令和buzz179・・・雨と蒸気と感情と
わたしは雨が嫌いではありません。
むしろ今日のように穏やかな雨は好きかもしれません。
雨は粒です。
この世で粒状のものは「現実」といいます。
ですから雨は、この世に降りかかる現実と同じです。
その現実に対して沸き起こる感情は、蒸気です。
雨粒が集まり
川に流れ
海にたどり着き
再び蒸気になって
天に帰る・・・
この世でも、
蒸気にあたり天に帰るのが感情です。
日々起きる出来事に
どういった感情を天にお返しするのか・・・
雨は雨に過ぎないし
善でもなければ悪でもない・・・
その雨に対して
良いとか悪いとか
識別をするのが人間の癖・・・
天気に対して
動物はここまで感情を持たないでしょう・・・
感情を瞬間瞬間
天にお返しするのが人間・・・
だから人間は霊長というのでしょうか・・・
その感情を乗せた
「心という乗り物」をうまく乗りこなせば
意識が広がったことになります。
「~のせいで」が
「~のおかげ」で
にアップデートするのも
その現象の一部です。
➡「~のせいで」と「~のおかげで」(1)
➡「~のせいで」と「~のおかげで」(2)
ですから何気ない「雨」という現象に
私たちがどういった感情を選択するのか・・・
ハートという乗り物に
何を載せて宇宙に返すのか・・・
雨の循環、
水の循環は、
私たちの感情の循環を
私たちにわかるように
宇宙がモデル化してくれているのです。
この世には
こういう縮小版の拡大版や
拡大版の縮小版が
たくさんあります。
それが、私たちの日常なのです。
昨日はご相談で二つの涙に出会いました。
わたしにできることは
「魂の場」で心を行き交わせることしかできません。
涙がなぜ心の浄化に有効か・・・
それは、肉体の雨だからです。
その雨に対して
どんな感情を心に載せて
宇宙にお返しするのか・・・
「~のせいで」になるのか
「~のおかげ」でになるのか・・・
佐治晴夫さんによれば
「今降っている雨には、80年前に流した涙が含まれている」
➡80年前の涙・・・

そういわれています。
今から80年前の1940年は
日中戦争の影響で
日本が東京オリンピックを返上した年です。
また、世界中で戦争の色が濃くなってきたころです。
悔しい涙・・・
大切な人を失った涙・・・
いくつもの涙が流されたことでしょう・・・
今年、その80年後の2020年も
東京オリンピックは延期・・・
そして世界中のコロナ禍・・・
すでに50万人以上の方がなくなっています。
どこか似ている時代です。
でも、同じにしないという選択をするのもわれわれです。
ちなみに・・・
祖父母、父母からしか聞いていないこの時代ですが
「感情」が伝わるのはなぜか?
ある老舗で、秘伝のみそだれが
何百年と受け継がれているように
感情のみそだれが
私たちの今の感情と合わさって
意識のステージごとで、共有したり、
進化したり、退化したりするからです。
ここでも、人類という単位で
「~のせいで」と「~のおかげ」でに分かれます。
わたしたちがこの時代で
受け継いだ感情を進化させるかどうかなのです。
あの戦争時の同調圧力・・・
同じことをしてませんか?
80年前の雨も涙も
そして、今の雨も涙も
粒子のレベルでさえ混在するのですから
波動のレベルならなおのことです。
だからいまも、その同調圧力の正体を
見抜く人と見抜けない人が混在しています。
今という時空に
100%新しいということはないし、
80年前に比べ、全く同じものもないのです。
めちゃくちゃ新しいものがすぐ横を走っているかと思えば、
こんな古いものに躓くのかと苦笑いするときもあるのです。
これが本当だとすると、
ふっと沸いた素晴らしいアイデアも
芸術のありとあらゆる作品も
だれのものという感情の境目は
誰も付けられないし
もちろん所有もないはずです。
そういう意味では、
「著作権」というものの境目が
わたしにはわかりません。
この世の人類のルールとして
機能させたいのか、させたくないのか・・・
これも感情の選択です。
させたい人はさせたらいいし
させたくない人はさせなければいい・・・
そういうことだと思います。
今日は全国的に
一日雨模様・・・
80年前の感情とのコラボを
一日 楽しみましょうか・・・
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