おなじ・ちがうを超える・・・HEART FULL アートパフォーマンス 11.3 ①
生きている存在そのもの
生き方そのもの
というのがわたしの経験上の感覚です。

だから、人は なにげなく道を歩いているだけでも
その服装、その視線、その所作、その言葉・・・
すべてがARTということになります。

人は意図的に
何かを表現したり、
演奏したり、
絵を描いたり、
和歌を詠んだり・・・

そうしたりしますが、
わたしにとって
無意識のなにげないすべてを含めてが
ARTだと思っています。

だからこそ、
こどもたちが何の計画もなく
何のあざといねらいもなく
小ざかしい作戦もなく
隣のひとが何色をぬろうが
何も構わず、わが色をぬる・・・

ただただ 色をおき
かたちにゆだねるその様は
神さまのように見えるのです。

どの子もそこでアートをしていると意識して絵を描いていません。
どの子も表現をしようとして、色をのせているわけではないのです。

カオスの中にこそ いのちがある
できる できない
うまい へた
おんなじ ちがう
じぶんの場所 ひとの場所
そんなことをかんがえて
ぺたぺた べたべた をしている子は
どこにもいなかった・・・

みんなちがって みんないい
言葉にするのは本当に簡単だけれども
人類はまだ、この優しさを生き様として
こころから行動できるようになるまでの
途中駅にいます。
とくに大人の方がそうなのです。
もちろん私もその一人・・・


ただ、ブッダには申し訳ないが・・・
(ブッタも気付きましたが)
苦しい修行の末
そこにたどり着きたいとも思いません。
生きることが修行なら
もう修業はしなくてもいいではないですか・・・
修行の中にいのちがあるわけではありません。

ほんのささやかな日常、
おおげさでない暮らし、
二度と再現できないかけがえのない
こういったひと時にいのちはあるのです。

そのいのちを
みとめあい
ほほえみあい
いたわりあい
ささえあう・・・

みんなちがって みんないい・・・
いのちあるものが いのちあるように・・・

そう願って
そう動く・・・

わたしたちのいのちを わたしたちで愛する・・・

ただそれだけのために・・・
暮らすように 息をするように・・・
自然にやっていこうと思います。
ご一緒にいかがですか・・・


2016 平成独楽吟へ・・・つづく・・・
