秋、霜降のころ⑧・・・ゼロを開く
昨日は主人公の作者が、「お茶なんてチョロい」と思っていたのに
やってみると全く覚えられずに、目から鱗が落ちるシーンだった。
そして、「私は、何も知らないのだ・・・」
と、つまらないプライドを捨てて
「ゼロ」の自分を相手の前に開く・・・
からっぽになる場面だった・・・
実は大人になると本当にこれができない・・・
できているような人でも実は、
「これ、わっかりませーん」という甘えのもとで
投げ出して丸投げしているか、
わからない自分を、
また習っている自分を、
充実した人生とやらの道具に使っていたり
また、そんな自分をかわいいと思っている勘違いの習い手が多い。
また後者は、永遠に教えてもらうのが好きで
決して、「先生」という「責」を果たそうとはしない。
これは、実際にほんとうに先生になるかどうかの問題ではなく
「先生」という立場まで立とうとする気概ということだ。
本当にゼロを開くというのは実に厳しいものだ。
甘えも、勘違いも挟まない
真摯で毅然とした態度・・・
先生と弟子でありながら
いずれたどり着くであろう山の頂上をコツコツと目指す姿は
弟子の中にすでに、「先生」の姿が遠望できる・・・
そういうゼロだ。
すでに大人の門を叩いていた作者が
20、21で、この姿勢を見出したのは本当にすごいと思う。
話は飛ぶが、
本当にゼロを開く人間は、
決して著作権などケチなことは言わないのでは、とふと思った。
私もレベルは全く違うが
素人なりにダンスの作品をつくり、世に放ってきた。
だからこそ、世の偉大な表現者へは
心からの敬意をはらったうえでこのお話をしている。
もちろん、こころない「バッタもん」や「なりすまし」が
跋扈(ばっこ)する世の中がいいということではない。
でも、
持っているものと持たざるもの
表現するもの、受け取るものが
わるいことを考えずに
互いに真摯な気持ちで
その作品や型を享受することはできないものか・・・
著作権という縛りがなければ
人間の「美」としてのあらゆる「作品」「型」は
互いに楽しむことができないのか・・・
契約という乾いた関係のみでしか
進化させたり、つながったりできないのか・・・
これは、私の日々の疑問だ。
著作権フリーを世に放つ人間は、
このゼロを開いた人間なのではないか・・・
自分が生み出したもの、
自分が作り出したものは
投げ出されて人の世に放たれた時から
自分のものではないと知っているのではないか・・・
いや・・・もともと生み出したものさえも
自分一人の能力で生み出したものではないと知っているからこそ
著作権を放棄するではないか・・・
千利休の時代も今も
茶道に著作権などない。
常にゼロを開く人間は強い。
自分の中からまた滔々(とうとう)と
いのちの泉が流れることを知っているからだ。
背広の型紙や作り方に著作権はない。
料理のレシピに著作権もない。
茶道のお手前に著作権はない。
好きな者、必要と感じた者はみな
自然にこうべを垂れ習おうとする。
本物の「作品」や「型」は
盗んでも盗んでも枯渇することがない
悠々とした泰然さがある。
昨日の樹木希林さんが
「なお過去の映像等の二次使用はどうぞ使ってください。」
と言ったのはさすがだ。
どんな人間も生きている限り
だれかが作ったものの二次使用で生かされている。
私も今、生活の糧をいただいている「型」のすべては
かつての著作権フリーから享受させていただいたものだ。
ましてや、私たちの中で、すべてを独りで生み出したと
声高に著作権を叫べる人間が一人でもいるのだろうか・・・
それを思えば、「著作権!?」ってなるのではないか。
私にはそう思えてならない。
著作権は、
それはあって当たり前という「教育」がされている間に
いのちをはぐくむ「種」でさえも著作権の対象になりはじめ・・・
私たちがぎすぎすした争いを続けている間に
漁夫の利でだれかが潤い・・・
そう考えれば興ざめしてしまう小さなことかもしれない。
日日是好日の作者、森下典子さんも言う・・・
「つまらないプライドは捨てよう」と・・・
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genre : 心と身体
秋、霜降のころ⑦・・・宝島社と樹木希林
樹木希林さんとのコラボで新聞広告を出したらしい。

世の中には、害にしかならないくだらない広告が多いが
こういうセンスのある広告は、実に波動が高い。

以前ここでも取り上げたが
「死ぬときぐらい好きにさせてよ」という名台詞・・・
➡「死ぬときぐらい好きにさせてよ」 ~2016睦月・宙結びの申言(もうしごと)~
今回は2種類あるようだ。
残念ながら中日新聞にはどちらもないが、
宝島社のオフィシャルサイトにはあった。


字をアップ・・・


「水に流す」
「面白がらなきゃやっていけないもの、この世の中」
いつの間にか私も
樹木希林の言う「依存症」のようだ(笑)
宝島社の広告で気に入ったものを見つけた。

さあ、わたしは国まで行かなくともこう言いたい・・・
「いい日をつくろう、何度でも」
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秋、霜降のころ⑦・・・桜
父が怒るとそれはもう家じゅうが凍る思いだった。
そんな父が、はじめて入院したのは
わたしが中2の終わり・・・
桜真っ盛りの春だった・・・
カブに乗っていた父が
軽トラックと接触し転倒・・・
頭を強打したのだった。
その病院は木曽川沿いの桜並木が豪快な通りに面していた。
わたしは自転車で父を見舞いに行った。
たまたま母が用事で病室をあけていた。
点滴と管でつながれた弱々しい父に
わたしは戸惑った。
それは、これまでのどんな父とも違った。
優しい声もかけることもできず
そばの丸椅子にちいさく座っていると、
父が何かもごもごと言い出す。
頭を打ち、顔にまひが残っていたため
口がうまく回らない。
うまく聞き取れなかったわたしに父はいらだったのか
突然、バリバリと点滴の管を引き抜き
のっそりと体を起こし、歩き始めたのだった・・・
どうやらトイレのようだ・・・
わたしはなすすべもなく、しばらく呆然としてしまったが
気持ちを返して看護婦さん(当時の呼び名)のところへ走った・・・
事情を説明しようとすると
のっしりよろよろと歩く父の姿が視界に入ってきた・・・
麻痺が残る手足でまともに歩けないのだが、
それでも一人の人間の尊厳を必死に示そうと
いらだちを見せながらも歩こうとする父・・・
「神辺さ~ん!だめですよ~」
小走りに静止に行く看護婦さんと
廊下の壁伝いで必死の形相の父・・・
その時の父の姿があまりにも哀しくて泣きたくて
今でも鮮明に覚えている・・・
やっとのことで病室に連れ戻され
事は収まり、母も戻ってきた。
事情を説明しようとしたが
わたしは涙を隠すのに必死だった。

帰りの自転車・・・
桜は満開の終わりを告げるように
はらはらと花びらを風に舞わせていた。
わたしは、これまで生きてきて
あんなに哀しい桜を味わったことがない。
自転車のペダルをこぎながら
中学を出て働こうかなと真剣に思ったものだ。
父と子
母と子
親子というのは、
いつか必ずいのちの重心が申し送られる日が来る。
わたしの場合、木曽川沿いのあの桜とともにやってきた。
あの日から、桜が特別な存在になった。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
秋、霜降のころ⑥・・・円空と母
早速音叉治療も試してみた。
母は、仏になったみたいと笑っていた(笑)
胸のしこりは、小さなお椀の蓋大を一進一退・・・
あいかわらず、白血球の液体は出ているが
森昌子の歌を聞きに行ったとか
どこそこへ行ったとか言っているので
おそらく元気にしてるんだと思う。
おかげ様で本当にありがたいことだ。
いつもは木曽川の上流へ車を走らせるが
昨日は長良川の上流に行きたいというので
ぷらりと車を走らせた。
わたしも長良川薬石!?を拾いたかったし
関市小瀬の鵜飼い乗り場も見たかったので
ちょうどよかった・・・
いってみると、関市小瀬のそばには、円空館があった。

円空の一刀彫はいつ見ても心癒される・・・
父も円空仏が好きだった。
粗削りでありながら、その仏のお顔は
われわれが人生で目指す究極の表情をたたえている。
そうだ、たしかこのあたりで「入定」されたのだった。
円空は、岐阜にゆかりの地がいくつかあるが
人々の救済のために、生涯12万体の仏像を彫りながら
東の諸国を巡った(1632年~1695年)。
現在確認されている円空仏は5000体余りあるが
その半数は岐阜と愛知に存在する。
それにしても、円空は
なぜこの地を入定に選んだろうか・・・
円空の系譜の中でその答えの一片を見つけた。
「1638年 (7才) 長良川の洪水で母を亡くす・・・」
資料によると、
「自らの死期を予覚し、
元禄8年(1695年)64歳で入定。
里人に、この茂った藤を指し、
この藤の花が咲く間は、
この土の下で生きていると思えと
言い残し入定した」
とある。
藤の花に迎えに来てもらった円空・・・

この長良川の小瀬地区は、
流れが直角に西に曲がる場所・・・
円空の母がどこで亡くなったのかわからないが
もしこの流れが江戸の時代とさほど変わらないのであれば
大雨の時には、対岸の東側は洪水が起きそうなほど白波が立っていた。
円空には、この長良川が三途の川で
迎えに来る母が藤の花に見えたのか・・・
もちろん違うのかもしれない・・・
だが、そんな勝手な想像をめぐらせたながら
小丘の竹林を、ふたりてくてく歩いた円空館であった。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
秋、霜降のころ⑤・・・いのちの源、鉱物と音
周波数を増幅させる方法がもうひとつあります。
それは・・・「叩く」ということです。
命(いのち)という字に、
なぜ叩くという字があるのか・・・
これは、ある時期わたしのテーマでした。
それに気が付いたのは、
理科での「音」を思い出した時でした。
叩くと音が出る・・・
音は波・・・
だからこういう図になる・・・

わたしたちのからだや各部位は
すべて特有の周波数を持っています。
からだだけでなく、森羅万象すべて特有の周波数があります。
その周波数をいのちだと言っても過言ではありません。
周波数こそいのちと知っていたからこそ
闇権力のロスチャイルドがロックフェラーに命じて、
国際基準音を440HZに制定したのです(1908年)。
440HZとは、人間の思考力を失くさせ、
脳を萎縮させ、麻痺させる周波数。
ビートルズはその440HZで曲を作っていたと言われています。
しかし、晩年のジョンレノンは432HZを使い始めた・・・
だからこそ暗殺されたという説さえあります。
わたしたちはすでに
国際標準音という武器で「洗脳」を受けているのです。
だからこそ自然が大切なのです・・・
自然の門を叩き
本当の周波数を浴びることです。
HAARPや電磁波による周波数の乱れの隙間から流れる
本物の周波数を感知し、調和・不和を判断できるのは
わたしたちのからだだけです。
できるだけ薬から遠ざかり
できるだけ電磁波から遠ざかり
できるだけ乱れた感情から遠ざかり
自然から受ける本当の周波数を
大切にしなければならないのです。
その特有の周波数が乱れると
調子が狂い、病になる・・・
周波数を整えることは
癒しなどと言ったおまけのような問題ではなく
文字通り、ダイレクトにいのちにかかわることなのです。
だから、気乗りしない音楽や映像を見ないこと・・・
気疲れさせる人、攻撃してくる人、
いつもイライラしている人
エネルギーを奪ってくると感じるあらゆる人・物から
できるだけ離れること・・・
また、そういう人にならないこと・・・
SNSなどで、そういう波動を持つ人は
人や自分のいのちを縮めているていることと同じこと・・・
叩く、周波数、いのち・・・
だからこそ「音」はいのちと同じ意味なのです。
先日も書いたこの本・・・
同時多読で遅読の私がやっと
音叉治療という章まできた。
以前、別の本で読んでいたが、再会である。


そうだ、自分にも音叉があった!

4096Hzの音叉だ。
この周波数にどんな効果があるのか?
≪4096hzを聞いた時の“精神や身体”への効果≫
・ネガティブな感情やエネルギーが解放され、浄化と調整に効果が期待できる
・精神に安定をもたらし、自分自身を取り戻すことができる
・潜在意識に蓄積されたゴミが排除され、精神が健やかな状態に導かれる
・身体に溜まった毒素が排出され、免疫力が高まると言われている
・身体が温まり、血行が回復する
・エネルギーを必要としている肉体部分へ、エネルギーの補充がなされる
・直観力や記憶力が高まり、自分の可能性が開ける
・集中力が高まり、勉強の効率や、創作意欲が上がる
・外部から受けた悪意や、ネガティブなエネルギーが浄化される
・地に足をつけて、しっかりと現実を生きられるようになる
・プレッシャーに強くなり、仕事の方向性を変化させることができる
・深い瞑想や睡眠を得ることができる
≪4096hzを流した時の“空間や物類”への効果≫
・建物や土地に滞っているネガティブなエネルギーを浄化し、清浄に戻す
・空間(家や部屋、庭など)にこもっている気を浄化し、良い運気を呼び込む
・新しく購入した物や、以前からある物の気や念を浄化する
・パワーストーンやアクセサリー、植物を浄化し、パワーチャージや活性化ができる
・悪夢が続く時、悪夢を招いているエネルギーを寝具や寝室から取り除くことができる
ちょっと試してみよっと・・・
ということで自分のからだや調子の悪い生徒、
常連さんにお願いしてやってみた・・・
●右肩がいたむ常連さんのUさん・・・
・・・肩が温まり、肩の動きがスムーズに
●肩こりの常連さんTさん・・・
・・・肩が温かくなる・・・
●膝を剥離骨折をしている中一男子・・・
・・・膝が温かくなってきた、腰も温まり
どうやらひざの原因は腰、背中のコリのようだ・・・
●年中鼻炎を患う子・・・
・・・鼻の通りがよくなってきた
●風邪で学校を休んだ高1の女子、のどが痛む・・・
・・・音叉直後、のどが滑らかに、再びガラガラに、帰るころ再び滑らかに・・・
●相棒Pさん、慢性の肩こり・・・
・・・肩に音叉と水晶をあてたとたん
胃とその下がぐわーんと歪む、肩から頭がすっきり・・・
●音叉をあてる私・・・
・・・よく胃がグルグル、キュルキュルなり始める、
特に空腹ではない、血流良化か・・・
●胃がしくしくとする私・・・
・・・右足の親指の爪の根元がぴくぴくする、
そこはいつも針の先生が針を打たれるところ・・・
大事なことは、この音叉を鳴らすわたしの波動・・・
たとえ4096Hzの音叉を手に握ろうとも
私自身の波動が荒ければ台無しなのだ。
できるだけ、ぼーっと(無欲に)・・・
やってやろうとか、治してやろうとか
できるかぎりそんなことを考えない・・・
いくらよいHZを掲げても
周波数の源はすべて自分であるということ・・・
ここが大切だ・・・
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
秋、霜降のころ④・・・長良川薬石!?続編
調べたり詳しい方に聞いてみますとお話していましたが、
ある方がご親切にも回答をくださいました。
姫川薬石を販売されている姫川薬石庵さんです。

(左:長良川薬石!? 右:姫川薬石)
ご回答は・・・
「糸魚川のフォッサマグナを境に
西と東では岩石の種類が若干変わります。
岐阜県は西側となりますので糸魚川と同質の岩石が
変成されてもおかしくありません。
画像を見た感じでは6000年以上前の
火山活動で変成された火成岩だと思います。」
ありがとうございました。
この方は、
以前も姫川薬石の原石の場所を教えてくださったり
購入の際もとても親切にしてくださるかたで、
頑固に糸魚川の姫川薬石を扱っていらっしゃいます。
姫川薬石をご購入の際は
このお店がお勧めです。
以前、わたしの周り(津市内在住)の方に、
このお店をあまりに多く勧めた際には
宅配の方が
「最近同じお店から石を運ぶお宅が増えたけれど
一体どんな石なんですか?」と
ちょっとした話題になったそうです(笑)
それほど、お気に入りのお店です。
店長ブログからも姫川薬石が大好きというお気持ちや
そのお人柄がうかがえます。
石と言えば、淡墨桜で有名な岐阜の根尾には
「菊花石」というきれいな石もあります。

その土地その土地で全く姿を変えたり、
時には、姫川薬石と長良川薬石!?のように
共通点もあったりと実に不思議です。
この鉱物たちのお陰で
私たちは豊富なミネラルをいただくことができ、
生命エネルギーを漲らせることができます。
また、鉱物は水と仲良しです。
その水と鉱物に熱が加われば温泉です。
熱(温水)に触れることで、さらにその周波数を増幅させます。
温泉で疲れが取れたり、病を治すことができるのは当たり前なのです。
鉱物は、水や熱以外にも
もうひとつ、周波数を増幅させる方法があります。
それは明日書いてみましょう。
とにかく、鉱物は単体よりも大きくなる方法をつかって
私たちを癒します。
石に良い悪いはありません。
すべて良いのです。
ただ石は素直です。
そんな人が、どんな気持ちで接するかによって
波動は共鳴しあい増幅するだけです。
欲望が石と共鳴しあうのか、
優しい気持ちが増幅するのかは
この世に住む人間しだいということです。
そして、鉱物と水の集まりが地球です。
もうお分かりですね・・・
何を増幅させるかは、
わたしたちしだいということです。
天と地、水、人・・・
わたしたちはすべてつながっているのです。
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genre : 心と身体
秋、霜降のころ③・・・両班は好き放題
《朝鮮語》 朝鮮の高麗(こうらい)、および李氏朝鮮時代の特権的な官僚階級、身分。文官は東班(文班)、武官は西班(武班)に分けられていたのでこの名がある。官位・官職を独占世襲し、種々の特権・特典を受けた。ヤンバン。
古代日本は縄文弥生を押しのけ
さまざまな渡来人によってつくられた。
もちろん多くの優れた技術や制度、人物も取り入れられたが
悪しき習慣もいまだに残っている・・・
それは、この世は両班のもの・・・という勘違いの思想・・・
特権・特典を受ける役人、大商人たち・・・
そしてその両者の癒着・・・
両班以外(中人・常人・賎人)は人間扱いされず
絶えず虐げられてきた・・・
貢物と称した合法的搾取は
平成が終わろうとしているこの世でも変わらない。
山本太郎さんについては
個人的に好き嫌いもあるかもしれないが
客観的な資料を基に話されるそのお姿は
まるで日蓮の辻説法のよう・・・
➡山本太郎の辻説法 in名古屋
いまだに日本の借金が
1000兆円あって大変と思っている方・・・
社会保障財源のためには
消費税を引き上げるのも仕方ないと思われている方・・・
日本の税制は累進課税だと思っている方・・・
お金をたくさん刷ればインフレになると思っている方・・・
よかったらご覧ください・・・
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
秋、霜降のころ②・・・不調和
人工、自然、可聴域、不可聴域・・・
さまざまだ・・・
音ほど人の精神に影響するものはないのではないだろうか・・・
先日久しぶりに電車でお出かけした。
近場の四日市だ。
わたしは人混みが苦手だが
piyoさんのお目当てと
わたしのお目当てを考えると
最大公約数は電車だった。
本当に久しぶりで、
その前はいつだっただろうか?と思うほどだ。
乗ってみると想像通りさまざまな音音音・・・
本当に疲れる。
もちろん激しい電磁波もあるのだろうが、
何よりもこの不調和な音と人々の波動が
これほどバラバラでかみ合っていなかったのか・・・とやはり驚かされる。
高校生のときには難なく通えた電車なのに
年齢によって耳の可聴域が変わるというから
そのせいかもしれない。
帰りの電車・・・
席も空いていなかったので
立ちながら車窓を流れる夜のネオンを見ていた。
2歳ぐらいの赤ちゃんを
抱っこ紐で抱えているお母さんが乗ってきた。
やたらと道徳心を掲げるつもりはないが
座っている人はほぼ一様に
耳にイヤホンをかけて四角いスマホに見入っている。
だれもその親子に波動を合わせようとしない・・・
本当に不思議な風景だった。
みな、アンテナを折りたたんで
ちいさなガチャガチャのカプセルに入ったようだった・・・
わたしたちは必要以上に人に関わる必要はないと思うが
わたしには明らかにその親子にはシートが必要そうにみえた。
もちろんどこで降りるのか
そのお母さんが本当にシートが必要なのかそれはわからない。
でもシートがあるほうが明らかに楽だろうなとは想像できた。
どこか空かないかな~
そう思っていると、
次の駅で我々のすぐ横のシートが空いた。
ドアが開く直前・・・人が入れ代わろうとするその隙間で
お母さんに席を促すとはじめは遠慮されていたが
笑顔で座ってくださった。
私はなんだかやっと安心できた。
おせっかいなのかもしれないし、
そういう光景はいつも電車に乗る人にとっては
当たり前なのかもしれないが
わたしにはこの電車内の音と人の不調和は
やはり、違和感を覚えるし、疲れてしまう・・・
高齢になって
車に乗れなくなったら
さびれた昭和の駅前商店街を巡って
大衆酒場巡りをもくろんでいたが
まずは単線のローカルな
空いた電車から始めるとしようかな・・・
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
秋、霜降のころ①・・・もう霜降、台風と本
「霜 降(そうこう)」を迎えるこの時期に
西に向かってくる台風が発生です。
霜降とは・・・
秋が一段と深まり、朝霜が見られる頃。
朝晩の冷え込みが厳しくなり、
日が短くなったことを実感できます。
初霜の知らせが聞かれるのも大体このころで、
山は紅葉で彩られます。
コートや暖房器具の準備など、
この頃から冬支度を始めます。
読書や編み物をしたりして、
秋の夜長を楽しむのもいいですね。
という季節です。
➡台風26号
進路は、「米軍台風進路予報(計画)」でご確認なさってください。
本当によくやりますよね。(よくやられます)
この時期に西に進むことも
進路が定まらないというのも不自然・・・
それにしても素晴らしく高価なスーパーコンピュータを導入させて
進路はわかりませんというのもお粗末な気象庁・・・
天気を所有しようとする彼らの狙いは
戦力としてこの気象コントロールを考えているということ・・・
In deepさんによれば、それは中国も狙っているということ・・・
もうすでに、世界は気象・災害コントロール戦争です。


あんなに国益国益という政治家さんたちも
医療、電磁波、人工気象、災害については追及する気配すらありません・・・
この20年で日本の被害額は約42兆2000億円・・・
年間平均、2兆円以上・・・
いまだ復興を遂げていない地域を考えると
累積はもっと多くなると思います。
毎年毎年、2兆円以上の実被害を受けていて
そのたびに税が増え続け・・・
(ほんとうの自然災害で困っている方々に届くのであれば全く異論がありません)
それでも黙らなければいけないのでしょうか・・・
特に特別会計へメスを入れることは政治家のタブーとか・・・
呆れます・・・

さて、
最近花結び(音読会)の本が変わりました。
花結びは、同時に複数の本を読むために
ある本がもう時代遅れになってしまったからです。
その本の花結びでの読破はやめました。
それほど時代が早いということです。
ある本とは、こちら・・・
わたしが昨年、読み切った時は
本当に感動しましたし、いまもまちがいなく素晴らしい本でしょう。
しかも、アマゾンレビューでは、まだ高評価が多いです。
しかし、
それでも、・・・この数か月で実行検証のすえ
この瞬間にそぐわない項目も出てきました・・・
そぐわないというよりかは、
さらに補足が必要になったり・・・
ささやかな庶民の希望としての技術でさえ
背後に「彼ら」がいることが明確になったり・・・
この本の内容でさえ、通過点となってきたりして・・・
そういう意味でなんとなく
物足りなさと遅れを感じてきたということでしょうか・・・
それだけ時代が早く動いているということです。
本には、何年たっても新しいものもあれば
こうやって一年もたたないうちにどんどん古く感じる本もあるのです。
その両極端を垣間見る二冊です・・・
ああ無常・・・
こんな時代だからこそ
こころの普遍を彩る、美しい随筆の「日日是好日」を
選びたくなったのかもしれません。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
秋、寒露のころ⑮・・・脈をはかる
四十肩で言っても
腰痛で言っても
必ず脈をはかられる・・・
人差し指
中指
薬指・・・
三本の指を手首にあてて
じっと耳を澄まされた・・・
はじめていったとき(20年ほど前)は少々驚いたが、
臓器の弱まりが腰痛や肩痛につながっていることを
素人なりに知識として知っていたので
「なるほど」という安心感が生まれた・・・
ふと、昔の本をめくりたくなって
本棚を探した・・・
その中に自分で自分の脈をはかるという章がある・・・
人差し指・・・心系(心臓・循環器・小腸・舌・神経系) ニョロニョロ動く
中指・・・脾系(胃・口・消化器官・代謝機能)と肝系(肝臓・胆のう・目・精神活動・血液調整) ピョンピョン跳ねる
薬指・・・腎系(腎臓・膀胱・耳・生殖系) どっしり動く
そういえば、何年か前・・・
咳が止まらなくなり、あまりにもひどかったので
珍しく西洋医学の病院にいったときは
脈をまったくとらなかっただけでなく、
PCの画面ばかり見て、わたしの顔色も見ずに
薬の話ばかりしていたのを覚えている・・・
行ったことをすごく後悔したが、
その時初めて、最近の病院は、
薬を外でもらうんだと知ったので
ある意味社会勉強になってよかった(笑)
頂いた薬はほとんど飲まず
やはり自分で治そうと灸や食事に気を付けた。
前述の本は、
医者嫌いだったわたしをさらに嫌いにさせた。
まだ、ダンスをしていたときだったので
からだに気を遣うことが多く、
痛みと内臓はつながっていることは何となくわかっていたが
病院に行かなくてもいいということを
はじめて理論的に説明ができるようになった本だ。
目次を載せておきます・・・


今日の朝は、久しぶりに自分で脈をはかってみました。
腰痛もちの私は、若干薬指が弱く感じました。
土用にも入っていますので、
食事に気を付け、温灸で労わりたいと思います。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
秋、寒露のころ⑭・・・炭火に癒される季節
先日FBでシェアした記事に
炭火のことが出ていました。
「或いは、乳がんが少なかった時代の女性のように、
朝日や炭火などに含まれる遠赤外線や近赤外線を
受けることです。このような諸々のものを、民間療法とか民間伝承などと言って
無視している場合ではありません。無知にも程があると言えます。
海外の文献もよく調べて、勉強していただきたいと思います。」

うちの店と塾ではすでに火鉢を出して
お茶を出しています。
間違いなくお茶がまろやかになります。

炭の燃える薫り
お茶が沸く音や湯気・・・
そして、ほんのり薫るびわ茶
小さいころ私の家でも練炭かあり
冬休みの寒い朝、それを起こすのがわたしの仕事でした。
今こうして再び、この建物でこういったことができるありがたさ・・・
塾で子供たちを待つ間、
しばしこの火鉢のそばで読書することがありますが
その時、じんわり足元が温まります・・・
何とも言えない安らぎを覚え
「健康」などあえて考えなくとも
からだが勝手にそうなっていく感じがします。
昭和から平成・・・
平成から次へと・・・
確実に西洋化した衣食住・・・
不便から便利へと喜んだのもつかの間、
それは私たちのからだが自然から離されることを意味しました。
これから家を買う人は、
リフォームした古民家にしてはいかがですか・・・
AddCafeの周りにも
たくさんの空き家が増えました・・・
その中には、密閉性の高いサッシの家もありますが
まだまだ、木造の建築物も残っています・・・
日々流れる音も
コンクリートの反響は人の精神を病むとわかっています。
木造空間に流れる音はそれだけで安らぎを与えてくれます。
とはいってもほとんどの方が
火鉢や木造をすぐに取り入れられる環境ではないと思います。
戸外で七輪でサンマを焼いたり
晴れた気持ちのいい日には窓を全開して気を通したり
無理やりですが(笑)
友達とバーベキューとか・・・
何とか自然の感覚を退化させないようにすることは大切かもしれません。
日常、できるところから
自然とはなれない・・・
自然に近づく・・・
自然を確認する・・・
そういう工夫が必要になりました。
今日はいいお天気・・・
土、風、火、水・・・
からだいっぱい吸い込みにいきましょうか・・・
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
秋、寒露のころ⑬・・・か・かた・かたち
それは、いのちが生まれるところだ。
そして、その時に書いた渦の正体がわかる本に出会った。


(四角内のか・かた・かたちは管理人加筆)
ちなみに、イスラムのスーフィズムの祈りの儀式で円舞をしたり
ろくろで土を回すと活きた器ができるのはこういう原理だろう・・・
わたしはいま、自然体の受験を目指している。
受験や勉強そのものは、「狂科」にすぎないが
それでも、受験がいますぐ消えるわけではない。
ならば、彼らのいのちが
より自然体で過ごすことができる・・・
もしくは、自然体をつらぬける受験というものがないか・・・
そういうことを模索している・・・
もちろんそれは、努力を要しないとか
さぼればいいという単純なことではなく
それこそ、自分が呼ばれている高校や大学に
いや、もっというと自分が呼ばれている未来へと
自然と向かえるようなそんなアドバイスができはしないかと考えている。
いのちが輝く場が、
たまたま偏差値が高いところで
結果的に偏差値を上げる子もいれば
そうでない子もいる。
そうやって、
その子のいのちが輝く場所をともに探すのが受験(進路)指導と
堂々と言える時代が来ると思っている。
だからそのためには、
そういった指導は、宇宙の真理なのだと
裏付ける理論がないか探している最中である。
今回その根拠一つ、大きな一つに出会えた。
以前、医療と教育は同じ末路をたどるといった。
それは、こういうことだ・・・
これだけ病院が増え
医者にかかる人が増え
医療費もうなぎ上りなのに
なぜ病気がなくならないのか・・・
それは、医者が、病気には目を向けているが
健康(いのち)には目を向けていないからだ・・・
それと同じように、高度経済成長期より
これだけ中小大、さまざまな塾が乱立されているにもかかわらず、
いわゆる偏差値の高い高校へ受験ができるようになる生徒が
なぜ多く生まれないのか・・・
80%、いやせめて、半分の50%を超える数になっておかしくない。
そうなれば自然と偏差値が高い順に定員数も増えて当たり前である。
しかし、現実はもう何十年もたっているのにそうなていない。
これはどういうことか・・・
(ここからは、仮説・・・)
それは、塾は生きた教科を扱わず
死んだ狂科を扱ってるからだ。
生き生きとした子供のいのちに
死んだ狂科は入っていかない・・・
そもそも、勉強と、それにまつわる活動のほとんどが
子どものいのちにそぐわないからであろう・・・
(仮説おわり)
人のからだは進化するようにできている・・・
わるいことがあれば、
自分で治す力が体には備わっている・・・
医者も教育者もそれを手助けするだけだ。
なのに、いっこうに日本が、
偏差値か高くなって仕方がない(天才続出!?)
という子どもばかりにならないのは
どうしてだろう・・・
それは、なにかがずれているからだ・・・
がん患者に対して、
抗がん剤や放射線治療、手術を施しても
ガンがなくならないのは
そもそも、その治療が間違っているからだ…
教育も同じ・・・
まちがった導きをしていれば
成績に対するとらえ方が歪み
「自殺」や「いじめ」・「劣等感過多」など
いのちを削る結果になる・・・
わたしはこのずれに対して、
堂々と こういう理由なんですといった根拠を示し
日常をほぼ勉強のみで子供の力量をはかる大人や
それを求める窮屈な指導に一石を投じたいと思っている。
私たちの仕事は、医者ではないが
いのちと向き合っていることには変わりない・・・
医者は文字通り、生死を左右するが、
教育に携わる私も、
「生きながら死んでいる」子どもになるような指導は罪である。
子どものいのちが輝く先へとそっと
背中を押すだけである。
勉強が好きな子はいい・・・
でも勉強が嫌いというだけで生きにくい未来になるのは何かおかしい・・・
大人の良し悪しの基準がお金(給料)になるように
子どもの良し悪しの基準が勉強・・・なのか?
そうなっていることへの違和感がこの世から消えていく・・・
もしくは自分で消せるほどのエネルギーを・・・
子どもたちに授けられたら・・・
わたしの日々の言行や与えられたこの場が
いのちを生み出す「かた」になれたらと
こころから思う。
いまは、零細塾の塾長のたわ言と笑っていただいて構わない。
でもいつか、
樹木希林さんのような年齢になったら
堂々と、飄々と言えるように
地力をつけていきたい・・・
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
秋、寒露のころ⑫・・・自然体
もともと、「医」は、
「毉」であり
「醫」なのだ。
巫女の「巫」が入るということは
医者は、シャーマンであり、薬草の精霊から病気の原因と治し方を教えてもらう人。
また、「酉」が入るということは
私たちの健康にはバクテリアによる発酵食品が欠かせないということ。
現代医療は肉体しか着目せず
生命(エネルギー・意識)の存在を軽く見ている。
今月の9日、とうとうここまで来たか・・・
と思うニュースが出た。
➡中2全3000人にピロリ菌検査 横須賀市、胃がん撲滅へ
どこまで、健診漬け、治療漬けにすれば気が済むのだろう・・・
その果ては、放射線治療、抗がん剤治療へと行くつもりなのだろう・・・
抗がん剤は猛毒だ。
放射線は効かない。
胃炎、胃潰瘍の原因は、ストレス・・・
病気の原因はストレスというが、
それはおまけ程度のレベルではない。
ストレスをなくすことに全力をかけなければならない。
そもそも、仮に、胃に病を抱える生徒がいれば、
それは、生命エネルギー・意識が枯渇し始めているということ…
その子にとって、学校がそれだけストレスフルで
自然な生き方ができない場ということだ。
そんなに胃がんが気になるのであれば、
給食に番茶を出せばいい。
病とは何か?
それは自然から離れすぎたからだ。
医学の父ヒポクラテスは、
「人間は自然から離れれば離れるほど病気に近づく」と言った。
病とは何か?
食とは何か?
自然とは何か?
学校や教育委員会は是非
ヒポクラテスから学びなおしてほしい・・・
そうい言ったことを問わず
なんでも検診とは狂気の沙汰としか思えない。
これでますます病気の子供が増える(病気にさせられる)かと思うと
わたしは、気が気ではない・・・
せめて「健診にはいかない」という選択肢を持たせてあげてほしい・・・
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
秋、寒露のころ⑪・・・どうしてほしいかではなく、どう生きるのか?
これ、「増税対策」ではなく、「増税うやむや対策」でしょう・・・
言葉からきちんと使ってほしい・・・
そして、話し合う内容も内容だが、
でてくる案はもう笑うしかないでしょう・・・
こういう方たちが
行政のトップ(閣僚)である悲劇は
もう喜劇でしかない・・・
あえてまじめに、お返しすれば・・・
ポイントだろうが、現金だろうが、
「消費」という観点でしか
物事を考えられない貧頭には恐れ入ります。
私たちを豊かにするのは
もうとうに「消費」ではないことは明白・・・
できるだけ生活・・・
●出来るだけ自給自足率を上げる・・・自分が作れるもの、生み出せるものを増やす
●出来るだけ医療から遠ざかる・・・ホリスティックにこころとからだを捉える
●出来るだけ地面と近くなる・・・積極的に微生物とつながる 循環のさせ方を自然から学ぶ
●出来るだけ消費生活を減らし、生産側に回る・・・何にお金を使うのか(循環)を考える
●出来るだけ自ら生産し、生産している人と交流する・・・物々交換できる準備をする
●いつも 笑いとユーモアと挫折・弱さを楽しむ心をもって
どうしてこう言い切れるのか・・・
それは、
「どうしてほしいかではなく、どう生きるか?」
そこを考えることが一番大切だから・・・
それが生きる土台でありエネルギー・・・
政府もエセセラピストもどう生きたいですかとは問わない。
「どうしてほしいですか?」
と聞いてくる。
うっかり、「どうすればいいですか?」
なんて尋ねようものなら、
あれこれいろいろ出てくる・・・
現にうちの母も医師から
「今はいろいろと治療の薬がありますから・・・」と言われた。
救急救命以外に、
わたしたちは、
自分のいのちと生き方を
できるだけ人にゆだねなように、
左右されないように
ましてや国や地方自治体に常に何かしてもらう癖を
なくしていきましょう・・・ということです。
上記のように、
税金(対策!?)も、薬、手術も・・・おまかせ!?
こころの問題を精神科医やセラピストに・・・おまかせ!?
そうやって他人に自分の領域をお任せ過ぎないように
気をつけましょうということ・・・
権力がある他人が考えるのは、
せいぜい薬漬けの延命や
本質から離れた気持ちのいいごまかしにすぎません。
(もちろん世界には本物の医師もセラピストもいますが)
人工災害も
新薬の闇も
医療ムラも
原発ムラも
どれもこれもTV、新聞には出てこないでしょう・・・
マスメディアもコントロールされていますから、
電磁波の「で」の字も言えません。
食と医療とこころ・・・
人任せにするとエライことになりまっせ・・・
というお話です。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
秋、寒露のころ⑩・・・ゴミを拾うとなぜ問題が解決するのか?
Tさんがいう・・・
町中などでゴミを拾うと、
なぜかその人の解決能力が高まり
問題が解決すると・・・
そう聞いたことがあるが、なぜでしょう・・・?

ふと、思い当たる節があった。
10年以上店をしていて気が付いてことがあったのだ。
それは、私自身、
店の周りの駐車場に落ちているゴミに気が付き
それをを拾うと
(管轄内外にかかわらないゴミ)
その日のお店で
新しいお客さんとのご縁をいただくことが
多いということに気が付いていたのだ。
どういうことだろうか・・・
それはおそらくこういうことだ・・・
ゴミは心無いある人にその場に捨てられ動けずにいる。
本来向かうべきところ(ゴミ箱)へ向かえず
まるでポツンと取り残されている。
この世は万物流転・・・
流転していないものは寂しそうに見える・・・
たまたま、それに気が付いて拾って捨ててくれる人がいる・・・
そのごみは再び流転し始める・・・
人間はこの世にいて流転を手伝うお役目がある・・・
止まっているものがあればそれを手助けする・・・
問題を解決するというのは、
実はその人の個人的能力だけがそうさせるのではなく
万物流転の中で、見える見えないにかかわらず
いろいろな人々のお陰様で解決するもの・・・
だからゴミを拾うことで巡りが生まれ、
自然と物事が解決へと流転し始める・・・
もっと言うと、問題はずっとそこにとどまることはできない。
必ず流転しているので、ほっておいても解決する・・・
そうできている。
しかし、この人間界は、
いらぬ欲や執着でこの流転を滞らせる・・・
だからこそ、たまたまゴミを拾ったことで
結果的にその流転を助けたことになり
巡り巡っておのれの問題も流転し始めたわけだ・・・
風が吹くと桶屋が儲かる式に
世の中は思いがけないところからつながり、流転している・・・
つまり解決へと向かったわけだ・・・
人とのご縁もそう・・・
人のご縁も流転している・・・
ゴミを拾ったことで滞りが少し揺らぎ
いつも出会わない人とめぐり合うことになった・・・
ちなみに、
「捨」・・・手偏にとどまる・・・流転を止める
「拾」・・・手偏に合う・・・流転が順調
ごみをそこらあたりに捨ててはいけませんというのは、
自分自身の巡りを止める愚行であるからである。
漢字もそう物語っている。
気になる方は一度されるといい・・・
できれば、結果を必ず得るぞという欲を捨てて
とにかく試されるといい・・・
世の中は、宇宙は・・・
「どうやらそうできているらしい」ということがよくわかります。
私はこの「どうやらそうできているらしい」を
日々見つけることが結構好きである。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
tag : 風が吹くと桶屋が儲かるゴミ拾い
秋、寒露のころ⑨・・・2年でわかる
何でも変わればいいというものでもありません。
とくに、お金が絡むと人はこうまで変わるのか
という事例がいくつかありますし、みてきました。
「2年の法則」
私はこう名付けています。
どういうことか・・・
例えば、ある本を読みます。
とても素晴らしいことが書いてあり感服します。
その人の2年が経過し、その後を追いかけてみて
そのまま変わらない人は、もっとお話を聞いてみよう・・・
そうでなく、えらく金儲け主義に転じていて
人相まで変わっていることがあります。
その人は、残念ですが敬遠しよう・・・
(キツネやイタチ、その合体が憑いていることが多いです)
これは、スピリチュアリスト、ヒーラーと自称する人に多いのですが、
変わってしまう人の中には、医者やノーベル賞受賞者にもいるようです。
先日ブログであげた2016年の記事をもう訂正・加筆しなければなりません。
二年前の記事と、11日に言われたことが
ここまで違うのはなぜでしょうか・・・
≪文藝春秋 2016年5月号 抜粋≫
本庶 がんにも自然治癒があるので、どんな治療をしても治る人が出てくることはあります。しかし、一例効いたとか二例効いたという話をしても仕方がない。そんな話を針小棒大に膨らませて、今でも日本で多額の研究費をとって研究をしている人はいます。その代表的な例が、免疫療法のひとつ、がんワクチンです。でも、僕は最初からこれは効くわけがないと思っていました。
立花 どうしてですか。
本庶 極めて単純な話なんです。たとえば僕が肝臓がんだとしましょう。僕のがん細胞の一部は常に死んでいます。その時、死んだがん細胞は抗原となって体内にばらまかれ、免疫系にいわば記憶される。
ワクチンとは、基本的に毒性をなくすか、弱めた抗原を体内に入れて、その抗原に対する免疫の応答性を高めるものです。しかしがん患者の体内には、すでにじゅうぶん抗原はあるはずなので、さらに何ミリグラムか知らないけれども、抗原を注射したところで、大した違いが出るはずがない。
≪2018年10月11日 読売新聞≫

➡朝日新聞デジタルでも・・・
子宮頸(けい)がんの原因ウイルスの感染を防ぐ「ヒトパピローマウイルス(HPV)ワクチン」が現在、積極的に勧奨されていないことも取り上げた。「世界中で使われ、有効性があるという結果が出ている。WHO(世界保健機関)も非常に問題視している」とし、「ぜひすすめるべきではないか」と訴えた。
がんワクチンの定義が両者違うのか?
ウイルスは、変化が激しいため、
自分の免疫力によって防ぐしかないはずでは?
何か医療的な知識不足があるのか?
そもそもこれはわたしの読み間違いなのか?
ちなみに夢の新薬オプジーボに
疑問を投げかける実験結果もあります。
ノーベル賞のニュースでは
連日たくさん治っている人がいると見聞きしていたので驚きです。
➡近藤誠重要医療レポート2017.11
まず、厚生労働省承認の決め手となった試験結果です。
縦軸が生存率。
横軸が月です。
青がオプジーボ(一般名:ニボルマブ)、黄緑が抗がん剤群(Docetaxel)。

二年を超えると、オプジーボ(一般名:ニボルマブ)の成果が
なぜかがくんと下がっています。
次に、承認後の結果です。

どうでしょう・・・さほど変わりません。
それどころか、21か月ごろからかえって悪い結果になっています。
こういう結果になっても、承認はなかなか取り消されないようです。
近藤先生は続けます。
「新薬の臨床試験は、製薬会社が巨額の資金を提供し、研究費をもらっている医師たちが中心になって実施します。そのため、有利な結果がでるようにと、種々のインチキが行われやすい欠陥があります。にもかかわらず、このように製薬会社に不利な結果(新薬無効)が出た場合には、信用性は完璧です。──この結果がオプジーボの真実、と考えていいでしょう。 」
このレポートとノーベル賞、
そして、二年前の記事と11日に出た新聞のニュース・・・
総合して、わたしたちはどう考えたらいいのでしょうか・・・
それぞれに明らかな解離があるとすれば、
どうして変化したのか・・・
と思うしだいです・・・
ゆく河の流れは絶えずして、
しかももとの水にあらず。
よどみにうかぶうたかたは、
かつ消えかつ結びて、
久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人と棲(すみか)と、又かくの如し。
ああ、無常・・・
権力は10年もたず、
富は3代もたず・・・
金が絡めば、人徳3年もたず・・・
やはり、拙くとも
自分の知性と感性で見極めるしかありません。
ああ、無常・・・
しかしながら・・・
希望が落胆に落ちていくこういう時には
使いたくない言葉です。
私は大した立場ではないですが
2年ごとに自己チェックを怠らないようにしたいです(笑)
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
秋、寒露のころ⑧・・・入口まで連れていくだけ
子どもをある世界の入り口まで連れていくだけ・・・
と思っている。
それ以上は、わたしの出る幕ではない。
こういう哲学になったのは、
私のある体験からだ・・・
わたしは、教採に落ちたため
臨時採用を2年続けた・・・
二年目はとある私立の教員・・・
その私立には、わたしの高校の部活の顧問の紹介で一年契約で採用された。
一年頑張れば、正採用という条件も付いた。
だが、そこはわたしにとっては地獄の教育方針だった。
男女交際禁止・・・
異常なほど厳しい月一回の頭髪検査・・・
朝あいさつをしなかった生徒にホースで水を浴びせる副校長(理事長の息子)・・・
その副校長をたしなめた先生が翌日からいなくなった。
赴任一か月で私が学校を辞めたかった。
理不尽すぎる校則を子どもに強要しなければならない教師としての私・・・
ただ、担任をまかされていたので途中で投げ出すことはしたくなかった・・・
また、一年間、子どもとのやり取りは本当に勉強になったし、楽しかった。
当時、いわゆる偏差値がとても低い私立高校の生徒の家庭や生活は
実に複雑な場合があって、現在の「経済と教育」の問題が
子どもたちの心にまで深く影響をしていた・・・
50人いた担当の生徒たちは、50人50人色・・・
毎日かわす日記(学校指定)には、日々いろいろな悩みや怒り、悲しみが綴られていた。
まだ若く、のほほんと生きてきた私に
一年間、一人一人の日記に「赤を走らせ」続けたことは、
世間知らずだったわたしにとってはかけがえのない経験だった。
それでも、進退を決める時期にきても
当初のやめるという決心は変わらず
学校側に辞めると伝えようとしていた・・・
そして、紹介してくださったあの顧問の先生に
とりあえず事情と自分の心の説明を電話でしてみた。
本来は、お会いして・・・と思ったが
ある事情があり、とりあえず電話で・・・とお話をした。
その時だ・・・
一通り話そうとする私の耳に
信じられない言葉が罵声とともに届いた。
「オレの顔に泥を塗るのか!」
思わず受話器を耳から離した。
それほどの怒号だった。
私はびっくりすると同時に
すぐさま心は冷めていった・・・
(なんだこの先生・・・)
私の正直な心の声だった・・・
実は、校則のことは、もちろん大きかったが、それと同じくらい、
「この先生に一生頭が上がらない選択はしたくない・・・」
それもやめる大きな理由だった。
高校で弱小チームを
県内ベスト16か8にまでしてくださったことには感謝していたが、
私の感謝はそこまでだったし、それだけだ。
私はこの先生をどうしても人間的に尊敬できなかった。
(やはりこう出たか・・・)
そんな言葉さえよぎった。
世の中の部活の顧問には2通りある。
生徒が主役、生徒の成長と活躍が何よりもうれしく楽しい・・・という人と、
自分の名誉や地位を守るために試合をしている人と・・・
また、はじめは前者でも、
月日を経るうちに余分な荷物を背負い込んで後者になる人もいる・・・
そのいずれかによって生徒にかける言葉は全く違う。
そういうことは生徒が一番敏感に気が付いている。
高校の顧問は、わたしから見てまぎれもなく後者に映っていた。
それがこの電話で表面に出ただけだ・・・
(わたしはあなたの道具ではない)
どう電話を切ったか覚えていないが
私の意を貫かせていただいたことだけは覚えている。
生徒は先生の道具ではない・・・
ましてや所有物でもない・・・
大きさは全く違うが
昨今のスポーツの問題は、
まさにこういう所から出ている。
一人の人間として人生の岐路に立ち
真剣に悩み結論を出そうとしている・・・
その足元を見て
おのれの名誉欲や自己顕示欲を満たすために
これからの若者を縛るのは言語道断!
このいやな経験から私が気づいた哲学・・・
子どもが岐路に立つとき・・・わたしができることは、ともに考え寄り添う。
その子のいのちが一番輝く場所の入り口まで連れて行ってあげるだけだ・・・
あとは
「グットラック」と
「よかったら、いつでも遊びにおいで」だけである・・・
昨日は、ご縁があってとある高校の部活見学に行った。
オープンキャンパスでは雨天で、お目当ての部活が見れなかったのだ。
お母さんは自営をされてお忙しいので
生徒との会話の流れで付き添うことにした。
そこの高校はとてもご親切にしていただき
思いがけず、練習にも参加できた。
ここまでくればあとは本人が決めること・・・
私は、見守る側に回り、その生徒が答えを出すまで待つだけである。
あれから何十年もたつが、
先日あげた樹木希林さんの手紙がわたしの目指す教師像・・・
今年も受験の時期がやってきます・・・
それぞれの性質によく耳をかたむけ聞いて
その子が一番輝く場所を共に探す。
教育って教えるだけでなく、
寄り添い共に育つことかもしれない。
それが面白くなったら、
ああ、教師になって幸せーっっっョ。
樹木希林
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
秋、寒露のころ⑦・・・母と学ぶ
今年の台風は毎週しつこくやってきましたので
散らかった木々の後始末や雨戸の開け閉めは
80を超えた母にはかなりからだに響くようで
疲れが残っているとは言っていましたが、
お陰様でそれでも元気に暮らしております。
猫の額ほどの庭に育つびわや柿、梅の木とはいえ
そんなことがあっても母は、
伐採する気にはなれず、
日常の楽しみとしてそのままにするようです。
私もできるだけ母の考えを尊重したいと思っています。

人は死んでからその人の在りし日の生きざまがわかります。
母も父が亡くなってから、
その父の悪口を言う人がいないし、
父という家長の壁が取れてからも
受ける風当たりがきつくなることもなく幸せに過ごせるのは
「お父ちゃんのお陰やな・・・」といつもつぶやいています。
人が一生をかけて培った人間関係の証は
こういう死後にばれてしまいます(笑)
私も気を付けて日々精進しなければと父母に教わります。
さて、昨日の目的のひとつは
「近藤誠」先生のレポートと動画を母に見せることでした。
➡「治療の真実を知ろう! 近藤誠の重要医療レポート」
80過ぎようとも学ぶ姿勢で動画を見る母には感服します。
決してめんどくさがらず、自分のからだのことを学ぼうとする姿勢は、
学歴など全く関係ない人の尊厳を垣間見ます。
きっと子どもたちも本当に学びたいことであれば
それなりの好奇心を抱いて学ぶのでしょうが
いかんせん今の教科は、子どもの未来を築くためのものではなく
単なる既存の知識の焼き増しと偽造がある(特に社会と理科)だけです。
子どもたちにとっては、「狂科」の側面もあるので、
知的創造を自ら探さなければならないつらさがあると思います。
私も受験としてはこう、真実はこうともいわれている・・・と
教えるときに二倍の時間がかかるときも多くあります。
できるだけ偏りなく伝えたいです。
昨日は、道々
近藤先生の動画を見ながら犬山城のほとりへ向かいました。
二人とも豆腐が好きですので田楽屋へ・・・
「でんがくの松野屋」
菜飯と田楽のセットをいただきました。

老舗らしく、現役の高木守道のユニフォームがありました。
ちょっと懐かしい・・・

いつかゆっくりと歩きたい犬山城下町です。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
秋、寒露のころ⑥・・・夏目友人帳
何年かぶりに映画館で映画をみた。
「夏目友人帳」である。
このアニメは、TVでは実にロングランで
シリーズが6までいっているという・・・
Piyo さん談話・・・
わたしとpiyoさんにとっては親しみ深い見えない世界だが、
そうでない人たちにも是非みてもらいたいアニメである。
アニメも映画も、長く続くと飽きさせない演出のためか、
話が無意味に大きくなって「宇宙」やら「世界地下組織」やら
必要以上に壮大になって、とんでもない方向へいくものもある。
売れることだけを狙うから、かえってこちらがついていけなくなる・・・
この夏目友人帳は、どんなに長く進んでも立ち位置をかえずに、
あくまでも「あやかし(もののけ)と人間」というテーマを愚直に扱っている。
実に、好感が持てて安心できる。
人間のこの世界と見えない世界は
「感情」というこころの浮き沈みにおいてはさほど変わりはしない。
そっとしてほしい時は、そっとしてあげて、
感謝をのべるべき時は「ありがとう」といえばいいだけである。
そうしていれば、どちらの世界も平穏無事である。
人間界で当たり前のことが
あちらの世界でも当たり前に起きているだけである。
ただ、形があるかないかだけ・・・それだけだ。
そして、切り離された別個の世界ではなく、
同じカードの表と裏で、かつ常に連動している。
こちらの人間が努力をして乗り越えれば
それはあちらの世界でも乗り越えたことになり
ともにハッピーになる。
わたしが、誰かの誘導と援助を危険視するのは、
それはこちらの世界では「親切」と思っている誘導・援助が
実はあちらの世界では、たすけどころか害になりさえするからである。
人間があちらの世界に公害を撒き散らすようなものだ。
また、かえって、直霊をぬかれて、コントロールに気がつかない
コントロールにさらされるからである。
この世にも、
他人を下にしてコントロールしたがる輩がいるように、
あちらの世界でもいるのだ。
そして、その霊力は人間よりはるかに強いから
すぐさま配下に下ってしまう。
そのひとの過去世を癒せるのは
この世の本人だけで、他人はやってはいけないのである。
本人の気付きだけがあの世の本人を癒せるのである。
これが宇宙の法則の大原則なのだ。
(医療で言えば、薬が効かないのと全く同じ、治すのは本人が持つ自然治癒力)
「小さな親切、大きなお世話」なのだ。
夏目友人帳は、そういったあの世とこの世の原理原則を
実に優しいトーンで自然に教えてくれる。
どんなあやかしも自ら気がついて成仏し始める。
また、この世の人間の気づき、優しさであの世のあやかしが
自然とこころ癒されている。
やっつける、やられるの図式はこの宇宙には存在し得ない。
なぜなら、どんな感情も
他人の力尽くでは消えない(癒えない)ようにできているからだ。
この世あの世はすべて繋がっていて、他者などいない。
相手を滅ぼすことは、己を滅ぼすこと・・・
相手を生かすことは、己を生かすこと・・・
その事を教えてくれる実に「まっとうで優しい」アニメだ。
映画館へ足を運ぶのもよし、
TVで放映されるのを待つのもよし、
今の子供たちにも是非触れてほしいイチオシのアニメである。
秋、寒露のころ⑤・・・生野菜
恒例の前夜祭があった。
子どもたちはもう祭り気分でとても楽しみなのか
しきりに前夜祭の話をしている・・・
わたしは、地元の子どもたちが祭りに行かなくて
いったい誰が祭りに行くんだ!という考え方なので
行きたい子には授業を振替をしている。
「子供の喜びや歓声」は
その地域をまつる(祀り上げる)・・・
裁縫に「まつり縫い」という縫い方がある。
裾上げによく使う縫い方だが
下の布をに針を刺し、すくう。
そのあと上の布への針の指し方がとても重要だ。
できるだけ目立たず、織り糸の1.2本をすくって
表からは目立たなくする。
それを5ミリほどの間隔で繰り返していく。
上の布を「縫う」とは言わず
「すくう」(救う)というところが、言い得て妙である。
私はこのまつり縫いの美しさを
父に教えてもらった。
父は、背広職人だったので
小学生の私には信じられないほどの速さと美しさで
縫い上げていった。
この津に来て、
子どもたちが祭りを楽しみにするあまり
塾を休んだり、振り替えてほしいと依頼が来るようになったあたりから
私はこのまつり縫いと祭りが重なる。
下と上(子どもたちと神々)が見事なまでに
「糸」(意図)によってまつりあげられていく・・・
出来上がる布は、上下の境目がないほど一体化していく・・・
その昇華されたさまがなんとも美しい・・・
だれの御業なのか表からはわからない・・・
祭りと子どもは一体である。
子どもが楽しまない祭りに神はいない。
神は子どもが大好きなのだ。
布と糸と神、まつり・・・

(父の手仕事まつり縫い)
で、題名の「生野菜」・・・
とある生徒たちとの会話・・・
生 「先生、こうやって書いて『ぜんやさい』って読むんやんなー」
手もとの紙には〝生野菜"と書いてある。
わ (へっ!?)
顔を見ると大真面目である・・・
???
わ 「それ真剣に言っとるんやんなー」
・・・・・(大笑)
わ 「どっから聞いたん」
生 「え、ずっとそう思とった!」
一同、大爆笑・・・
話はここで終わらない・・・
すぐさま、別のある生徒・・・
「生野菜って、『ぜんやさい』とも読めるんやな(少し確認&納得気味)」
もうかみ合わずに、わけがわからない(笑)
全く人の話を聞いていない方たち・・・
うちはそうやって日々笑いあっています。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
秋、寒露のころ④・・・土と微生物に触れない人々
「土」「微生物」について触れない
(文字通り、手でも話でも)
医者とスピリチュアリストは
敬遠することにしている。
上ばかり、空ばかり、宇宙ばかり見ている・・・
PCばかり、薬(金)ばかり見ている・・・
そういう地に足がついていない人たちのことだ。
キラキラ、わくわく、ふわふわだけでなく、
べたべた、ぬるぬる、真っ暗も大切なのだ。
土、微生物抜きでの「宇宙人」「神」もどこか心もとない。
いや、土、微生物が何より「神」(神業)であろう・・・
地は、血となり、肉(からだ)となる。
地は、知であり、血なのだ。
赤血球はすべての細胞の原型・・・
細胞こそ神(神業)・・・
「神は細部に宿る」 アビ・ヴァールブック/ドイツの美術史家
からだを離れて、土を離れて、何かを語っても
それは絵空事でしかない。
ましてや、霊視もスピリチュアルもない。
下の図は、本間真二郎先生の病気の原因を図式化したものです。
➡病気の原因(総まとめ)

僭越な物言いで恐縮ですが
人間が世界をとらえるとき、
こういうバランスがとても大切です。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
秋、寒露のころ③・・・教科と狂科
以前、文藝春秋2016年5月号で「知の巨人」立花隆氏と対談しています。
そこでは、アナウンサーの筑紫哲也さんが
いったんガンから復帰したのに
再発悪化しなくなってしまったことについての話が出ています。
立花さんは、筑紫さんとかなり親しかったようで
どうしてそうなってしまったのかという件・・・。
転載は禁じられているので、要約すると・・・
臨床実験の結果をどう見せるかは
「医療側」「製薬会社側」のご都合がある・・・
腫瘍の縮小率が50%より上であれば、
コンプリート・レスポンス(完全奏功)、
下であれば、パーシャル・レスポンス(部分奏功)というらしい。
場合によっては、
20%、30%でコンプリートとパーシャルを区切るらしいのです。
高血圧も、糖尿病もそうやって数値を医療側がいじることで
「病と健康の境目」を区切られてきました。
また、母と私が読んだ
近藤誠理論について触れている個所もあります。
人はどうせ死ぬのだから、
自然に任せたらいいという考え方もありだと・・・
高齢者の前立腺がんや膵臓がんなどは
何をやっても結局ダメという場合も多いし、
手術でかえって身体を弱めるだけ・・・
という場合もあると・・・
ただ、本庶さんの場合は
すべてがそうだとは言えないとも補足されています。
私たちはいろいろな意味で
本当に賢くならないといけません。
賢いとは、いわゆる偏差値的な頭がいいということではありません。
「素頭」・・・私は子どもたちにそう言います。
「素頭」とは、自分で情報を得て
考えて、工夫、判断できる力のことです。
それには、まずは「知る」ということです。
学校で、学ぶ勉強とは違います。
テストもありません。
自分次第です。
何が正しいのかではなく、
より良いものを選ぶ賢さです。
昨日も、子どもたちと腸内環境について
私が知っていることを伝えました。
血が作られるのは、骨髄ではなく腸であると・・・
千島学説です。
こういう時、
受験の理科と、
現実の生体との違いに
彼らは驚きます。
私は続けます。
「教科」はときに「狂科」になっていると・・・
あなたたちを、どこかの方向へ誘導するために
「教科」が存在し、「狂科」であることをふせられていると・・・
大変なのは、受験用の知識と
本当の知識を区別しなければいけない彼らです。
子どもたちは、Mのハンバーガーやドーナツなど、
大人になるにつれて、大量消費社会に誘導される食生活へと
誘われていきます。
一時的にそうなる時期はあったとしても、
再びからだや食生活を考えた時に、
基本となる知識を耳に入れておくことは
とても大切だと思います。
生まれた時から、大量消費社会の中で生きている彼らには
ぜひどこかでUターンしてきてもらいたいなと思っています。
さらに、本庶さんは言います。
免疫療法のひとつ、がんワクチンは、
最初からこれは効くわけがないと思っていた・・・と
かつて、しきりに学校で勧められていた
「子宮頸がんワクチン」をどう見ればいいのでしょうか・・・
医療も、教育も、農・食も・・・
子どもたちを取り巻く大切なことは
根っこでつながり、
互いが連動して動いていくものです。
分野の枠を超えた賢い「学び」が
これほど必要とされる時代もそうないと思います。
11月に津市で本間真二郎先生の講演会があります。
貴重なお話を直接伺えるありがたい講演会です。
インフルエンザのワクチンは
この方のお話を伺ってからでも遅くありません。
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秋、寒露のころ②・・・姫川薬石と長良川薬石!?
ついつい石を見るのが癖な私・・・
そこで意外なものを見つけました。
左の長良川の石です。

右は、姫川薬石です。
素人見ですが、右の姫川薬石と
模様である流紋がとても似ています。
そして、氷をのせると、
姫川薬石とほぼ同じようなスピードで溶けていきます。

左から長良川の石
中央上:プラスチックコップ
中央下:糸魚川市 市振海岸 (姫川薬石とは少し違う紋様)
右:糸魚川市 市振海岸 (姫川薬石の紋様)
溶け方も、姫川薬石類ととても似ています。
岩石の成分的にどうなのか?
上流火山の特質は似ているのか?
どちらも温泉があるがそれも似ているのか?
などを知りたくて、自分でも調べたり聞いたりしています。
結果が出たらまたご報告いたします。
それにしても氷の解け方からすると
やはり何か効能がありそうです。
石は、医師・・・特有の周波数が私たちを癒すことは間違いありません。
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秋、寒露のころ①・・・時間を味方に付ける
秋分から数えて15日目ごろ。
寒露とは、晩夏から初秋にかけて野草に宿る冷たい露のこと。
秋の長雨が終わり、本格的な秋の始まりになります。この頃になると五穀の収穫もたけなわで、農家では繁忙を極めます。
露が冷たい空気と接し、霜に変わる直前で、紅葉が濃くなり、燕などの夏鳥と雁などの冬鳥が交代される時期でもあります。
この頃は、大気の状態が安定して空気が澄んだ秋晴れの日が多くなります。夜には月も美しく輝いて見えます。寒露の頃になったら、空を見上げてみてはいかがでしょう。これまでと違った、秋の清々しさと趣を感じる空に出会えるはずです。
今日から寒露・・・いよいよ秋らしくなる。
そして、この時期
「時間」を見方につける手仕事が多くなる。
先日、酵素ジュースを教えていただいた。
宙言、花結びのUさん。
私はこの方に、時間を味方につけることを教えていただいた。
近代スポーツをやっていた私は、
「速く、強く、遠くへ」
の生活を長年つづけてきた。
近代とは、人と比べて
「より早く、より強く、より遠くへ」
すべて計測できる世界・・・
「時計と物差し」は、わたしたちの生活を確かに効率的にした。
しかしその効率で埋められない豊かな世界があることも
この地球では、経験できる。
時と時の間・・・「間」
その間が作り出す微細な世界。
砂糖
果物
ちょっとの植物
そして、一日二回のかき回し・・・
たったこれだけで
なぜ酵素ジュースができるのか・・・


人間のバカでかいだけの力では到底こんなことはできない。
微生物の世界・・・本当に不思議だ。
微生物にごきげんだ働いてもらうには
ありがとうの感謝と笑い・・・
人生という時間もこの二つでおいしく発酵するらしい・・・

(宙言屋外学習会にて)
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秋、秋分のころ⑰・・・河口堰も徳山ダムもいらなかった
ある公共事業の白紙撤回を求める
「市民学習会」に参加してきました。
人数は50人ほど・・・
いったいどんな公共事業かいうと、
「木曽川水系連絡導水路」


この公共事業・・・
みなさんはご存知でしたか?
2006年突如現れた計画で、
2007年には長良川へも水を流すように計画変更・・・
今は凍結されています。
(凍結と言っても、税金は毎年億単位で使われています)
わたしは、
大変勉強不足で恥ずかしいのですが、
この年になるまで知りませんでした。
最近「宙言」で長良川の河口堰を勉強しなおしていて
はじめて知りました。
今回はバズに乗ってこの導水路計画のある場所を
巡るものでした。
宙言メンバーと屋外学習会です。
といっても、最後の鵜飼いが楽しみでいっていましたので
なんとまあ、動機不純なメンバーかと思いますが・・・
ずーっとずーっと端折って結論をいえば、
この「木曽川水系連絡導水路」は不必要ということ。
国が言う、
水が必要!
治水のために!
は、これまで全く違う結果になっていること。
水は余っていて、
ダムをつくっても
河口堰をつくっても
決壊、洪水は起きていること。
万一着工がなされれば、
その費用と自然破壊の負の荷物が
孫やひ孫の代まで負担がいくこと。
そもそもこの事業は、
徳山ダムや河口堰でいわれていた
治水や水の確保という名目が、
まったくなされていないための尻ぬぐいのようなもの。


(現在、業用水は0%水道水も16%しか使われていない。
名古屋市に至っては一滴も使われていない。
しかも今後、人口減などにより水の需要は減る一方。)


その無駄が世論でやり玉にあがる前に
徳山ダムと河口堰の無駄とごちゃまぜににして
どさくさに紛れて、わからなくしてしまえ~
という感じの公共事業です。
まったくいりませんね。
村ひとつ、8地区、466世帯、1500人もの人の生活を
徳山ダムのために水没させておいて・・・
河口堰建設で、長良川のアユやシジミを激減・絶滅させておいて・・・


今度は、木曽川のシジミを守るための
木曽川水系連絡導水路だという白々しさ・・・
また、徳山ダムの水が長良川に流れると
アユは壊滅すると言われています。


学習会の主催者のお一人は
「たわけた計画」(ばかな計画)とおっしゃっていました。
美濃尾張弁が心にしみました。
学習会後記・・・
国は、巧みに国交省(国土省)のOBや縁者を
地方自治体に送り、わたしたちの生活と自然を
あっけなく破壊し、略奪する合法的強盗集団のようだ。
人生大抵のことは、やり直せるしゆるすことができる。
しかし、公共事業だけはそうはいかない。
ただ、
戦いでなく、憎しみ合いでなく
人間の良心というただ一点だけで
こういうことをやめたり
回避したり
代替したりすることはできないものか・・
はじめて訪れた強風大雨の徳山ダムは、
山が、木々が、風が泣いていた。
水の神、
龍が鳴いていた
現在の徳山ダムには間違いなく
1500名もの人の生活が
今も沈んでいる。

そう思うと、
どんな立場も
どんな説明も
どんな運動も
「いのちあるものがいのちあるように」という
人間の尊厳に向かうべきであると心から思った。
わたしはわたしのできることをする。

(徳山村の小学校の風景)
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秋、秋分のころ⑯・・・見えないところは諸刃の剣
実に危ない・・・
今の日本の悠長さを表す事件と決定がなされています。

そういうことを知るのは、ゴルゴ13が一番のようです。
漫画はノンフィクションとして
勉強になるものがいっぱいあります。

霊でも、ネットでも・・・
どちらも諸刃の剣・・・
いつの間にか主従が逆転している。

国も地方自治体も
ちゃんと予算つけましょうよ。

私たちは、
こわがっていたら何もできないけど、
そういう事実があることも念頭に置く。
日本はいまだ対策不十分。
ちょっと悠長すぎでしょう・・・

霊的世界もお金儲けを考えると
直霊が抜かれ主従逆転。
ミイラ取りがミイラになる。
どちらの見えない世界も
対応と扱いを間違えると痛い目に合う、
諸刃の剣・・・
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genre : 心と身体
秋、秋分のころ⑮・・・うまくいくからやるのか?
宙言でこの人の記事を見ていて思い出したことがあった。
今から10年前、
会社を辞めてお店をするかしないかに迷った私・・・
店をしてもうまく生計が成り立たせられるのか・・・
不安でいっぱいだった・・・
だから、指導霊の巫女さんに聞いてみた。
この方は実に厳しい・・・
二日酔いのまま、会社に出勤した時は
後ろから頭を叩かれた。
本当に叩かれたのだ(笑)
めちゃくちゃ痛かった。
とても怖い存在だが
ものすごく核心をついてくださる方だ。
「店をやってもうまくいきますか?」
すると・・・
「うまくいくからやるのか?」
・・・(それは・・・)
「それはずるいことだ。」
静かな、しかし重いことばだった。
そして、これ以上は言ってくれなかった。
どうやら、うまくいくから挑戦するというのは
彼方の世界ではずるく卑怯なことのようだ・・・
意外な回答だった。
でも、人生を生きることとは、そういうことなのか・・・
うまくいくからその場に身を置くのではなく
とにかく一生懸命やってみること・・・
そのことでしか、魂は磨かれないと・・・
前述の本庶さん・・・
若者たちに「6つのCを大切に」と掲げる。
「好奇心」Curiosity
「勇気」courage
「挑戦」challenging
「確信」conviction
「集中」Concentration
「継続」Continuation
自らのモットーでもあり、後進の若者たちへの激励でもある。
基礎研究のモットーは、
私たち人生の、そして新しいステージへ進む人
すべてへのメッセージだと思う。
一語一語味わいたい。
私のように軟弱で俗的な人間はそうそう、
人生の岐路には立たせてもらえないが
もし立った時には、本庶さんと巫女さんが示唆する言葉は重い。
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genre : 心と身体
秋、秋分のころ⑭・・・すぐわかる幸せとすぐわからない幸せ
おそらく読んでいるときにまだろっこしくなるのだと思う。
しかし、読破した数少ない小説の中で
ある方から教えていただいた小説は
ほんのりじんわり実に味わい深いものだった。
よく本を読まれる方は
何の本がよいのか的確に教えてくださるし
その方のお人柄もよくわかる。
「舟を編む」
映画やアニメ化もされたのでご存知の方のいらっしゃるかと思うが
この作品を通して、私は初めて国語辞典というもののつくられ方を
細部にわたって知ることができた。
たくさんの言葉を、
可能なかぎり正確に集めることは、
歪みの少ない鏡を手に入れることだ。
歪みが少なければ少ないほど、
そこに心を映して相手に差しだしたとき、
気持ちや考えが深くはっきりと伝わる。
一緒に鏡を覗きこんで、
笑ったり泣いたり怒ったりできる
「舟を編む」(P186)
歪みのない人たちと笑いあい、少しだけ日常から離れた、
しかし、日常ととても関係のあるお話をさせていただく時間は
本当に有意義だ。
そういう方たちとお話をしていると
子どもたちとお話しているときのように
自分のゆがみが治されていく。
数少なくていい。
歪みのない友とともにいる時間・・・
それは、限りある時間の中で
いちばんの仕合わせなのではないだろうか・・・
幸せではなく、「仕合わせ」・・・
実はもっと古くは「為合わせ」・・・
「しあわせ」という言葉は奈良時代からあるが、
もともとは「為合わせ」と書き、
室町時代になり「仕合わせ」に変わっていったという。
だから、剣道などは「試合」ではなく「仕合」なのである・・・
近代になり、個人がクローズアップされる中で
「仕合わせ」が「幸せ」になり、
「幸」から「咲きあい」(さいわい)というニュアンスが消えていった。
「しあわせ」は個人の「幸せ」ではなく
互いの「仕合わせ」「為合わせ」・・・
「合」は「逢い」でめぐり合い・・・
歪みのない人たちに囲まれると
そういうめぐり合わせに感謝しか生まれない。
ありがたいことだ。
今日はひんやりとする秋の朝・・・
「舟を編む」を教えてくださった方は
もうこの世にはいない。
なぜか、今朝はその方を思いだしていた。
きっと、秋のさわやかな空気の中に
来ていらっしゃっているのだろう・・・
その方との仕合わせに感謝しつつ・・・
今日も、「宙の言の葉」&「ランチ営業」をさせていただきます。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
秋、秋分のころ⑬・・・どうしても、来させたいのね
緩和チャレンジ続けます。
日日是好日
数霊25・・・得ではなく、徳を実行すること。
家族への感謝を伝えよう・・・
コンレイ=数霊57と66
57・・・笑顔を忘れず、白いものを着たり、食べたりしましょう
66・・・自分が持つ優しさを発揮しましょう。
自分より弱い立場の人たちの助けになる生き方を心がける。


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genre : 心と身体
tag : 台風25号
秋、秋分のころ⑫・・・日日是好日
「日日是好日」でした。
昨日の花結び(音読会)でTさんが見てこられたというので
いろいろとお聞きしました。

Tさんは、お茶をされていらっしゃいますので
本当にこの映画を楽しまれたそうで
途中、予告編の動画を見た時も涙ぐまれていらっしゃいました。
その涙のわけはお尋ねしませんでしたが、
「わたし、最近思うんですよ。
こうして、毎年同じことができるってことが
幸せなんだなーって」
樹木希林さんのこのセリフは、
まさに、ご本人の樹木希林さんのことや父のこと、
そして自分自身のこと・・・
いろんなことが重なって思わず私も涙・・・

原作のエッセイにもある実際の言葉・・・
「すぐわかるもの」と「すぐにはわからないもの」・・・
私たちに時間が与えられているわけ・・・
「風」がふくわけ・・・
今後、50代ではわからなかったことに
たくさん出会えるのかと思うと・・・
日日是好日 (にちにちこれこうじつ)・・・
ですね・・・

樹木希林さんがまだ生きていらっしゃるようです。

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