樹下石上174・・・会釈の効用
まず、きちんと菓子折り等を持って足を運び
長年の、また日頃からの感謝をフォーマルに伝える方法・・・
次に挨拶・・・おはよう、こんばんはなど
一日の時間に合わせてきちんと挨拶したり、
その都度のありがとう、ごめんなさいなどの意思表示・・・
最後に、会釈・・・
特別に言葉はないが、笑顔でこうべを垂れる・・・
言葉を発するまでもない時、
出会ったのが二度目の時、
言葉を発するにふさわしくない場の時、
ATMなど、自分のために後ろで待つことになった人へのお詫び・・・
狭い歩道で、互いに道を譲りあったとき・・・
そういったときの挨拶だ・・・
上から順に、重➡軽とウエイトは変わる。
どちらにしても挨拶には、
折り目節目、落としどころを示すサイン、
いったんこれで、この時、この事象は終わり・・・
そういった意味合いがある。
つまり、挨拶によって、フェアーなおかげ様が戻り、
両者の心の負荷にノーサイドが訪れる合図が「挨拶」と言える。
で、最近思う・・・
人間界で、会釈が減ったなと・・・
何かの拍子、例えば、車で歩行者を優先したとき、
とくに、横断歩道で渡る人を優先したとき・・・
ああ、会釈が減ったなと・・・
なにも、会釈をしなくてけしからん!と
恩を着せるつもりは全くない。
ただ、
会釈一つでその場が明るくすがすがしいものに変わるという
体感をしている人が減ったということだ・・・
運転をしている人、
待っていた人、
譲ってくれた人、
そういった人に気づく力がなくなったのだ・・・
これは間違いなく、いつのまにか大人が気付けなくなったのだ。
子どもたちは言った通りにはならない・・・
やった通りになる・・・
大人が気付いていることは
子どももいずれ気づくようになる・・・
子どもがしないということは、
そういった無形のセンサーを
先輩である大人たちがなくしつつあるということだ・・・
譲ってくれた人への会釈・・・
待ってくれていた人への会釈・・・
そういった人々に気づき、
会釈の気持ちよさを体現できる大人であり続けたい・・・
銀行巡りの朝のひと時でしたが、
つくづくそう感じました。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
tag : 会釈
