令和buzz30・・・「幸せになってもいいですか?」
「私は幸せになってもいいのでしょうか?」
みなさんの周りにも
こうやって相談を持ち掛けてくる人がいるかもしれない。
しかしどうだろう・・・
この言葉を聞いて
「いいにきまってるじゃない」と通り一遍の答えを返すも
どこか違和感を覚えはしないだろうか・・・
それは、その人の悩みの核心がごまかされているからだ。
では、本当の悩み(いや希望)は何だろう。
それは、「わたしは、悩みたい」だ。
もうひとつある・・・
そもそも、
自分にも相手(周り)にも誠実ではないために
罪悪感があるからだ・・・
その罪悪感から逃げたいし、
それを見て見ぬふりをしたいために、
かき消す言葉が「幸せになってのいいでしょうか?」なのだ。
日頃から、言っていることとやっていることを合致させている人は
いちいち人には聞かない。
だって、十分幸せだからだ。
特別なことが起きて幸せなのではない。
日常全てが幸せなのだ。
有難い、のだ・・・
そして幸せはなるものではなく、
幸せと思えばすぐに幸せだということも知っている・・・
幸せが足元にたくさんあることを知っているからだ・・・
「吾、唯 足るを知る」だ。
そして、「わたしは、幸せになってもいいでしょうか?」と
一見謙虚そうに見えるこの人は
宇宙から見れば実に傲慢な人だ。
なぜなら、自分は不幸だ、と言っているからだ。
不幸の数を数えるのがとても上手なのに、
自分の足元にあるたくさんの幸せを数えようともしない。
どれだけの感謝や幸せがあっても
決して満足しない人たちだからだ。
こんなことを言うと、
また「3年間ずっと恨んでいました事件」のようになるのだが
でもそうだから仕方がない・・・
人の中には、「苦しんでいます」をネタにして
人に寄り掛かることを正当化したり、
気にかけてもらおうとする人がいるのだ。
寄りかかりたい、
もう自分では考えたくない自分がいるので
「悩みがある」自分でなくてゃならないからだ。
「幸せになってもいいか」と尋ねるその人は、
実は幸せになっては一番不安なのだ。
だから「いいじゃない」と言ってあげても
安心するどころか、
またまた悩みを列挙しながら打ち明け始める。
もうイタチごっこだ・・・
自分で考えることをしないで
精一杯生きると腹をくくることをしないので
「人に幸せになってもいいか?」と言いつつ
わたしには不幸が必要だと実はわかっている人だ。
日頃悩み事相談になれていない人は
なかなか厄介だ・・・
そういう人は、すぐにわかる・・・
留守電に入っていたり
ラインが送られてきたりすると
思わずとっさにそれを開けたくなくなるからだ。
つまり避けたくなる・・・
(避けたら避けたで、また不幸のネタが増え
その人は連鎖を演出し始める。)
なぜかと言えばそれは「エネルギーバンパイア」だからだ。
話を聞けば聞くほどめんどくさくなり、
疲れてしまうからだ・・・
あ、わたし、そのエネルギーバンパイアかもと思った人は
「じゃあ、そうならないためにはどうすればいいですか?」また、尋ねる。
一応、教えいたしますが、
ご自身が変わらない限りなかなか難しいと思います。
①「幸せになってもいいですか」と人に言うことをやめる
②深い自問自答
③言っていることとやっていることのズレに気づく
④それを利用している心の中の狡さを認める
(ちなみに狡さです、弱さではありません)
⑤「~のせいで」を「~おかげで」にかえる
(~の中には、あなたの言う「不幸」を入れてみる)
⑥①~⑤ができなければ、何度も①に戻りましょう
ということで、今日はおしまい・・・
歯衣なし宣言200131

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theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
