「在る力」を育てる
肩書、これまでの歴史、持っているお金・・・
外的なものを取った後
残るものは何ですか?
それが、「在る力」です。
存在という力です。
こうやって偉そうに書く私も
これは、とても大切にする問いです。
この在る力は、
赤ん坊時には絶対的に持っているものですが、
そこからは様々なコントロールドラマによって徐々に喪失していきます。
そしてその後は、自ら育てなくてはなりません。
不思議なものです。
失っておいて、育てる・・・
では、どこで育つのか?
どんな人間もオギャーと生まれた時に
親の養護が必要です。
「在る力」を育てるには、その養護が
安全地帯であることが絶対条件です。
そして、不幸にも虐待などで親が安全地帯ではなかった場合、
それに代わるおばあちゃんや近所のおばちゃんとかが
安全地帯だったか・・・
そして、さらに不幸にも、
そういった人たちさえいなかった場合・・・
自分には、安全地帯がなかった、不幸だったと
はっきりと認識すること・・・
そのこと自体が安全地帯となります。
偉そうに聞こえたらお詫びいたします・・・
しかし、
とてもとてもつらいことですが、被害者にならないことが、安全地帯を生み出すのです。
ごまかしのような
スピリチュアルに走ったり
ソウルメイトジプシーになったり
ブロックを外すなどとセミナーを受けたりするのではなく、
本当に心の底からその事実を見つめる・・・
痛すぎて、痛すぎて・・・
本当に辛いですが、そのことでしか、
存在する力は生まれないのです。
僭越で恐縮ですが、
それでも・・・そんな親でも
わたしには親がいた・・・
そう思うことでしか、
この「存在」という力は芽生えないし、
育たないのです。
昨日、ある中学生と話していて
ふと思ったことがあります。
これからの若者は
この存在する力を
「自分で育てる」と意識しないと
ますます弱くなっていくな・・・
ということです。
内観する力です。
それはなぜか?
このコロナ禍で、
人が人に会う時間が圧倒的に減っているからです。
ちょっとした気の合う仲間との会食はもちろん
大学でも、
実習系の授業がなくなり
会社でも、
新人研修がなくなり
宴会がなくなり、
・・・・・
この悪魔のような不気味な新しい生活様式が当たり前になって
一年がたとうとしています。
昨日上げた、自分の中にある
コントロールドラマに気が付くのは
テキストで学べるものではありません。
実地の中で気が付くのです。
今は、その場がどんどんなくなっている・・・
今後この気づきはますます遅くなるでしょう。
人は対話と行動によって己を育てるという側面があるのに
それが奪われてしまっているからです。
「コロナだから・・・」という弁解や言い訳が印籠となり、
私たちの生活と内観の時間を激減させています。
その生活で育った若者がいま社会に出ようとしています。
そして今後、もっともっと、
この新しい生活様式で生まれる今の子供や若者が
いま言った内観が不足していくことは
想像にたやすいと思います。
対話や行動による気づきが圧倒的に不足する・・・
こんな時代、私たち大人は一体
何に気を付けて子供や若者を見守ればいいのか?
その答えの一つは、
「~する」力を促し、育てることです。
コロナだからやめるのではなく
コロナだからこそ勧めるのです。
自分の今の立ち位置を客観的にとらえ
未来に向かって何をすればいいかを考える力。
そして、それを行動に移す力・・・
そこさえ育てば、きっとその子供は、若者は大丈夫・・・
私にはそう思えるのです。
さて、昨日の子どもとの対話・・・
ある先生が、
今日通達したばかりの数十ページのワークを
たった一日の、明日出せと言ったそうです。
ブラック企業でもなかなかない命令です。
きっと通知表付けの〆切に間に合わないのでしょう・・・
まさに、身勝手な大人の事情・・・
もともと提出物ではなかったので
やっていない子も多かったようです。
テスト週間を利用して余裕をもって通達すればいいものを
自分の段取り能力のなさを棚に挙げてこう言ったそうです。
「先生の言うことは聞くものだ!」
はっきり申し上げます。
こんな大人の言うことを聞いていては、
子どもには、何の力も身に付きません。
身につかないばかりか、
反面教師となるか、害にしかなりません。
この先生の、不当に強がる醜さ、謙虚さの欠ける横柄さ、
まさに、脅迫者となって
コントロールドラマを生み出しています。
子どもたちにはどうか、被害者になって
コントロールドラマを演じないことを切に願うばかりです。
せめて、その先生が自分の非を詫びながら通達するのであれば
子どもに謝るという「礼儀」と「潔さ」を学ばせるいい機会でしたのに・・・
内心、自分の失敗で、己の砂上の楼閣のような威厳が
なくなってしまうのを恐れたゆえの、生徒への威嚇でしょうが、
自らの存在力に自信がない人の典型的な言動です。
コロナ禍は、「存在力」のない大人もぼろが出るのです。
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theme : いのちあるものが いのちあるように
genre : 政治・経済
tag : コントロールドラマ
