ(笑)。
だそうだ。
私もそういった日本人の奥ゆかしく「隠す美学」は認めますが、
被り物とマスクは全く違う!
美学として隠すもあれば、
正体を知られたくなくて隠す場合もある。
ただ、どちらの場合も
被り物で息苦しくなることはない。
わざわざ呼吸をしずらくして
被り物をさせるのは
拷問の時だけでしょ・・・
(濡らした布や紙を顔に覆う)
そもそも、マスクに「美」などない。
かつて逃亡を試みた黒人奴隷が
罰としてつけられたのがこのマスクです。

「捕らえられた逃亡者は、最も困難で荒々しい仕事をすることを余儀なくされている」と記事は指摘している。彼らは通常、鎖でつながれ、グループの通りを通って街の近所を案内され、そこで荷物を運んだり、通りでゴミを掃除したりします。このタイプの奴隷はとても恐ろしいので、彼らは再び逃げるという希望をすべて失っているが、自殺以外の何も考えていない。彼らは一度に大量の強い酒を飲み込んで自分自身を毒したり、汚れ/土を食べて窒息/窒息させたりします。彼ら自身の死を引き起こすこの方法を奪うために、彼らは彼らの顔に錫の仮面をかぶった。仮面は口の前に非常に細いスリットがあり、鼻の下には呼吸できるようにいくつかの小さな穴があるだけです」
キャプション「Esclave Marron a Rio de Janeiro」(リオデジャネイロの逃亡者/暴走奴隷)
一方手ぬぐいはこちら・・・


➡撫子凛/色々と執筆中 on Twitter
➡撫子凛*歌舞伎ぬり絵なぞり描き発売中 on Twitter
手ぬぐいは、いつでもどこでも自分の意思で外すことができるし、
そもそも強制的ではない。


並べれば、私たちのマスクが
いったいどちらの方を指しているのか
私は一目瞭然の気がいたしますが・・・
挙句の果てに、
たまに、マスクをされていない方とすれ違うことがありますが、
そういう方はいかにも怖そうな顔で、頑固そうな感じの人ですね。
だそうです・・・💦
高齢である美輪さんが
マスクを付けて予防されることを否定はしませんが、
一方的に怖いもの呼ばわりはどうかと思います・・・
長年のマスクによって
子どもたちの情緒的成長、
脳的成長に支障がきたされていることをご存じないのか・・・
(もちろん大人もです)
それにしても、
晩年、どんな考えを持つのかは
つくづく考えさせられる・・・
群衆は・・・放任されていても、
やがて自己の混乱状態に飽きて、
本能的に隷属状態のほうへ赴くのである ル・ボン
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