冬、小寒のころ⑭・・・掲示板とLINE
大学生との連絡でメールが主流だった時、
重要なメールを送っても
返事が来なかったことが多々あった。
わたしは、読んでいるのかそうでないかが気になって
次の日 直接会ってその旨を尋ねた・・・
どうやらちゃんと読んでいて安心した。
しかし、不思議な感覚に襲われた。
「では なぜ彼らは返事を書かないのか・・・」
何回かそういうことを経験してひとつの答えにたどり着いた。
それは、彼らは、自分が読めばそれで
そのコミュニケーションの終わりとみなしていたのだ。
会話の終わらせ方とポイントが わたしと違うのだ。
わたしたち黒電話で育った世代からすると
相手に何かを打診し、それに対して「YESかNOか」
「聞いたか、聞いていないのか」・・・
それを確認しないとスッキリしないし
相手もきちんとそれを告げてくれていた。
それが当たり前になっているのだが
メール世代の若者は
自分が読んだら それで終わり(いい)・・・
そういう感覚で生きているのだと
ある意味ものすごく腑に落ちた。
もうひとつ、時間(待ち合わせ)に関しても同じだった。
ある場所で待ち合わせても時間を守る若者は多くなかった。
携帯という便利な道具があるので
遅れそうであれば、その場ですぐに連絡ができるのだから、
さして、時間を気にする風でもなかった。
平気で彼らは遅れますと連絡してきた。
当時私などは、携帯がなく
PCでしかメールをしていなかったので
いくら連絡をくれても、出かけた後なので
読めるはずがない・・・
そうなると彼らが遅れてくるのを、
甘んじて受け入れるしかなかった・・・
「(遅れる旨を)メール送りましたよ」と
しれっと言われると
彼らが送ってきた「遅れます」が
家で寂しく留守番をしているかと思うと
読まなかったこちらが申し訳ない気持ちになった。
なんだか変な気持ちだ。
ある意味、昭和人は、時間にしても待ち合わせ場所にしても
軽々しく変更できなかった。
なぜなら、それは相手と会えないことにつながるからである。
そういえば!大昔(笑)
駅に必ず掲示板(伝言板)というものがあった。
待ち合わせの定番が駅だったので
急な用事でそこから離れなければならないときに
その掲示板に相手へのメッセージを書いていくものだ。
私も高校生の時に1・2回使ったことがある。
きっと若い人は知らないと思う。

掲示板だけでなく
喫茶店のマスターに伝言を頼んだり
家を訪ねて留守だった時も
お隣さんに言伝やお土産を預かっておいてもらったりしたものだった。
いまのようにすぐに外出中の相手に
連絡ができる時代ではなかったので
相手に何かを伝えるというのは
たまたまそこに居合わせる「袖触れ合う人」全ての
共同作業だった気がする。
また そういうことに協力してくれる
「小さなお世話」がいっぱいあった。
つまり、ご縁・・・
こういった会えないもどかしさ、連絡を取れない切なさも
またそれを、陰ながら救ってくれた名脇役たちも
いまは絶滅しているのだろうか・・・
LINEが広まって
連絡を届けるという世界から
そのご縁がさらに切り離されてしまい
その機能だけが立派になってきている。
いまでは、既読が付こうが付くまいが
送ったことが免罪符になる。
遅れたり、延期したり、欠席したりと
行動する側の独壇場になってしまって
あとから受け手が必死にその流れについていく格好になっている。
そのタイミングで読めなかった受け手が置き去りにされ
かえって罪のような気持ちになるのは、不思議な逆転現象だ。
わたしたち昭和世代は、
どこまでも電話のような気持ちでLINEをしているので、
相手がいつ読んでも構わない連絡はラインで・・・
ちゃんとした連絡は電話でとついつい分けている(笑)
ラインが、昔の手紙のようだ(笑)
若者からすれば、わたしたちのLINEは
どちらが会話の終わりになるかが 中々つかめない
長々しい不器用な世代と笑われているのかもしれない(笑)
同じ道具を共有していても
かくも 使い方や感覚が違う時代もまた珍しい・・・
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
tag : 掲示板
