春、春分のころ⑮・・・「令和」の深意(3)
外国政府に英語で説明する際、
「Beautiful Harmony=美しい調和」という趣旨だと伝えるよう
在外公館に指示したらしい・・・
➡令和は「Beautiful Harmony」外務省が英語の趣旨説明
おお・・・美しい!
いまだ、ネットやSNSでは賛否両論
飛び交わせる方もいる・・・
平成のときは、天皇崩御での改元だったため自粛ムードが濃かったが、
今回は、ネットやメディアの進化でその喧々諤々も広まるのがはやい。
どちらがいいと言うわけではないが、
時代が違うとこうも変わってくるのかと興味深い。
たとえば、こんな方もいる。
ある大学の教授が
「僕はまだ(元号を)選べる側の立場に、行ける可能性を持っている人間なんです。
このままここで令和の悪口を言ったらたぶん、その道から外れるんですよ…。」
と前置き(言い訳)しつつ
「令の字を漢和辞典で引くと、最初にいい意味は出てこない」
とTVで発言すると、すぐさまそれがTwitterで流れる。
それについてのコメントが、何十も付く・・・
すべてがそういうわけではないが、
同調コメントが圧倒的に多くなったりして結局偏っていく・・・
そして、人は見たいものしか見なくなり、
聞きたくないものは排除していく・・・
ものすごい勢いで、同調と排除が積み重なっていく。
どこか恐ろしく、不気味でもある。
この教授の意見のごもっともだ。
現にわたしも「令和」と聞いた瞬間はそうだった。
が、ふと思った。
「字」の良し悪しは、出てくる意味の順番で決まるのだろうか・・・と
(現代使われている意味で、頻度が多いものが最初に書かれやすいのでは・・・)
そういう素朴な疑問を持った。
この時代に、あの白川静翁がいらっしゃったらなんとおっしゃったのか・・・
「令」を「字統」でひくと、まず初めにこう出てくる・・・

「礼冠を着け、跪(ひざまず)いて神意を聞く人の形」
「古く令の意と、またその字の形のままで命の字に用いた」
つづいて、
「人を集めて五瑞(祝い事?)の節を頒(わか)ち、その政令を発する意」
「礼帽を着けて、謹み跪いて神意を聞く神官の形」
この説明の通り、令に口をつければ、「命」になる。
「令」=「命」なのだ。
「任命」など、「令」に近い使われ方だ。
「命」となると、「命令」より「いのち」の意味合いが日常的に強くなる。
このように調べる辞書によっては
「令」を決して悪い意味から始めない場合もある。
そして、教授の言う意味合いは、やっと最後に出てくる。
「また命令の意より官長の名や使役の義となり・・・」
むしろこの辞書によれば、最後の方になるものもある。
調べる辞書によってこんなに違うことを
声高に言う必要はないようにも思う。
ちなみに、SNSではこんなものも出ていた。
いろいろ調べてみたが、裏が取れなかったので申し訳ないが、
ヘブライ語「ふるまい」
— ผักชี coriander 香菜 (@NinjaGeisha) 2019年4月1日
REIWAはヘブライ語で「ふるまい」・・・
字統の「令」が「礼冠をつけ、跪(ひざまず)いて神意を聞く人の形」であることから
みんなに喜びを分かち合うようにご馳走するという意味合いよりは、
「ふるまい」=「立ち居振る舞い」「礼節」の方がしっくりか・・・
バベルの塔の逸話のように
もともと人間がひとつの言語しか持っていないとするなら
「音」すなわち意味となり、共通の意味、要素が残っていても不思議ではない。
全ての地は、同じ言葉と同じ言語を用いていた。東の方から移動した人々は、シンアル[4]の地の平原に至り、そこに住みついた。そして、「さあ、煉瓦を作ろう。火で焼こう」と言い合った。彼らは石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりにアスファルトを用いた。そして、言った、「さあ、我々の街と塔を作ろう。塔の先が天に届くほどの。あらゆる地に散って、消え去ることのないように、我々の為に名をあげよう」。主は、人の子らが作ろうとしていた街と塔とを見ようとしてお下りになり、そして仰せられた、「なるほど、彼らは一つの民で、同じ言葉を話している。この業は彼らの行いの始まりだが、おそらくこのこともやり遂げられないこともあるまい。それなら、我々は下って、彼らの言葉を乱してやろう。彼らが互いに相手の言葉を理解できなくなるように」。主はそこから全ての地に人を散らされたので。彼らは街づくりを取りやめた。その為に、この街はバベルと名付けられた。主がそこで、全地の言葉を乱し、そこから人を全地に散らされたからである。
— 「創世記」11章1-9節
この逸話は、まるで今の人間世界のようだ。
「互いに相手の言葉を理解できなくなるように・・・」
いまのわたしたちは、便利になったネット、SNSのために
かえって不寛容になってやしないか・・・
令和が生まれて4日目・・・
そろそろ、生まれた言葉への礼節とふるまいを
素直に取り戻した方がいいと思う。
この世が、この日本が
バベルにならぬように・・・
今回は、候補だった残りの元号も公表してしまったせいもあるだろうが、
あまりにも長引くのはいかがなものかと思う。
例えるなら
生まれた子供に両親が心を込めて付けた名前を
おじいちゃんおばあちゃんや、おじさんおばさんが、
はたまた隣近所のおばさんまでが
いつまでもケチと文句を言っているような悲しさを覚える。
これは性差の偏見ではないことを前提に付け加えるが、
この喧々諤々が、男性の方に多い気がするのは気のせいだろうか・・・
女性は、太古の昔から、宿ったいのちをそれこそ体をはって育てる。
時には命懸けだ。文字通り、トツキトオカ・・・
そして、生まれいずるいのちを覚悟を決めて育てる・・・
そういうDNAが組み込まれているためか
いつまでも喧々諤々「いのち」に対して議論はしない。
そういう意味で、新しく生まれた元号に対して
すぐに、覚悟を決めて育て愛でることができるのは、女性の方かもしれない。
(もちろん男性も多くいらっしゃることをきちんと付記しておく)
さて、昨日の続き・・・
「れ」・・・44
「い」・・・5
「わ」・・・46
数霊的には、1・2・3 は「幽」の世界・・・
4 は「幽」から「顕」の世界・・・
5 は「結び」・・・
そして、6 は「調和」の世界・・・
「令和」は、44➡5➡46と連続のエネルギーを発します・・・
4を繰り返しながら4→5→6と流れる。

今日はそのことをお話しましょう。
魔法陣では、4-5-6でビンゴ!
一直線に並びます。
4は易では「巽」☴=思い 五行では木 風
5の「吾」をとおって
6は「乾」☰=排出 五行では金 天
「巽」は、二陽の下に陰が入り込んでいる象。
風が陽を吹き飛ばす卦です。
出入りが激しく、不安定なさまを顕します。
それが、「吾」を通って「乾」に至ります。
「乾」は全部陽の卦で、天と陽が万物を生み出す卦。
強く、高貴で、堅く、円く、活動的です。
未曽有の災害が多かった平成を乗り越えて
明るく強い時代になる・・・そんな感じでしょうか・・・
4の不安定を繰り返しながら
着実に 4➡5➡6 と流れますので
縦横、四方八方、力強く 自己増幅していきます。
しかも大切なことは、「吾」を通すことです・・・
つまり、わたしたちの言動、立ち居振る舞いによって
何を増幅させるかがかかっているということです。
令和、れいわ、REIWAが
「礼節」「立ち居振る舞い」を意味するのも興味深いです。
また、「令和」は数霊「95」・・・9➕5=「14」
今回の元号が248番目・・・「14」
→新元号、幸多かれ!
偶然ではありません。
よい時代になるか、悪い時代になるかは「吾」次第・・・
14のメッセージを思い出してください。
不変なるものにするか、相克なるか。
束ねるか、離反するか。
どの「明日」に持っていくのかはすべて「ここ」にあり
「永遠」に輝くか、「悪意」に堕ちるのかさえも。
そういう意味でも、「令和」を言祝ぎ
おのれの襟を正す時代なのでしょう・・・
人のせいではない、「吾」なのです。
また、4➡5➡6を五行で見ると
「木」➡「金」です。
木は金属で出来た斧や鋸で切り倒されます。
悪しきものは、切り倒されていいのですが、
良きものまで倒されてはいけません。
季節は「春」➡「秋」ですので、良き収穫を迎えるようにするには
繰り返しますが、中心の「吾々」の言動がかなめとなるのです。
決してあってはなりませんが、「金」は戦争をも意味しますから・・・
以上、ワンペーパーで書いた一部をざっと見てまいりましたが、
奇しくも、今日は4月4日、そして
元号が変わるこの2019年は、「政治(選挙)の年」に重なりました。
これは偶然か否や・・・
これが後々、大きな意味を持つかどうかも
「吾吾われわれ」にかかっているということでしょう・・・
4➡5➡6 は、 「幽」から「顕」の時代・・・
見えなかったものが見えてくる時代・・・
すばらしい「顕」が実るよう
私も努力していこうと思います。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
