十年、をちこち・・・51
「年の初めはさだまさし」でさだまさしさんがいうこの言葉・・・
このパロディさを、私はすごく気に入っています。
わたしか観たり、感じたりする世界は
ホント、こんな程度のことだと思っていただければ結構です。
しかし、これを「できる できない」のきばった軸で考えると
すこし深刻な状況が起きることもあります。
「いつから観えるようになってんですか?」
「どうやったら、観えるようになりますか?」
菩薩行(相談行)を続けていると
こう聞かれることがとても多いです。
しかし、これを学校で習うように
教わればできるようになると思うと大変です。
「できない→できる」にしてくれる人を探し始めます。
「3か月間セミナーを受けて、私も観れるようになったんです!」
「○○のおかげで、今はもう闇を抜けてすっきりしたんです!」
「○○さんのセッションを受けて本当に変わったんです!」
高額なセミナーやセッションを受けられた後、
そう意気揚々と報告される方がみえます。
しかし残念なことに、その方々は
ご自身の「直霊」が不在になっていることに気が付かれていません。
その方の視界のみ(狭い一部の空間)が
スポットライトのようにキラキラしており
周りは真っ暗闇です。
「直霊」を乗っ取ったものによって見せられる偽の光の世界を
すべての世界と思いこまされているのです。
「意見には個人差があります」
私たち近代社会で生きてきたものにとって、それほどこの
「できる できない」の世界は
呪縛であり、魅力のようです。
「教える、教えてもらう」
「できる、できない」の二元を行き来しているうちは、
十年、をちこち・・・㊹
十年、をちこち・・・㊺
で書いたように分かれたまま
永久に一つ(自動詞の観る、感じる)になれないのです。
「意見には個人差があります」
theme : スピリチュアルライフ
genre : 心と身体
tag : 「意見には個人差があります」直霊
