樹下石上 87・・・自分で決められるという尊厳
その手より大きなコップをつかもうとする・・・
小学生の子が、
自分には合わないと思った習い事をやめる・・・
中学生の子が、週5日も塾に行くことが嫌になり
自分に合ったゆったりとした塾に変わろうとする・・・
小さかった子供が大きくなる時に、
こころの自由と程よい規律、
そして、十分な選択と結果の受け止め・・・
何年もかけて繰り返す選択と結果が
たとえ、それに一般的な良い悪いがあったとしても
自分の立てた旗をたった一人でも理解してくれる人がいれば
人はきっと生きてゆける生き物なのです。
だから、
わたしたち人間にできるささやかなことは
その人が立てた旗を
よかったね、
がんばったね、
これからもきっと大丈夫・・・
そういってあげることなのだと思います。
つまり、世界的に有史以来、
人類は奴隷の解放奴隷という
すばしい偉業を成し遂げたにもかかわず、
新たな精神的奴隷制を作り出している気がします。
時にはお金を使って、
時には仕事という呪縛を使って
時には、家族の役割や
性別という社会通念によって
一日24時間、一生80年を
自分でplanして、チャレンジするという自由を
いったい誰が奪っているのか・・・
「始めたからには最後までやり抜きなさい」
昔はよくいわれた言葉でした。
しかし本当にそうでしょうか・・・
始める自由があれば
やめる自由がセットでなくてはいけません。
良い社員をやめる
良い父親、母親をやめる
良い嫁をやめる
良い子供をやめる
仮面をかぶることをやめる・・・
その やめる自由がなければ、
それはかつての奴隷制と何ら変わりないのではないでしょうか・・・
選択できる尊厳・・・
拒絶できる尊厳・・・
自分にも、他者にもそれを認めなくなったとき
親子であろうが、友達同士であろうが
さほど親しくない間柄であろうが、
人類の進化はなくなっていくんだと思います。
個人は社会のためにあるのではなく
社会が個人のためにあるのです。
この順番を人類は絶対に間違えてはいけない・・・
基本、人間は、遊牧の民でいいんです。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
tag : 始める自由とやめる自由
