下り参道

「唐松神社」

表向きの解説では、
秋田県大仙市協和にある神社である。
女性の生涯を守る「女一代守神」であり、
縁結び、子宝、安産の神として「境の唐松さま」
とも呼ばれ親しまれている。
と、なっている。
「女一代守神」に惹かれたわけではない(笑)
ここは、物部の故郷だからだ。
私は自分を物部氏と思っている。
私の出身地、尾張には
尾張物部氏が集落をつくっていた。
ここでは詳しい話はよすが、
とにかく物部の故郷であるこの神社を
外すわけにはいかない。


物部系の神社は、拝殿までの参道が
下り坂であることが多い。
群馬県の貫前神社もそうでした。
➡東経139度の旅
下り参道を通るといつも感じること
「参道」=「産道」だなと
つまり、もう一度生まれ還るために
一度母の胎内にもどる感じがするということです。
ですからお参り(お真理)が終わって
拝殿に背を向けて帰る時はのぼっていく・・・
つまり、もう一度うまれる・・・
そういう感じがするのです。
そして、唐松山天日宮は全国的に見ても珍しい社です。
社の周りをぐるりと堀がめぐらされていて
水路が築かれています。
悠々と鯉も泳いでいます。

「物部家邸宅の庭園内に位置する
物部家ゆかりの神を祭る神社」
と表向きはなっています。
ですからまるで庭園風になっていますが、
社の中で火を灯し、祈りをささげるとするならば
火=か
水=み
となるんでしょうか・・・
そんなことを思いながら
この不思議なお社を参拝させていただきました。
古代から存在する神社のご神体のほとんどは
山や磐、川、海である。
つまり自然崇拝だ。

(唐松山天日宮から唐松神社を望む)
また、明治以前の社は、修験道と共存し、
ほとんどが神仏習合で成り立っていた。
この唐松神社も社の後ろ、田んぼの奥には
唐松山元宮がある。
日本の寺社の神々の名前が大きく書き換えられた歴史が二度ある。
はじめは、持統天皇の時から平安初期、
もう一回は明治政府の神仏分離令・・・
本当になんてことをしてくれたのかと思う。
まるで千と千尋の神隠しだ。
とくに、明治政府の最大の罪は、
寺社という所有者不在の風土的財産を、勝手に
国家のものとし、明治天皇を君主とし、各寺社、その氏子を部下とし、
国民を富国強兵へと束ねるための道具として
神を、神社を利用したことだ。
国家神道・・・
それは、現在では、金と人事権を握られ
憲法改正への情報誘導、巨大集金システムとして
利用され続けている・・・
私は個人として、古来の魂を感じるものとして、
強くこれに抵抗をする。
社ではなく、自然へ還れ・・・
個人も国家も、そうあってほしい。

ちなみにここで引いたおみくじ・・・
私もぴよさんもなんとそろって「凶」・・・(笑)
いやはやめでたい!・・・
こっからは2人とも上がるしかないようです(笑)
