令和buzz15・・・10代でしておく大切なこと②
「自分のからだを移動させる」
インターネットの時代です。
SNSの時代です。
VRの時代です。
情報や体験(もどき)が、
移動せず、無料ですぐに手に入ります。
しかし,
だからこそ
自ら移動して五感を使って体感することが大切なのです。
私たち、若いころの大半を昭和時代で過ごした世代は、
コンピューターゲームをするのにも、からだを動かして、
ゲームセンターや喫茶店に行かねばなりませんでした。
(スペースインベーダー1978年)
そして行けば、そこにやはり人がいます。
順番を気にしたり、店の人に注文しながら
ゲームをしました。
ゲーム&ウオッチが生まれたのが1980年(昭和50年)・・・
ファミコンが生まれたのは1983年(昭和53年)・・・
今の40歳から37歳以下の人は、生まれたときから
家にゲーム機があった可能性がある世代です。
自分のからだを動かさなくとも
家にゲーム機があれば、
誰に気兼ねなくいつまでもゲームを楽しみました。
ゲームの功罪はここではテーマでないので述べませんが、
とにかく自分のからだを移動させ、
わざわざ出向かなくとも
自分でカスタマイズした娯楽を
自分の家でセッティングできるようになったのです。
長いゲームの歴史の中で
それは画期的なことであったと同時に、
子どもたちのからだと五感の成長に
大きな変化をもたらした時代でもあります。
つまり、五感が育つ場所に行く時間が
圧倒的に減った時代の始まりです。
人間の産業の進化は、
足から腰(第一次産業)
手(第二次産業)
そして、頭(第三次産業)
そうやって体の下から発展してきていますが、
子ども時代の遊びも同様に、
とうとう「頭」の時代が来たのです。
子どもの頃の遊びが、
足腰から頭脳へと移行したのです。
いまでは、せっかく目の前に自然があるにもかかわらず、
また人との交流があるにもかかわらず
ポータブルなゲーム機を手にして
小さな画面でせわしなく手を動かす幼児の姿が普通になりました。
小学校、中学校になればそれが携帯になるだけです。
それにしても不思議です。
今では、eスポーツと言って
大ホールに大観衆が集い、目の前で対戦ゲームを披露され
人と感動を分かち合うスタイルが確立され始めているのは
からだの真理にかなった「反動」といえるでしょう・・・
人にかかわりたい・・・
感動をともに分かち合いたい・・・
人のからだは、こころの欲求に実に素直です。
体感とは、「からだ」です。
「血」です。「肉体」です。
情報技術革新のお陰で
情報は、あらゆるところで活用、
保存できるようになりました。
しかし、実は
私たちのからだの細胞も
大切な記憶装置です。
細胞と細胞内を流れる水が
体感した情報をストックしてくれています。
自らのからだを移動させ、体感したものは、
さらに体内の過去の人類の記憶と掛け合わされて
インターネット上の情報量より
遥かに膨大で貴重なものを蓄えることになります。
それには一切に費用も、副作用もありません。
やがて、それは自分オリジナルの内的言語となり
思考となり、哲学となります。
手足腰を動かしてえた知恵が、
次の体験で無駄なくフィードバックされ、
経験知という「智慧」になっていくのです。
経験豊かな老人や何百年もの職人技が
私たちを唸らせるのはそういった理由があるからです。
ただ、体験知や体感知は、
人によっては年を取るとかえって
新しい価値観が入ることを阻害することがありますが、
若い十代は、圧倒的にこの体験体感が必要です。
机上の情報ではなく
からだを移動させ、わざわざそこへ行く経験が
様々な見方ができる心の柔軟性と
自己肯定感をもたらすのです。
買い物でさえもネットでできる時代に
わざわざお使いに行く経験が多い子供と
そうでない子供を見ていて思ったことがあります。
どうやら、移動&経験量と自信は比例するようです。
何も為さぬ者は、何者にもなれない。
ですから、若い時は3つのH・・・
はら(からだ)、ハート、手・・・
これをフルに生かしたあそびをいっぱいしてください。
さあ、10代の皆さん、
自分の中の土を耕すつもりで、
自分の体をどんどん移動させましょう。
いろいろなところへ行き
いろいろな人と出会い、
自分の中にあるこころの種を大きく育てましょう。
室内でのゲームも楽しいかもしれませんが、
それはあなたのからだを退化させ
語彙力を衰退させ
強いては、「感動」を奪っていきます。
10代でしておく大切なこと・・・その②
「自分のからだを移動させる」
歯衣なし宣言200116

theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
