令和buzz239・・・白紙のホワイトボード①
授業では、まったくと言っていいほど使いません。
主に連絡事項とメッセージに使います。
メッセージというのは、
テスト期間や入試など
その折々に
そっと置いておきたい言葉が出てきたときに
書いて、置いておくのです・・・
特別に質問がなければ、
本当に置いてあるだけです。

私がこの方法をとった元祖と言えば
もう今から30年にもさかのぼります。
とある私立高校で
1年間臨時採用で勤めていました。
その高校は、お世辞にも偏差値が高いとは言えず
日々どこかで重大な生徒指導が行われるような高校でした。
まだ若く未熟だった私ですが、
それでも2年生の担任を任され
日々、文字通り心も体も、丸ごと体当たりで
コミュニケーションを取っていました。
補佐でついていてくださった
7.80代のおじいちゃん先生がハラハラしつつも、
「あなたの思うようにやりなさい」と
私を温かく見守ってくださってことは
今でも感謝しかございません。
当時その高校では、生徒から担任へ
毎日 日記を提出することになっていました。
字数的には、B5かA4サイズの1/2ほどの量です。
50人の生徒から出されるその日の日記を回収し
赤を入れて夕方のHRには返す・・・
ほとんどの先生が
ハンコをポン!と押すだけで返却する中、
私には、苦い思い出からくるこだわりがありましたから
必ず数行の赤を書き入れて返しました。
また機会があればお話いたしますが、
その苦い経験から、生徒たちが書いてくるものに
ハンコひとつで返す気には毛頭なれなかったのです。
ただ、一日の空時間は限られていますので
一つ一つ読んで、赤を入れて返していく作業は
自分で言うのもおこがましいですが
本当に大変だったと思います。
そんな日々の中、ある生徒が家出をして
それっきり家に戻らなかった事件が起きました。
家から何十キロも離れた
おばさんの家に行ってしまっていたのです・・・
その生徒は、スポーツ推薦で入学したぐらいで
たしか国体の強化選手だったか、選ばれていたかで
その点でかなり優れていましたが、
家が複雑だったため、
とうとう嫌になって家出したのだと思います。
深夜に、私の家の電話が鳴りました。
その生徒からのSOSだったのです。
当時は、スマホもネットもありませんので
すべて固定電話でのやり取りです。
私はとるものもとりあえず
その数十キロ離れたおばさんの家まで
車で迎えに行きましたが、
本人は頑として出てきません。
仕方なくそばにあった公衆電話から
おばさんの家に電話して、
夜通し 細々といろいろな話をしました・・・
でも、帰らない・・・
その夜の その子の答えでした。
朝も白々と明けるころ
仕方なく私はそのまま学校に行き
普通にHRをし、授業をするしかありませんでした。
その子の席がぽつんと空いています。
思わぬ問わず語りとなりました・・・
ちょっと長くなりそうですので
明日もこの続きを書きたいと思います・・・
つづく・・・
tag : 言葉
