力みのないひたすらのdoing(行動)は、やがてbeing(存在)になる ~2016年皐月 宙結びの申事(さるごと)~

人には「違和感」というとても大切な能力がある。
それは、脳でもなく、ハートでもなく、
「ハラ」で感じるほんのわずかなズレを感じ取るチカラです。

「ハラ」はその人そのものを表す「在り方」と大きく関わっています。

(「自分をいかして生きる」西村佳哲著より)
一番下の「あり方・存在」から「考え方・価値観」が生まれ
「考え方・価値観」から「技術・知識」が工夫され
やっと表面の目に見える「成果としての仕事」が生まれる。
「成果としての仕事」は決してお金を介在とする「仕事」だけでなく
衣・食・住などにおける人の立ち居振る舞いや活動全てを表すといっていい。

西村さんの言葉をお借りすれば
仕事は人生と
生き方は働き方と
切っても切り離せない。

この「海に浮ぶ島の図」そのものが人の体の部位ともなる。
下から、
ハラ(あり方・存在)
心・ハート(考え方・価値観)
頭(技術・知識)
・・・そして、その全てを総動員させて生み出されるのが
海から出ている「仕事」(≒活動)ということになる。

自分を生かして生きるために
いちばんの土台となるこの「ハラ」のチカラはかかせません。
何かを見るとき・・・
何かを聞くとき・・・
行動に移すとき・・・
話をするとき・・・
賛同という一票を入れるか入れないか迷うとき・・・
下から順に、この違和感を確認する必要があります。

昨今は下の二つを飛び越えて
「技術・知識」に躍起になることが多い。
「技術・知識」には確かに身体を使うものも多いが
現代、重宝されやすいのが頭を使った「技術・知識」になってしまったということだ。
参考までに・・・第一次産業の衰退を観れば一目瞭然である。

いまは、「脳」中心の社会といってもいいかもしれません。
「脳」は確かに大切な部位ですが「ハラ」をおろそかにした
「脳」重視は、別の意味でも寒々しい感じがする。

「存在」そのものがただそこにあればいい・・・を飛ばして
「できるできない」「必要不必要」という観点でしか隣人を見ないからです。
悪く言えば、利用できるかできないかでしか森羅万象と関われないからです。

「存在」には「できるできない」「必要不必要」もありません。
そして、この「存在」は一見何もならないことをしているときに顕れます。
「そんなことをして何になるの?」
「もっと効率のいいやり方があるでしょ」
これは「技術・知識」に時間が掛け合わされたときに使う言葉です。
ただ、人は時々そういったことを言う反面
そういった一見無駄なことをせずにはいられない「ハラ」もあります。

ちょっと違う例えかもしれませんが
私にとっては、ただ草をむしるとき、ただ皿を洗うときに顕れる気がします。
草はいずれすぐに生えます。皿も次の食事の時にはすぐに汚れます。
だから効率よく除草剤をまいたり、食器洗い機を開発して使います。
でも、希望が持てるのは
人は、自分の手でわざわざそれらをする価値を100%捨てていないことです。
ひたすらdoingするのです。
この力みのないひたすらのdoingは、やがてbeingになります。
禅宗の修業にそういった作務があるのはきっとそういうことだと思います。
だから、なにをdoingし続けるかでどんなbeingになるかが決まりますので
皆さんお気をつけください(笑)

畑仕事をしていると
森羅万象すべてにこの海に浮ぶ島があるように思えます。
どのいのちもただひたすら四の五の言わずにdoingしています。
そして、それがそれぞれかけがえのないbeingになっている。
彼ら全てから「考え方・価値観」を聞き出すのは難しいですが(笑)
おそらくあると思います。
彼らが登場する神話や物語が古代より
無数に世界中に存在するからです。

じっと動かない植物や鉱物、昆虫たち・・・
人間に比べれば確かに限られた行動範囲かもしれません。
でもその限られた行動範囲の中でただひたすらに行われる無償のdoingは
人類にとってかけがえのない偉大なbeingになっている。

今の私のdoingは
どんなbeingをつくるのか・・・

豊富な選択肢がある中で、やたらと動いて欲しい物を手に入れ
人生でさえも、賢い間違えのない手段や方法を選ぶのが本当に豊かなことなのか・・・

ましてや今の時代
その選択肢さえ誰かに意図的に用意され
与えられたものであることが多く、
仮にその中で賢く選択したとしても
ただそれは与えられた問題集を
誰かが用意した模範解答で
答え合わせしているだけにすぎないのではないか・・・

つたなくとも自分で作った問題集で
自分の答えを導き出し、独断の(笑)解答集を作ることの方が
ずっと楽しくダイナミックではないのだろうか・・・

答え合わせをさせられる人生ではなく・・・
自然や周りの人々に感謝しながら・・・
風のように集まり・・・
陽だまりのように笑いあって・・・
そして「またね」と風のように去っていく・・・
何かを狙って集まるのではなく
その場限りの一期一会のような人生・・・

明文化したルールなどなくても労わりあい・・・
沈んでゆく夕日を、満ちようとする月を
「あー綺麗だね」と言葉のようで言葉でない・・・
互いの存在だけで確認できる力を持っていたいと思う。

そういったささやかな自分のdoingで
自分と人と自然のbeingを確認する人生でありたいと思う。

これからもぽちぽちdoing続けます。
よかったらご一緒にいかがですか・・・
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