樹下石上155・・・田毎の月あかり
仏教徒の多い日本では、ピント来ないかもしれないが、
聖餐式では、今年亡くなられた方はもちろん、
これまでに亡くなった方、全員を偲んで祈りを捧げられる。
仏教が、お寺毎、お坊さん毎、家族毎・・・で進められるのに対し、
キリスト教は、神、イエス・キリストという絶対的な存在の前に
我々(神の民)は、皆同じ立場ということか・・・
しかも、特別にそのためというよりは、
いつもの礼拝のあとに、聖餐式が数十分付け加えられるだけだ。
白黒写真も混ざる遺影・・・
これまで、亡くなった方々(20名ほど)の写真を飾るが、
遺族が必ず集まらなければならないこともないし、
特別多くの費用がいるわけでもなく、
いつものように、淡々と粛々と進められる・・・
そんな慣例なので、
母は、私に来てほしいとは強く言わなかったが、
今年度、牧師さんが変わられたということで、
何となく願いはわかったので、礼拝に参加した。
洗礼を受けていない私でも、
その場は暖かく、疎外感などは微塵も感じない・・・
教会というところは、本当に不思議なものだ・・・
仏教、キリスト教・・・
どちらがいいということではなく
私には、性に合うというだけだ。
さて、礼拝を終え、いつものように昼食・・・
毎回、ネットで行き当たりばったりで目的地に向かう・・・
今回は「田毎」という、うどん・そばのお店だ。
→田毎
田毎とは、春になって田植えの季節になると
棚田に張った水の水面に月が映る様子を表し、
信州にある月の名所らしい。
田んぼ毎の月→田毎の月 と転じた。
平安時代の頃からこの信州の姨捨は
観月の名所として知られ、万葉集にも詠まれた場所・・・

→姨捨の棚田 「田毎の月」が見れる季節ですより
江戸時代、開墾が進み、
松尾芭蕉や小林一茶など多くの文人墨客が訪れ、
歌句の題材にもなったそうだ。
田んぼ毎に浮かぶ月・・・
さぞ美しいことでしょう・・・
どんな小さな田んぼにも
それぞれ月の優しい光が映し出される・・・
キリスト教的に言えば、
神の光がそれぞれの心に分け与えられる・・・
そんな感じでしょうか・・・
お陰さまで、母の胸のしこりは、
なんと少しずつ小さくなっています。
ただ、千島学説的に想像すれば
古いしこりが、白血球や赤血球になって体外に出ているためか
少し貧血気味の数値が出ている。
貧血の自覚症状はないが、
今年の春先、少し息切れがあった・・・
町医者に鉄分注射を勧められ
週2で通っているらしい・・・
息切れもなくなって、
洋服の直しの仕事も
マイペースに受けているらしい・・・
ただ、肝臓への負担を考えると
そろそろやめてもいいと思うが、
母が元気になるわ・・・と言ってるので
無理にはとめられない(苦笑)
まあ、様子見となろう・・・
牡蠣入り味噌煮込みを完食しているので、
健康寿命を今も更新中だ・・・
本当にありがたいことだ・・・
信仰と仕事があればいい・・・
そう母はいう・・・
田毎の月あかりが、母のもとにも届いているようだ・・・
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体