夏、小満のころ⑬・・・人間の尊厳
5月に定植したキュウリやトマトの苗が
先日来の雨ですっかり大きくなって
ひと回り大きな支柱がいるのだ。
すでに実も付けている・・・
苗が育つということは雑草も育つということで
このころの畑は、生命の息吹を否が応でも感じる(笑)
少し体を動かしてからのこのブログ・・・
何もしないときよりも気持ちよく筆が進むのは
からだと言葉が連動している証拠。
名随筆家や文豪と呼ばれる人で
散歩好きな人が多かったが
少しわかる気がする。
さて、3人目の恩師は、
中学の時の体育の先生、T先生だ。
そのころは確か30歳ぐらいだったと記憶している。
中1のある日、授業の合間、休み時間だった。
一つ上の中二クラス、
教室横の廊下を歩いているときだった。
教卓の椅子に座って、
顔を臥せっているT先生がふと目に入った。
周りには囲むように数人の女子生徒・・・
黒板の軌跡を見れば
おそらく女性のからだの構造が書かれていたので
保健の授業、性教育の授業だと想像できた。
当時は、体育、技術家庭は男女別々・・・
周りは女子しかいない。
先生はどうやら泣いているようだった。
しかもかなりの号泣だったとみえて
わたしが通った時にはそのしゃくりあげがまだ続いていた。
すこしびっくりした。
「何があったのだろう・・・」
その先生が、いまのような学級崩壊などゆるすわけもなく・・・
おかしいな・・・
そう思っていると、
同じソフト部の先輩(あまり好きな先輩ではなかったが)が
先生の肩に手を添えようとしていた・・・
「先生、元気出して・・・」
わたしからみても意外に軽いノリで告げていた・・・
その瞬間!
「あんたになにがわかるんだよ!」
先輩が手をのせるかのせないか・・・
暇はなかった。
ばっと、その先輩の手を叩いて遠ざけた。
わたしは、もう一度驚いた。
その時の先生は、もう「先生」ではなく
一人の人間、個人だった。
あとからわかったことだが
それは、「人間」であり、「女性」であり、「母」であった。
性教育の授業・・・
女性のからだを教えている最中、
先生はご自身の流産の体験を思い出された(話された)という。
おそらくご自分ではもう心の整理がついていたと思っていた・・・
だからこそ、授業で、生徒の前で話そうとされたのだろう。
だが、意外にもそうではなく、
まだ心の奥に残っていたあの時の感情が
堰を切って流れ出したにちがいない。
いのち、哀しみ・・・
おそらく、先生自身もその展開はあまりにも不意打ちで、
教室という公の場にもかかわらず、思いがけずに
「人間」となり「女性」となり「母」となってしまったのだと思う。
なんて素直な先生なのだろう・・・
安っぽいドラマのように、慰めようとしている生徒(女性)に対して・・・
安易に理解しようとする軽はずみな生徒(女性)に対して・・・
「なにがわかるのか!」と突っぱねる
先生のその態度に、わたしは感動し、釘付けになった。
この感動という言葉が正しいか今もわからないが、
とにかく私の心は、ああ・・そうか!と悟りのように大きく動いたのである。
安易な傷のなめ合いを拒む
「凛」とした一人の女性、人間の尊厳・・・
先生は別にねらったわけでもないが、
人間の「ほんとう」が激しく吐露されたあの場面で
思春期の私が感じたものは大きい。
そういう先生たちが今も私の心にいて
わたしという人間を育て続けてくれている・・・。
実に、感謝しかない・・・。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
