同じ感覚を持った人・・・宙結び随想’17.3

おそらくそう簡単ではないのだと思う。
どんな小さなことでもいい、
同じ感覚という ただそれだけで集まるいうのは
それだけで希少価値があり、奇跡である。

小さいころ、サッカー、ソフトボール、ダンス・・・
大きなもの小さなもの、いろいろなグループに所属し
時には引っぱる立場をいただいた。
集まれば、同じエネルギーで同じ方向を見ていてほしいと願うのも人間である。
若いときは特にそうだったと思う。

「さみしい」とは、結局のところ
同じエネルギーで同じ方向を見ていてほしいという願いが
かなえられないときに起きる ひとりよがりな心の誤解だ。
ひとはその時々で 心もからだも流動的である。

若いときは、
その流動性を誤解し、
その流れに抗い、
つなぎとめようを必死になったりする。

でも、人生が折り返し点が過ぎた辺りから
それはそれでいい、と楽しむようになる。
なれるようになるから不思議だ。
なぜ流動しているのか・・・
それは、人は自分の人生を大切に思っているからだ・・・
流動性とは、欲望とはちがうなにかである。
希望を持って前に進もうとする人の素直なエネルギーだ。
「これぐらいでいいかな」という 妥協点の連続では
全く納得がいかないのが、人の性でもある。
人をかえ、場をかえ それぞれの人生を輝かせようとする・・・
それはそれで、至極 当然のことである。

先日の日曜日、
お陰様で無事に父の納骨を済ませた。
(キリスト教会の納骨式は簡素でおすすめです(笑))
その帰り道、母がぽつりいう・・・
「さっちゃん(わたし)が小さかったころいた人はもう、○○さんだけだねぇ」

人が集まるということは
人が去るということであり
新しく人が入るということである。
その流動性は必然である。
その必然を受け入れたとき、
人のいのちも自分のいのちも同じように
尊いということを学ぶのである。
宙結びは、そんな流動性が必然の宇宙で
同じ感覚を持った人が
同じ日の同じ時間を共有する場のようです。
いつもの方も
お久しぶりの方も
はじめましての方も・・・
どうぞ遠慮なさらずいらっしゃってください。
もちろんご出店も大歓迎です。

きっと何かを感じていただけると思います。
≪今後のsora-piyoの活動≫
4/15(土)宙結び
5/3(水・祝)笑市・書&アートパフォーマンス
5/28(日)中島慎子(ちかこ)さんヴァイオリン独奏ネパール地震復興チャリティコンサート(追って詳しくご紹介いたします)

