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夏、小満のころ⑫・・・なんにでもなれる「空(くう)」

ゴッドゾーン・・・

二回目は、ダンス本番中の舞台の上だった。
あれはきっと舞台の神様がいらっしゃったと思えるほどの
美しさとの一体感だった。

舞台の下手前・・・
わたしはそこに板付きをしていた。
板付きとは、暗転の中すでに舞台に立っていることで、
蓄光テープのバミリを目印に立つことになる。

ゲネプロ(本番通りのリハーサル)通り、暗転の中
その場ミリに立って照明が入るのを待つ・・・

アナウンス、照明、音入り・・・

そういう順番だった・・・

ゆっくりとサスが入る・・・

※サスとは、サスペンションライトの略で
円錐状の一本の光のため
その演者を強く印象付けることになる。
真上からあてれば、演者の顔に陰影ができ
独特の雰囲気を醸し出す。


サス
ネット検索より)

そのときだった・・・

ゆっくりと降りてきたその円錐状の光が揺れ始め
やがて空気の分子がキラキラと見え始めた・・・

以前書いた不食もどきをした時と同じような感じだ・・・

その分子は一つ一つがまるで柔らかい砂金のように
わたしのからだに降りかかり、透明な布でも通り過ぎるかのように
さらさらと消えていく・・・

からだと光の粒子・・・大小の関係性などどうでもよくなるほど
自分がまるでその分子の一つにでもなったかのように
ゆらゆら揺れ始め(感覚の問題で、実際は揺れていない)
自分のからだ、空気、光、観客・・・すべての境目がなく溶けていく感覚を覚えた・・・


今までにないトランス状態がわたしをおそった・・・
自分でありながら自分でない感覚・・・


ゆっくりとフェイドインしてくる音が
わたしを自我へと戻していったが
このままずっとずっとどこまでもいられる気がした。

「時が止まる」とよくいうが
あれは、時が止まるのではなく

時という姿をもった波動が、
ひかりやからだやモノたち・・・
自由になんにでもなろうとする瞬間なのだろう・・・

いわば、今まで乗っていた波動の乗り物を
別の乗り物に変えようとしているだけ・・・

そんな気がする。

時も ひかりも 衣装も 舞台装置も・・・
みんな姿が違うだけの波動だということ・・・


美しい・・・
いったい何に対して美しいというのかわからない。

「存在」に対してか
「世界」に対してか・・・

とにかく

「ああ、美しい・・・」

そう思ったのだ。

やがて天寿を全うし、あの世へ帰る時、
こういった「空「(くう)」の層を通って行くのかもしれない。



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genre : 心と身体

tag : 空(くう) 踊り ダンス ゴッドゾーン

夏、小満のころ⑪・・・ゴッドゾーン

スポーツをしていると、不思議なZone(ゾーン)に入ることがある。

まるで、時が止まったかのように
自分の見ている世界が超スローモーションになり

自分のいつもの目線よりもう一つ高いところ・・・
そう、後頭部のちょっと上あたりから見ているような感じになり・・・
すべてがゆっくりとはっきりとみえるのである。

わたしはこの時の隙間を
ゴッドゾーン(神を垣間見る領域)と名付けている(笑)

今までで二回経験しているが、
あとは、自分が死ぬ時の走馬灯だろうか(笑)


一回目は、高校のソフトボールの試合中だった。

その試合は、私たちのチームにとっては
絶対に勝ちたい宿敵の相手だった。

相手チームのピッチャーは、丁寧にコースを突いてくるため
なかなか打ち崩せない嫌なタイプだった。

対戦が決まると、
毎日そのピッチャをイメージに浮かべて素振りを繰り返した。

イメージの中では、どのコースも打てる映像がはっきりとできていた。

だからだろうか・・・

打席になって、狙い球をフルスイングした時・・・

なんと、バットを振り下ろすそのシーンから
すべてがスローモーションになった。

コマ送りと言っていい・・・

「カクッ カクッ カクッ」

すべてがはっきりとみえた。
ボールの縫い目(ソフトボールのゴムの模様)が回転しながら
ベース上に届いてくるのもみえる・・・

そして振り下ろされたバットとボールが衝突し、
ボールがぐにゃっと張り付く・・・

何度も読んできた水島新司の漫画のようだった。

t01280206_0128020611908961824.jpg

Cの字型に張り付いたボールが元に戻ろうとして・・・
勢いよくバットから離れていく・・・

ここから元のスピードへ戻っていった。

結果は、強烈なセンター前ヒット・・・

一塁 塁上に到達した私は、
次のサインを見なければいけなかったが
視線と頭は別のことを考えていた。

「ホントに漫画みたいなことがあるんだ・・・」

たった今経験した出来事に
ひとりニヤついていたのを覚えている・・・


「わたしたちは、わたしたち自身にないものは具現化できない」


イメージをすることの大切さから
よくスピリチュアルで言われることだが、
思い返せばまさにそういうことだったんだと思う。

つまり、打つことを当たり前としたから打てた・・・ということになる。


「何を当たり前と思っているのか」
「何をあるべきだと感じているのか」

そのことで人生のかたちが決まってくるんだと思う。



二回目は、ダンスの本番の舞台上だった・・・



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tag : ゴッドゾーン 人生のかたち

夏、小満のころ⑩・・・Deep River

1994年に第一回の自主公演「からだから」を立ち上げ、
回を重ねるごとに、メンバーの生活環境も変わっていきました。

卒業生である私たちは、年齢的にどうしても
結婚や出産、転勤など・・・
人生の転換期を迎えることが多く、
少しずつメンバーの入れ替わりがありました。

途中からは三重大学ダンス部の大活躍もあり
現役の学生たちの人数が圧倒的に増え
小ホールを中ホールへと移しての活動になりました。

わたしがやめる14回目には
卒業生のほうが少なくなっていましたが、
そのさみしさより、現役の学生たちの輝きと活躍が
私にはものすごくうれしかったです。

若い人たちが成長し、舞台で輝く・・・


あのイサドラ・ダンカンの言うように
魂の発露としての舞踊を
わたしは目の当たりにしていました。

私自身、そのころも踊る楽しさはありましたが
そういった魂をまじかで共感しあえる喜びのほうが
圧倒的に大きかったです。


また、作品のよしあしは確かに大切ですが
人間が解き放つ魂の発露は、ひととひとの
「組み合わせ」によるものなんだとわかったのも
この14年間のできごとでした。

ある子と組むとぎこちない学生が
別の子と組むと驚くほどの輝きを見せる・・・

そういうことを数多く体験しました。

人は本当に一人では生きていない・・・
関係性の生命体なのだと悟りました。

「場」と「組み合わせ」・・・

いのちの発露は、ほぼこれに尽きることも悟りました。

舞台上で輝くいのちが
地上の生きとし生けるすべての生命体のように見え
「愛おしい」という言葉がぴったりでした。

さいごの14回目は、会社の時と同じで
まさかこのまま舞台から遠ざかることになるとは
露ともおもわず、ある作品をつくりました・・・


ゆるしの夜明け」

遠藤周作の小説「深い河~ディープリバー~」からヒントを得ました。

5mの真っ白い布を5本・・・

deepriver (1)


その布は、

ときには、河になり・・・
ときには、美しい女性を包むサリーになり・・・
ときには、死者を包む布となり・・・
ときには、愛する我が子を包む産着となり・・・

清濁すべてを包み込むように流れる大河・・・
森羅万象、すべての愛を象徴する「包む」から連想しています。

deepriver (2)

創作はすべてふっと降りてきたものを大切にしていますが、
あとから思えば、この作品はわたしの舞踊創作活動の
ひとつの大きな「おわり」と「はじまり」
象徴していたんだなと思います。

deepriver (3)

日々起こる人間の感情・・・
そのすべての終着点は「ゆるし」だとおもいます。

それさえできれば、必ず次のステップに進み
新たな世界へと旅立つことができる・・・

わたしはそう信じています。


「踊ることは生きること」


これはよく大学の先生が言われていたことですが
先生と離れてから、いつしか私もこれをなぞるようにダンスをしてきました。

架空の世界であった舞台で わたしは
すべての終着点は「ゆるし
ということを学んだのだと思います。

そして、いまの私は
「生きていること そのものを踊り
にしようとしているのかもしれません。

架空の舞台ではない、本物の舞台・・・

ひとはそれを「人生」と名付けています。

日々の何気ない会話、所作、
生きる糧をいただくなりわい、

生きていることそのもの・・・

それらすべてを・・・
この地上という舞台で・・・ 
五本の足の指でしっかりとつかむように・・・

まさに踊るように生きていこうとしているんだなと思っています。

deepriver (4)

先日、これを書くために
押し入れの奥からとりだした「からだから14」のパンフレット・・・

冒頭のあいさつ文です。

からだから14あいさつ文

「自分とは何者か・・・」


身体をまとった私という波動がどこにたどり着くのか・・・

ダンスをやめた今でも
それを探す旅はまだまだ楽しく続いています。



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tag : ゆるし ダンス 踊り DeepRiver

夏、小満のころ⑨・・・からだから

自主公演を立ち上げるまでも
JUJUWORKSというチーム名で活動はしていた。

佐野元春の曲「ジュジュ」からとっている。

とにかく創作すること、踊ることが大好きな仲間ばかりだった。

その同志数名と立ち上げた公演名は、
みなと考えに考え、からだからと命名した。

これでハード面、ソフト面両方つくれたことになる。


からだから」は仮名の切れ目で2つの意味を持つ。

「からだ・から」は、
文字通り「からだ」での身体表現のこと・・・

「から・だから」は、頭で考えず、空っぽにして踊る・・・



立ち上げると決めてから
忙しい日々がつづいた。

舞台の手配・・・
パンフレット、チケット作り・・・
照明・音響さんへの手配・・・
作品創作、後援依頼、運営分担、集客・・・

全て一からだった。

作品作りは、夜中まで続くこともあった。

いまのようにインターネットもSNSもない時代・・・
作品に使う曲を求めて、何軒もCD屋を回ったり
マンパワー全開で、チラシを配り、チケットを売った。

自分たちの持っている経験と知恵を総動員したと思う。

ものすごく楽しかった。

この年、ちょうど三重県総合文化センターがこけら落としの年で
たしか、そこの小ホール(250~300名)を格安(半額?)で借りることができた。

舞台との巡り合わせも 本当に不思議である。

20180504_172347.jpg
からだから1)

どのメンバーも出し惜しみなどみじんもなかった。
あのときのエネルギーをどう表現したらいいだろうか・・・

だれにも命令などされてなくとも
「こうする」と決めた理想に向かって進んでいた。

三重のダンス文化を変える・・・
若輩者たち(笑)が集まって
勢いと笑顔だけが取り柄だったような気がする。

やれない理由を探す時間はもったいなくて
「何とかする!」ための方法だけを探した。

「必ずやれる」という根拠のない自信が自分たちを支えた。

それでも、なぜか企業戦士のような
ガツガツし過ぎた空気はなかった。

どこかそれぞれのメンバーの
凛としたのんびりさやマイペースもあって、
笑いが絶えない牧歌的な要素もあった。


出し切ることのすばらしさ・・・

29歳でメンバーとともに舞台をつくろうと思い立ち
30歳で自主公演の初舞台・・・。

けっして若いとはいいがたい。

でも、年齢は関係ない。


若い人に言いたい。

人生を楽しみたいなら
出し惜しみはやめるべきだ。
また、もったいぶるのもやめたほうがいい。

人生そんなに長くない。


そういうエネルギーの使い方をしていると
自分の周りにもそういう人しか集まらなくなる。

自分が何かをやると決めたら
自分から力を出す。 

出し惜しみしない・・・
もったいぶらない・・・


先日の個性でも話したが、
出しても出しても枯渇しないのが
その人の本当の能力だと思う。

一度出し切ってみるといい・・・
それでもなくならなかったら
それがあなたの本当の力だ。


これも幸せになるひとつのコツなのかもしれない・・・




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tag : からだから 個性 JUJUWORKS ダンス 踊り

夏、小満のころ⑧・・・イサドラ・ダンカン

わたしの大学4年間のダンスの舞台は、
いまはもう取り壊されて
「三重県総合文化センター」(一身田)に集約されていますが、
その当時は、津市警察署のそばにあった文化会館(?)でした。

舞台は、当時でも珍しく
文字通りヒノキでできていて
「檜舞台」という言葉にふさわしいレトロなステージでした。

わたしが出会ったダンスは
基本裸足で舞台に立ちます。

足の裏から感じる床の感触、舞台の温度は
いまのスピリチュアルで言う
「グラウディング」に当たるものでしょう・・・

ダンスの先生が、私たちに舞踊を教える際、
根底にある人物がいました。

イサドラ・ダンカンです。

近代に入り、古典的クラッシックバレエから派生した
様々な身体表現が生まれますが、
その中でも一番衝撃的だったのが
イサドラ・ダンカン(1877-1927)でしょう・・・

イサドラ・ダンカン


トゥシューズを脱ぎ、コルセットを外し
素足で踊るその姿は、中世・近世の
あらゆる社会的束縛を破壊するエネルギーがありました。

「自由」・・・ことに時代的には「女性の自由」を体現し、
「踊るヴィーナス」「素足のイサドラ」と言われました。

クラシック・バレエが、床を嫌い
いかに床から遠く離れるか(ジャンプ)に
「美」を見出しているのに対して、

イサドラ・ダンカンの世界(モダンダンス)は、床に触れ
床を発見する舞踊です。

足の五本の指で床をつかみ、
身体の中心にある、原初的なエネルギーを呼び起こします。
ときに体のありとあらゆる表面積で床に沈み込みます。

「精神表現の源が太陽神珪叢(みぞおち)に所在する」
「舞踊は生涯教育であり、舞踊を娯楽でなく、
森羅万象に向かう意識的な手法」


先生は、
まるでこのイサドラ・ダンカンに会ってきたかのように
わたしたちに舞踊を教えてくれました。

いまでは、踊りから離れ10年ほどたち
あんなにも夢中だった踊りのあらゆるシーンが
少しずつあいまいになってきていますが、

の発露としての舞踊を言語化した
こういったことばたちに出会うと

身体のどこか奥に刻まれたなにかが反応し
いまでも細胞が振動するのがわかります。

わたしたちの記憶装置が、脳ではなく、
細胞にある
からでしょう。



また、イサドラ・ダンカンは、行動を制約するような
社会規範の殆どに挑戦したと言われています。

彼女の社会への強烈な提言と革命は、のちに
ロダン、カリエール、ブールデル等同時代の画家・彫刻家や
演出家スタニスラフスキー、詩人コクトー、
進化論者ヘッケルなどに影響を及ぼしています。

彼女は、舞踊を人間のの非言語的表出といっていますが、
わたしが、師事したダンスが、
あの稚拙な「波~」ではなく
こういったいのちの発露であったことは
本当に幸運だったと思います。

いま改めて、イサドラ・ダンカンを調べてみて
わたしがのちに、スピリチュアル世界の扉を開いたのは
必然だったようです。


あの時代、先生から体ごと伝えられた
イサドラ・ダンカンの「革新性」は
潜在的に私の体内にインプットされ
卒業後、29歳なった時に、

「三重にも自分たちが気軽に踊れる舞台を・・・」

同志たちとともに、
自主公演を立ち上げるエネルギーとなるのです。



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tag : イサドラ・ダンカン 記憶

夏、小満のころ⑦・・・個性

わたしと小鳥とすずと

わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。

有名すぎるぐらい有名な
金子みすず [1903-1929] の詩です。

大学のダンスの先生はよくこの詩を取り上げていらっしゃいました。


話は少しとびますが
卒業して後、あるダンスの研修会の時です。

わたしは家庭教師の身でありながら
教員が集まるこの研修会に行っていました。

わたしが教員でない詳しい事情は後日に譲りますが
その研修会で個性」について質問をした教諭がいらっしゃいました。


要約すると、
ダンスの授業の時に、周りのみんなと一緒に踊らず
授業を妨害するように、気を引くように
自分だけ勝手な行動をして その教員を困らせる児童がいる・・・

という内容でした。

その教諭は、
そういうのも個性として認めてあげたほうがいいでしょうか・・・
という質問でした・・・。

横で聞いていた私は、
「それは・・・」
心の中で言葉を紡ごうとすると・・・


先生は即答でこう言いました・・・

「そういうのは個性とは言いません」


その教諭にどういう理由を加えたのか
さっぱり覚えていませんが、

わたしが個性について今のようにしっかりと
柱ができたきっかけになったなった出来事でした。


わたしたち教育に携わる人間は
いつか生徒から問われるであろう
一見答えようのない問い
自分なりに深く問答する癖がついています。


「なぜ勉強しなければいけないのか」
「なぜ人を殺してはいけないのか」
「人に迷惑はかけてはいけないのか」
「学校には行かなければいけないのか」
個性とは何か」


そういった哲学のような問いを常に持ち
自分が納得するまで問答する癖がついています。

生徒に問われてもいいように
しっかりと腹に落とし込んでいくのです。


この出来事をきっかけに
私がたどり着いた個性」とは・・・

目立ちたい、認められたいがゆえに
また、人より上(優越)に立ちたいがゆえに
あえて人と違うことをすることではなく・・・

人との同じことをしようとして・・・
何度もしようとして・・・
それでも思わずこぼれるように
その枠からはみ出てしまう何か
・・・のこと

または、
まねてまねて真似しようとしても
どうしてもまねできない何か・・・

とわたしは定義しています。


だから輝くのです。
嫌味でなく、ごく自然に、輝くものなのです。


「わたしと小鳥とすずと」

人と違うことを特別にしようとして
かえって個性をつぶしている人がいます・・・
焦っているようにさえ見える人がいます。

本当に個性的な人は、
公(みんなと同じこと)と私(自分のオリジナル)の境目を聡明に自覚し
とても謙虚でありながら、隠そうとしても隠し切れない
こぼれるような光を放つ人のことをいうのです。


必要以上に はしゃぐことをやめましょう。
必要以上に 人とつながることをやめましょう。(ネットでもリアルでも)
必要以上に 何かを身に付けることをやめましょう。(資格や受認定でも)

そのことで あなたが人の目につき、
目立ったからといって、個性的になったわけではありません。

個性は、あなたが後から身につけたものの中にはありません。


自分は 自分にしかなれないのです。




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tag : 個性 自分は自分にしかなれない

夏、小満のころ⑥・・・かっぱ

かっぱかっぱらった
かっぱらっぱかっぱらった
とってちってた

かっぱなっぱかった
かっぱなっぱいっぱかった
かってきってくった

谷川俊太郎の詩「かっぱ」である・・・

大学一年の終わり・・・
わたしの記念すべき最初の舞台の作品が、
この「かっぱ」である(笑)

この詩をコミカルなリズムに合わせて朗読する音声が流れる・・・
あの頃と同じ音源を探したが、ちょっと見つからない。

別のバージョンだが、こんな感じである。



こんな感じのスットンキョウなリズムに合わせて
コミカルに踊るのだ。

この時は一応ストーリーのような流れがあった。


最初はリズムに合わせて楽しくみんなで遊ぶ・・・
やがて雨が降らなくなり、水不足で水の取り合いになる・・・
頭の皿が乾き始めかっぱが衰弱する・・・

さいごに舞台中央に芥川龍之介の蜘蛛の糸のように
一滴の水が落ちてくる・・・(実際に落ちるわけではない)

それに向かって一斉にみんなが飛び込む・・・
(ここで私のソフトボールのダイビングキャッチがいきる(笑))

倒れている群の中から、一人がゆっくりと立ち上がって
手のひらを広げ その水滴を一粒受け止める・・・

実際にはないその水滴を
目線としぐさで観客に想像させる。

「あ゛っ」

喜びとも驚きともつかぬかっぱ語
おどけた声を上げ、頭の皿を突き出す・・・観客(どっと笑)   (完)


実はその最後の一人がわたしだった。

完全にお遊戯だ(笑)

19歳のうら若き乙女たちがやるんだから
ちょっと笑える・・・

まあ、はっきりいって「あほ」だ。

でもこの「あほ」を大真面目にやるから面白い。

衣装は、たしか・・・Tシャツに短パン(色は忘れた)、それに
軍手をみどりに染めて水かき風にした。

このかっぱは、意外にもウケが良く、
客を笑わせたようだ。


当時、「かっぱ」を演じながら
昔を思い出していた・・・


小学生の時、クラスのみんなを笑わす天才がいた。
しゃべりと身振り手振り・・・

その子がしゃべるとみんなが笑ってクラスが明るくなった。

あこがれた・・・

「自分もあんな風に人を笑わしてみたい」

いつの間にかその子をまねるようになった。

人を笑かすこと・・・
みんなが笑顔になること・・・

なんてhappyなんだ・・・



そう、これも思い出していた・・・

突拍子もないことだが
いつしかあこがれの仕事が
サーカスのピエロになった。

わたしはひそかに特訓を始めた。
カラフルなボールに乗る特訓だ。

自分の家には、カラフルなボールがあったにはあったが
それは残念なことにビーチボールだった。

だから乗るとフニャフニャ・・・

家の前のコンクリートでできた大きな鯉の水槽の角につかまりながら
わたしは「よっ!」とのってみた。

満を持して、手を放す・・・

あっという間に天地がひっくり返り
運悪く水槽の角に頭をぶつけて脳震盪で気絶した・・・

いまのようにすぐには救急車を呼ばない。
家の仕事場(テーラー)に寝かされた。

気が付いた時、心配そうに母と父の顔が
天井を背景にわたしの顔を覗き込んでいた。

人を笑わすこと・・・
みんなが笑顔になること・・・

そういうヒーローになりたかった・・・


デビュー作(笑)「かっぱ」を踊りながらそんなことを思い出していた。


今思えばわたしのダンス人生で必ず登場した動物シリーズ」はこれが原点だった。

そういえば・・・
この舞台で他にも踊った作品はあったのに、
それが何だったのか全く覚えていない(笑)


人を笑わすこと・・・
みんなが笑顔になること・・・

「あほ」は真面目にやるに限る。
しかも真面目に・・・(笑)

かっぱ




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夏、小満のころ⑤・・・ducere:連れ出す・外に導き出す

大学生にもなれば、目の前で授業される先生の
良し悪しを見分ける目ぐらいは持っている。

わたしの場合は、教員も目指していたので

「授業を受ける生徒として」と
「先生の授業の進め方を観察するものとして」と

僭越だが、どの先生の授業も
二つの目で授業に参加していた。

とくに後者は、中二で自分の夢が決まってから
中三ぐらいから少しずつ育ってきたような気がする。


この先生は、そのどちらも素晴らしいものだった。

ダンス嫌いが、ダンス好きになる・・・

人の心はこんなに変化するものか・・・



教育」とは英語で「education」・・・

のちに学ぶのだが、語源からたどれば、
「英語: education」や「フランス語: éducation」は、
ラテン語: ducere(連れ出す・外に導き出す)という語に由来している。

だから、教育とは作り上げることではなく
もともと人が持っている能力を引き出してあげること、
そして、それを促すのが「先生」ということになる。

そういう意味で、その先生はまさに「先生」であった。

この先生は、本当に違う・・・

どこか破天荒で、情熱的だった。
今まで出会ってきた先生とはまったく違う世界観があった。

授業を受ける生徒として・・・
先生の授業の進め方を観察するものとして・・・


その両方で衝撃を受けた人である。





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夏、小満のころ④・・・言わずにはいられない

「意見には個人差があります」


スポーツを愛してきた人間として・・・
日頃、塾講師として、スポーツに汗をかく子供たちを見ていて・・・


昨今の大相撲やレスリング、アメフトの騒動を見て思うこと・・・

外野からで大変僭越ですが・・・

どうか言わせてください。


もう、子どもたちにスポーツをさせることで
心技体が育つと過信しないほうがいい
と思います・・・


育つどころか
その育成に害さえ与えることもあること・・・


理由① 心技体をバランスよく育てる指導者が少ないこと
理由② 指導が勝つことばかりに傾き、きちんとした負け方を教えないこと(もしくは負け方を知らない指導者が多いこと)
理由③ 指導者側の組織が大きくなりすぎて、指導者自らも背負うものが大きく、自由がきかないこと


日頃、指導者と言われる大人の方へ

どうか、不安に付け込み、
脅して(操作)アドバイスをするのをやめてください。

どうぞ人間の気持ちを萎縮させることはおやめください。

以前の記事➡エネルギーバンパイヤ


≪日頃、スポーツを楽しむお子様がいる保護者の方へ≫

どうぞ大切なものを見失わないでください。
どんなスポーツにしろ、それはプロでもアマでも・・・

ゴールは、スポーツそのものではなく、
そこで何を得て、何を学ぶのか・・・
こころの成長です。

それがかなわぬ指導者のもとからは
いっそ離れる勇気を持ってください。



「意見には個人差があります」








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夏、小満のころ③・・・自己の解放

ダンスが嫌いな人、手を挙げてください」

「はい!」

わたしは迷わず手を挙げた。
ほかにも数人いた。

中学でダンスと言えばフォークダンスだった。

高校では、最悪のダンス経験・・・

「はい!波になりましょう!」

みんなで手をつないでウエイブ・・・
それがダンスの授業だった・・・

「何が面白いんだろう、こんなもの・・・」



それにしても、好きな人を聞かずに
嫌いな人に手を挙げさす・・・

面白い先生だな・・・

大学のはじめてのダンスの授業・・・
ダンスの先生らしい・・・
チャコットのパンタロンをはいていた。
※チャコット・・・バレエ、ヨガを始めとしたダンスウェア、ダンス用品を取り扱っている店。


その先生は、とてもはきはきとした好印象の先生だった。
あとから聞くところによると、私の大学入学とともに赴任・・・

またまた不思議なめぐりあわせだ。

出合うときには出会う・・・
そして、別れねばならぬ時には
容赦なく分かれる・・・

人生とは、その人にとっての必要な出会いと別れが用意されている。
それは、人間が操作できない。

そのころのわたしは、そういうことを
肯定的にとらえられるようになっていた。



さて、その先生のダンスの授業は、1時間目から
今まで経験のない、どこか不思議な体験だった。

知らず知らずのうちに、
恥ずかしいという気持ちも
めんどくさいという気持ちも消えていき
どんどん心の鎧が取れて体が軽くなっていくのだ。


「踊り」といえば、小さいころからクラッシックバレエをしてきた人の
特別な身体能力がないとできない…みたいなイメージがあった。

私には無理だ、踊れない
だから、恥ずかしい・・・

普通そうなる。

ところがその先生の授業は、いまある身体能力
どんどん表現を楽しめるように持っていくのである。



印象に残っているのは、何時間か過ぎたある日・・・
「イメージのバスケット(籠)」という授業だった。

黒板に、「イメージのバスケット」「鳥」
と書いて、どんな鳥が頭に浮かぶのかどんどん言わせる・・・

「大空を悠々と飛ぶ鷲」
「親子で並んで歩くアヒル」
「田圃を素早く直線で飛ぶツバメ」
・・・
いろいろ引き出していっては黒板に書く・・・

「波」とは大違いだ・・・

具体的に言葉にしていくことで
どんどんイメージが膨らみ、身体が準備し始める・・・

わたしは
「傷ついたインコ」と答えた。

幼少のころから、インコはもちろん
文鳥に孔雀、メジロ、ニワトリに、フクロウ、鷹・・・

我が家には鳥が入れ代わり立ち代わり同居していた・・・
父が好きだったからだ。

鳥のイメージはたくさんあった。

たくさんイメージを膨らませて
イメージが動きにつながる準備をする。
その準備が身体を連れていき始めるころ
即興で踊るのだ。

音楽はない。
先生が持ってきているタンバリンが唯一の音。

その緩急させるタンバリンの音が絶妙なのだ。

たくさんのイメージ、言葉、からだ・・・

ことばのない踊りは、イメージが支えている・・・

イメージするとは、脳に映像を流すことだ。

ダンス初心者は、それがなかなかできない。
単に「波」「鳥」と言われても体がこわばってなんとも動けない。
それを助けるのが「イメージのバスケット」だ。

そのイメージをなぞるように・・・
自分のイメージを自分が模倣するならできる。

このイメージのバスケットというレッスンは、
それまでの固まった体(頭、脳)を解きほぐす役目を果たしていたのだ。


いつしかわたしは、保育園の学芸会を思い出していた。

「ブレーメンの音楽隊」

犬の役だった。たくさん犬の役がいたが、あの時

「上手だね~」

と先生に言われ、嬉しかったことを思い出していた・・・

「ああ、そういえば自分は、表現するの好きだったな・・・」

そんな遠い記憶さえも呼び起こさせるほど
体が解きほぐされていくのがわかった。


からだが勝手に動き出す・・・
自分のすべてを空間へ放り投げる解放感・・・
恥ずかしいという気持ちはもうない。


自己の解放・・・



ダンスの最初の醍醐味を知った授業だった。




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夏、小満のころ②・・・踊ること

高校を卒業し、大学に入学して
わたしはダンスにのめりこみます。

部活としては、陸上の投てき(やり投げ、円盤)だったのですが
そちらは思うほど熱を注げなく・・・

大学1年の授業にあった「ダンス」で
人生に最も影響を及ぼした3人目の恩師に出会います。

(2人目は、実は中学の時の先生だが機会があればまたお話いたします。)


大学卒業単位的には、4年間も取らなくてもいいダンスを
のめりこんだがゆえに卒業までずっと取り続けました。

ダンス(踊り)は今までのスポーツ・・・
つまり、近代スポーツとは少し違いました。

いまの若い方はダンスと言えば
TVでよく知られている「ストリート系」や「ジャニーズ系」のダンスがメインになりますが、
もともとダンスは、世界的にも時代的にも様々な歴史があります。

大きな国単位ではなく、一つのマイノリティ(社会的少数者、地域)に
それぞれ独特の踊り、舞踊が存在します。

今思えば、そういった立場の小さい人々、
普通から外れている人々が原点だからこそ
惹かれたのかもしれません。

流浪の民「ロマニー
白人差別を激しく受けた「黒人、ヒスパニック
巫女がその原点であった「白拍子」・・・

そのどれもがマイノリティ(階級)として差別と迫害を受けた民たちですが
同時に、権力から離れたところで生きる自由性と
その陶酔性にあこがれさえ抱かせた人々でもあります。

「軽蔑」と「あこがれ」を同時に兼ね備えたもの
・・・それが舞踊です。


昭和から平成にかけての今でこそ
リズム、ストリート系のダンスがメインとなり、
かなり明るい市民権を得ていますが、
わたしがやり始めたころ(1982年ごろ)のダンスは、
まだまだどこか非社会的で、不良がやるもの(笑)・・・
アンダーグラウンドというレッテルがなんとなくありました。

おとなたちが眉をひそめた理由は、
若者が、いまにも安定した社会階級を破壊するのでは・・・
そういう恐怖があったからだと思います。

それは、昭和の安保闘争時の映画「ウエストサイドストーリー」や
経済成長期の「サタデーナイトフィーバー」「フットルース」などの影響・・・

そして、「ディスコ」「ダンスホール」「クラブ」などでときおり
(いまの朝ドラのような明るいお立ち台シーンばかりでなく・・・)
風俗的な事件が起きたり、ドラック犯罪などの温床につながる場合があったからでしょう。
ディスコ



踊りには破壊的なエネルギーがあります。

平凡な日常の破壊です。

古代では、もともとダンスとは言わず、舞、舞踏、舞踊、踊りです。
子孫繁栄、五穀豊穣はもちろん
神を降ろし、神と人間をつなぐ呪術的、祈祷的要素があります。
そういう意味で「我」を忘れる行為、儀式です。

舞=陶酔です。
そういう意味で、わたしにとっては踊り」は神秘です。

余談ですが、どの舞踊も音楽とセットで進化していきます。
その陶酔性と呪術性には、それぞれ独特の音楽(民族音楽)が栄えます。
ダンスの歴史

ねぶた祭

たとえば、夏の郡上踊りやねぶた祭、阿波踊りも
陶酔であり、激しい感情の発露としての舞であり、
神とともにまう舞踏です。

郡上踊り

わたしがのめりこんだ「踊り」には
(もちろんリズム系もありましたが)
どちらかというとそういった呪術的、陶酔的で
それが根底にあるコンテンポラリー的表現のほうが多かったです。

画家が絵で、
詩人が文字で
音楽家が音楽で・・・

それぞれ自分の言いたいことを表現するのと同じように

踊りは、身体を使って伝えたい思いや世界を表現する・・・
ノンバーバル(非言語)なアートコミュニケーションといえます。

じつは、経験としてはこの「踊り」がいちばん長く
18歳から始めた踊りは、途中数年抜けますが
44歳で店を始めるまでつづきました。


次回は、そのエピソードに触れていこうと思います。



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tag : 踊り マイノリティ 陶酔 神秘 ロマニー 白拍子 黒人 アンダーグラウンド

夏、小満のころ①・・・吾ただ足るを知る

今日から「小満」(しょうまん)という節気です。
あまり耳慣れない節気です。
どんな時期なのでしょう・・・

小満・・・陽気が良くなって、万物の成長する気が次第に長じて天地に満ち始めることから小満といわれています。
ようやく暑さも加わり、麦の穂が育ち、山野の草木が実をつけ始め、紅花が盛んに咲き乱れます。
梅の実がなり、西日本では、走り梅雨がみられる頃。田植えの準備を始める頃でもあります。

走り梅雨
本格的な梅雨に入る前のぐずつく天候のこと。通常は、この後晴れた日が続き、その後本格的な梅雨に入ります。
「梅雨の走り」ともいいます。

日本の季節は、本当に美しい言葉がたくさんありますね。


さて、高校のソフトボールまでお話いたしました。

高校の最終成績は
たしか愛知県のベスト16か8。

県大会は、かなりの強豪揃い。

さいごに当たったS高校には
完全な力不足でしたが、

一回戦ガールだった私たち・・・
当時たぶん99校いる中の最終成績だったので
よくやったと晴れ晴れとした気持ちで自分たちを誉めました。

さいごの対戦相手のS高校は結局3位だったと思いますが、
木陰のミーティングが、私たちの横で行われていました。

突然、怒号とともに
「ビリッ ビリッ!!」
何かを破る音が聞こえました。

なんとその監督は生徒の前で
その3位の賞状を破っていました。

「こんなものはいらん!」
この監督は3位では不服だったのでしょう・・・

別の高校のこととはいえ、これには
ひとりの生徒として怒りさえ覚えました。

実はこの高校・・・中3の時に
ソフトボールの推薦の声をかけていただいた高校で
実際に練習にも行かせていただいたチームの監督でした。

結局私は、普通に受験をして
一回戦ガールからスタートすることになったのですが、
さいごに戦ったのがそのS高校・・・
そして、引退試合後にそのシーンを見たという巡り合わせ・・・

人生の、運命の歯車とは
じつに不思議だと思いました。

「もしあそこにいたら
ああいう終わり方だったんだ・・・」


最後の試合、あんなふうに賞状を破られるか・・・
賞状はなくとも、晴れ晴れと誇りをもって引退できるか・・・

わたしにとっては、まったく雲泥の差です。

最終試合にどんな価値を持つかは生徒のものではないか・・・
賞状を破られたあの子たちはどんな気持ちだろう・・・


すでに教師を目指していた高校3年生の秋、
あんな指導者にはならない・・・!

ひそかに心にとどめていたことを今もはっきりと覚えています。

そして、そんないやな場面も
教師を目指すわたしに、
神様が「見ておきなさい」と示してくれたのではないか・・・。



小満とは、欲を小さく、満足する心を養う・・・
そんな字にも見えます。

やがて訪れる実りの秋を前に
そういう心を養う時期なのかもしれません。

万物の成長する気が次第に長じて天地に満ち始める・・・
そういう時期だからこそ
日々を祝い、いま生かされていることに感謝する・・・

吾ただ足るを知る・・・

我ただ足るを知る

要は、「調子に乗るな!」
そういうことになります。

どこにも書いていませんが
小満」の候、そういうことに気を付けて過ごしたいと思います(笑)


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tag : 吾ただ足るを知る ソフトボール 教師 小満

夏、立夏のころ⑯・・・今世で流す勇気

今日で、立夏の節気も終わり・・・

暑い日があったかと思うと
急に寒い日訪れたりとどうも天気がおかしい・・・

どうも最近は、自然現象として天気を考えられず、
作為ある天気としてとらえたほうがいいようだ。
詳しくは、過去記事を➡気象操作


さて、先日お誘いいただいた松阪の岡寺さんの観音市・・・
半年に一回、日にちが合えば出店させていただいている。
タロットで出店させていただくのだが、
たくさんのお久しぶりの方とお会いできた。

最近は、こちらでも常連様がいてくださり、
数時間楽しいひと時を過ごす。

占いということでやはり女性が多い。

来られる方の年齢、事情はもちろんさまざまだが、
どの方もかつて、女の子であり、少女であり
恋愛や挫折もありながら人生の年輪を重ねられてきた。

ご相談ではその方のいのちの原点を拝見することで
一番輝く場、考え方、歩み方に触れさせていただく。

人生とは、「豊かさ」と「幸せ」の定義の違い・・・
その違いの数だけ人生がある。

しかしその定義づけの際に
人からの価値観や必要以上の我慢を強いられたとき
人はその羅針盤を見失うことがある。

しあわせになるにはまず何をすべきか?

答えは一つではないかもしれないが、
まずは自分で「しあわせとは何か?」と定義をする(決める)こと。

そして人生は一回きり・・・

一回きりだからこそ、
「追いかけるもの」と「追いかけさせられてるもの」を区別することが大切だ。

区別は簡単。
追いかけさせられているものは、追いかけているときに極度に疲れるからだ。

塾の講師が言うのも何だが、
「勉強」「資格」「婚活」「就活」「嫁姑」「夫婦」・・・
人によって、今世ではこれらは流したほうがいい場合がある。

人生設計
(https://www.kakeinojikan.com/2212より)


明治以降、定義づけられたコンプリート型人生設計は
バブル崩壊までは生き続けたが、もう今はそれは通用しない。

それは、富国強兵のための仕組みであったことを知り、
個人のしあわせから切り離す勇気も必要だ。


スクリーンショット (27)
(経産省若手プロジェクトより)

上の図の、オレンジ点線で生きる人がそう多くない。
もうどこにもモデルはない。

それを不安がる人も多いが、モデルは
自分が作ればいいという「明るさ」も生み出す。

友が、クラウドファンディング
信州小諸の森の小さな工房で 【むすびのパン】をつくり 【教えないパン教室】をひらく
パンを通して食・暮らし・生きることを分かち合う森の家">信州小諸の森の小さな工房で 【むすびのパン】をつくり 【教えないパン教室】をひらく
パンを通して食.暮らし.生きることを分かち合う森の家
をつくろうとしている。
わたしは全力で応援する。
個人は決して孤独ではないことを知ってほしいからだ。

「人がやれないことを、特別にやろうと力むのではなく、
だれもがやれるけど、あまりしようとしないこと」

これをやればいい。

人生 だれもがいろいろたいへんだ。
だから、どうせ大変なのであれば・・・
どうせ当事者になるのであれば・・・
こういうことで当事者になりたいからだ。


自分に合わない「婚活」や「就活」で疲れた若者が・・・
「嫁姑」「夫婦」に疲れた女性が、男性が・・・
一時的に家を出たいと思ったとき・・・
自分を見つめなおすきっかけの
セーフティネットのような場があったらいいと思いませんか?

そういう場は、国や地方自治体が作れない。
組織が大きすぎて、その承認と創造に時間がかかりすぎ、
仮にできたとしても、組織のための組織(場)に組み込まれてしまうからだ。


自分に合わないものを追いかける時間は人生にはない。
自分は自分にしかなれないのだ。


どうぞ無理をなさらないでください。

人生は一回きり・・・

「追いかけさせられているもの」を追う時間をつくるほど
人生は長くありませんね・・・



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tag : 今世 クラウドファンディング 幸せ

夏、立夏のころ⑮・・・同情と共感

そして、中高のわたしには
同情ではなく、
共感してくれる人が多かった。
その存在が、わたしの心を成長させてくれた。

同情とは、自分と同じように一緒に愚痴ったり、泣いたり・・・
一見とてもやさしいように見える特徴がある。
しかし、それはお互いに傷のなめ合いで、
けっして成長を促すことはない。

最終的に、裏切りや猜疑心が生まれ、一緒に沈んでしまう。
よく小中学生のグループメンバーがころころと変わり、
あっちでも、こっちでも足の引っ張り合いが続く状態だ。

最近では、大学生でもあるようで
卒業生が悩みを打ち明けてきたことがある。
(これには驚いたが・・・)


共感とは、自分の気持ちを理解してくれたうえで
じゃあ、どうすれば前へ進めるのかを考えて助言、行動してくれることだ。
それは、時には厳しい声になることもあるが
決して同じ穴倉でうじうじすることはなくなる。

あの時のお坊さん先生や
キャプテンをやってみたらと促した親友のような存在だ。


部活以外にも
漫画「地球へ」をおしえてくれた卓球部の友達・・・
在日韓国人二世で、もう二度と日本へ帰ってこないと話した友達・・・
大学生の男性と付き合っていた友人・・・

どの子もわたしとは全く違う世界に生きていた。

地球へ
(※地球へ」は今読んでも奥が深い漫画。
当時、あの友人がそれを理解し、魅力を語ってくれたことに、
大人になったいまの私が驚いている。2007年にもTV放映されている。)



「ああ、こういう世界で生きている子もいるんだ」

それぞれが私に気づきをもたらしてくれた友人だった。



みんな、個性が豊かで、どこか大人びた中学生だった。

友達は、決して同じ世界にいる必要はない。
いつもべたべた一緒にいる必要もない。

お互いの世界観を共有した時に、
「えっ!」
「ほー」
「へぇ~」

という新鮮な気づきを通して
お互いが響きあうだけで
何となく心が安らぐ・・・

中学の時、仲間からはじきだされ、だれ一人部活に来ず、
一緒にキャッチボールするチームメイトもいなかったわたしに・・・

神様は、まったく別の世界で生きる友人を送ってくれた。
今思えば、幼いわたしに
意識の高い大人の会話をしてくれた友人たちだった。

同情」と「共感」・・・

今の大人でも区別していない人がいるというのに
あのときのわたしに「共感」してくれる友人が多かったのは
実にありがたいことだ・・・


つらかったあの時代も
今思えば、宝物が一杯だったようだ。



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tag : 同情 共感 地球へ

夏、立夏のころ⑭・・・天と地の差

人生の悩みは、
人間関係
「お金」
「健康」

この3つに集約されるという。

そして、この3つはすべて人間関係が根本的な原因となる。

人間関係とは、自分と自分、他人、家族すべて含まれる。

つまりは人間関係がうまくいけば
すべてがうまくいくということだ。

最近はすぐに「お金」や「健康」にクローズアップさせる。
それは、実は遠回りをしていることになる。

ちまたに健康食品が溢れ、
お金に関する金融商品が溢れ、

「お金を得るには・・・」
「いくらあれば老後が安心か?」
「あなたの人生設計は大丈夫・・・」
「定期健診、ワクチンを忘れずに・・・」

よく目(耳)にする言葉である。

お金や健康は確かに大事なものだ。
しかし、順番が大切だ。

お金、健康・・・もちろん人間関係
これらは、人をどう思っているかが顕在化した姿である。

「他人は、ほとんどの場合、
わたしに危害を加えるもので、利益をもたらすものではない」

潜在意識でも
顕在意識でも
そう感じることで人生は袋小路に入る。


健康:「人は、私を苦しめ、気を病ませる(た)」
お金:「人は、わたしからお金を奪う(った)、だれも与えてはくれない(くれなかった)」
人間関係:「人は、わたしを見つけては いじめてくる(てきた)」

いじめとは、「悪口」「叱責」「陥れ」「非協力」「暴力」「欠乏」「略奪」・・・
人への心理的、肉体的苦痛すべてである。

現在だけでなく、過去の人に対する認識
「人間関係」「お金」「健康」に大きく影響している。


わたしが、中学のままであったら・・・

つまり、
「他人は、ほとんどの場合、
わたしに危害を加えるもので、
利益をもたらすものではない」
という心のままであったら・・・

わたしは、間違いなく今の教育にかかわる仕事をしていないだろう。

あんな心の状態で
子どもたちにいったい何を伝えられるというのだろう・・・。

「他人は、ほとんどの場合、
わたしに危害を加えるもので、利益をもたらすものではない」

だから、備えなさい、構えなさい
防衛しなさい、蓄えなさい、
決して自分を見せてはいけない・・・

そうなってしまう。
これは教育ではない。

教育とは、「希望」を伝えることだ。

知識や智慧をつたえるのは、閉鎖的な防衛のためではない。
自分と次の世代への希望をバトンパスするためだ。


「人は、わたしに力(協力)を貸してくれる存在だ」

「人は、わたしに勇気(あなたはそれでいいといういのちへの認知、安らぎ、)を与えてくれる存在だ」

「人は、生きていくのに必要なすべての物品(水、空気、衣食住)をもたらしてくれる」

現代社会では、「生きていくのに必要なすべての物品(水、空気、衣食住)」がたまたまお金を介してもたらされるだけだ。
お金獲得が最終目標ではないはずだ。
物々交換でも、クラウドファンディングでも、シェアでも
要はなんだっていいのだ。
以前の記事参照

そう思えるかどうかで
人生は大きく変わる・・・

ひょっとすると天と地との差かもしれない・・・


余談だが、人生とは
「豊かさ」と「幸せ」の定義の違いである。
その違いの数だけ人生がある。



「さあ、人を信じましょう」
などと安易なことではない。

要は、
世界をどうとらえているのか?
いったいどういう世界をつくりたいか?


そういう自分への問いかけなのである。


この世には他者はいない。
逆説的だが、そういう意味で
自分しかいないのだ。


人を信じられないとき(人)というのは
要は、自分を信じられなとき(人)なのである。

お金がないとぼやく人
人に恵まれていないと嘆く人
気が滅入ると不満を言う人・・・


すべては、自分で思う、自分の心を、自分の存在を、
自分で信頼していない証となる。



中高の経験から・・・
その時に出会った人、仲間から・・・

そういったことをわたしは教えてもらった。



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tag : クラウドファンディング ソフトボール 人間関係

夏、立夏のころ⑬・・・ほどける

「高1の夏も終わるころ・・・
3年生が引退をする頃には、
人と・・・ソフトボールと・・・
もう一度向き合ってみようという気持ちになっていた。」

が・・・

(少々、青臭いドラマでこっぱずかしいのですが
どうぞお付き合いください)


中学校のあの経験から
どうしても固辞しつづけたいものがあった・・・

それは、キャプテンだった。

高2の夏、先輩たちが引退した後・・・
キャプテンを選ぶ時期が来た。

皆は、わたしを指名してきた。

どうしてもやりたくなかった。

一年たって、人とソフトボールには真正面から向かえるようになった。
でもどうしてもチームの責任を負う「キャプテン」にはなりたくなかった。

何日か、何時間後か?記憶が定かではないが、
固辞し続けたある日、
一人のチームメイトが言った。

そのチームメイトは、別の中学出身だったが
中学の時の私の事情を知っていた。


わたしは、高校がある大きな街の出身ではなく、
その隣の ちいさなちいさな町出身だったので、
ときどき、街の子独特の
ある意味擦れた勢いに押されることがあった。

そのチームメイトも 街の子らしい、どこかてきぱきとした強引さがあった。
しかし、けっして嫌味でなく・・・
どこか私の足りない心のかけらを埋めてくれるような存在だった。

入部以来、すでに親友と言ってもいいほど心が打ちとけていた。

その親友が、じれったがるように すこしだけきつい口調で言った。

「なんでやらんのぉ?
中学の時と同じになるとは限らんでしょう↗
みんな、むさしにしてほしいって言っとるんだがぁ!」
(尾張弁のイントネーションで)

むさしとは、わたしの部活の時のあだ名だ。

「かんべむさし」という作家がいるというので
監督が勝手につけた名だ。

どうやら今も生きていらっしゃる作家さんのようだ。
まあ、大変失礼な話だが
現在でもわたしは一冊も読んでいない。

かんべむさし



心の中でなにかがパチンと音を立てた。

やってほしいというみんなの希望・・・
けっして、「誰もやりたがらないから」という
マイナスの押し付けではないことが
彼女の言葉から読み取れた。

あの一言が本当に響いた。

そして、その言葉でどこか救われる自分がいた。


はじまってもいないのに、やってもいないのに
暗いトンネルの中で 勝手にいじけている自分を彼女は叱ったのだ。
あっけらかーんとした言葉が、ど真ん中ストレートで届いた。

みんなの期待に、ただ素直に応えればいい・・・
ただ、やればいい・・・
何を怖がっていたんだ・・・

本当にすとーんという感じだった・・・。


中学の時のような孤独感はない・・・
一年半の練習や合宿で文字通り
何度も同じ釜の飯を食ってきたチームメイトだった。

そんな濃い時を過ごした彼女たちに猜疑心を挟む余地などなかった。
お互いの間に、すでにそういう安心感が育っていたのだと思う。



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tag : ソフトボール キャプテン ど真ん中ストレート

夏、立夏のころ⑫・・・「逢うべき糸 織りなす布」

高校に上がって、
もうソフトボールはこりごりと思っていた。

こりごりというより
けっこうな人間不信に陥っていたので
ソフトボールはもちろん、
チームプレーは避けたいと思っていた。

ただ、入学してすぐに
同じ中学校の先輩が強引に私の手を引っ張り、
ソフトボール部へ連れて行ったのを覚えている。

当時の先輩後輩はなかなか厳しいもので
断るに断り切れずに練習だけは見に行った。

「もちろん、ソフトボールだよね!」

先輩のその言葉は全く決定打にはならなかったが
結局私はソフトボールを選んだ。

何が決め手になったかわからなかったが
やはりソフトボールが好きだったのだろう・・・。

当時、そこのソフトボール部は
「一回戦ガール」といわれているほど
超弱小チームだった。

二回戦に勝ち上がったことがなかったからだ。

物足りないと言えばそうだが
思ったより中学の時の心の傷が深かったためか、
そのゆるさがかえって良かったかもしれない。

まあ、ちょうどいっか・・・

軽い気持ちだった。

ところがめぐりあわせというのは不思議なもので
ちょうど私が入学した年に、
かつてインターハイに連れて行ったことがある
という顧問が赴任してきた。

恐ろしいソフトボール縁である。


その顧問は、本気でチームを改革していった。

わたしは再び1年からユニフォームを着ることになる。
当然、中学の時のトラウマが私をよぎった。

もう目立ちたくない・・・

正直な気持ちである。

レクリエーションのように適当な気持ちで入ったソフトボール部。
人間不信のままスタートした高校のソフトボール生活・・・。
あれよあれよと進められる本腰のチーム改革。

人とのかかわりはどこか腰が引け、
けっして目立たないようにしたわたしの心と
部の状況は、かけ違えたボタンのようにちぐはぐだった。


わたしの心があのままだったらきっと、
高校のソフトボールを全力ですることもなかったし、
今の仕事(塾)はしていないと思う。


中学の時に固められた人間不信という心を解きほぐしてくれたのは
やはり人・・・チームメイトだった。

こころをこり固まらせるのも人・・・
そのかたまりを解きほぐし、前へ進む勇気をくれるのも人・・・

人は誰に出会うかで本当に人生が変わる。

そして、その時はよくわからない大嫌いだった人々と
もちろん、大好きだった人々とも・・・
絶妙のタイミングで出逢いがあり・・・

結局、なんだかんだといいながら
「わたしたち」という未熟な人間を 
心の成長へと導いてくれる・・・

推しはかれない人との出会い・・・
その力というのは本当にすごい。


高1の夏も終わるころ・・・
3年生が引退をする頃には、
人と・・・ソフトボールと・・・
もう一度向き合ってみようという気持ちになっていた。






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tag : ソフトボール 糸と布

夏、立夏のころ⑪・・・ウイニングボールの伝言

そんなソフトボール部だったが、
試合になるとわたしはピッチャー
おろした側のリーダーはサード・・・

なにくわぬ顔で
「ナイスピッチ!」といわれても、
わたしのこころは相変わらず冷め冷めだった。

人間ってホントよくわからん。
わたしのそのころの感想である。

もちろんわたしも、
ピッチャーとしての仕事を放棄することなく全力でプレーした。

よくピッチャーはマウンド上で孤独なものだ、といわれるが
わたしの場合、味方であって味方ではない・・・
そういう不思議な孤独感が常にあった。

でも腐ることはしなかった。
あのY先生の言葉があったからだ。


この時点で、2年連続管内優勝をしていたわがチームは
3年連続のV3を目指していた。

目標というのは、ふしぎだ。

こんな歪んだ関係でありながらも
そこに向かう不思議な連帯感が生まれる・・・。

おそらく外から見れば、
そんな大きなほころびがあることなど
みじんも感じさせないチームだったのではないかと思う。

結局、無事にV3を果たし、西尾張大会に進んだ。

その時のウイニングボールがなぜか私の手元にある。

ウイニングボール
(当時は2号球。文字は、中3の時の自筆)

「木中」というのは
木曽川中学校の略である。
横にはその当時のメンバーが書かれている。

今でもそのメンバーの文字を見ると不思議な気持ちになる。

でも、大切なことを学んだ。

あの頃の私は、
精一杯自分の仕事をして何一つ後ろめたいことはなかった。
が、その後ろめたくないという気持ちが間違っていた。
間違ったことは何一つしていないとうぬぼれがあったからだ。

ひとはその「うしろめたさのなさ≒正しさ」が
鼻につき、嫌になることがあるということだ。

「人は、正しさにはついてこない」
これを学んだ。

「正しい」は、人によって違う相対的な価値観だ。
だから人は、人が決めた正しさにはついていきたくない。

いまもう一度、あのチームでキャプテンをやっても
相変わらず、朝は早くいって道具を出し、
トンボをかけ、みんなを待つだろうが
もう少しましなキャプテンができるかもしれない。

そして、あの頃のチームは、
めちゃくちゃばらばらだったにもかかわらず
奇跡的に全員が「V3」という共通の目標を持っていたことが
幸運だったのだろう。

そう思うと、あのメンバーに感謝かな・・・。


今は素直にそう思う。



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tag : ウイニングボール ソフトボール 木曽川中学校

夏、立夏のころ⑩・・・人間のあほらしい性

2年も終わろうかというある冬の日、
部室でミーティングが行われた。

ミーティングという名の「キャプテンおろし」である。

半々でいさかいが絶えなかったソフトボール部は
いつの間にか、わたし対他全員という構図になった。

日和見主義の人が多かったわたし側は全員が
わたしをキャプテンから降ろすという側に回っていた。

実はその少し前に、
この下ろす側のリーダー的存在の一人と
わたしは取っ組み合いのけんかになった。

先に手、いや足を出したのは相手・・・

まあ、出されたら仕方がない・・・(笑)

部室で派手に取っ組み合いのけんかとなった。

1対1だった。

取っ組み合っている最中の私の目は
意外にも冷静に他の人たちを見ていた。

止めるわけでもなく・・・
加勢するわけでもなく・・・

われ関せずと背中を向け 
黙々と着替えている彼女たちを見て思った。

「人ってこんなものか・・・」

殴り合いの最中にもかかわらず・・・
こころは全く別の動きをしていた。

すこしも当事者になりたがらない同輩たちに
こころが冷めていくのがわかった。
わずかに残っていた彼女たちへの愛情が0になった日・・・


だから、キャプテンおろしの当日も
「やっぱりね・・・」
「ああ、はいはい、どうぞどうぞ・・・」
と心は冷め冷めだったのを覚えている。

結局、その当時部活で一番成績がよかったひとりが
キャプテンとして後任された。


やっかみが多い側というのは、
結局だれがキャプテンをやっても同じように不平不満を言うもので・・・

後任のキャプテンものちに
いじめのターゲットにされていた。

まったくあほらしい人間の性である。


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tag : 人間の性 ソフトボール

夏、立夏のころ⑨・・・孤高の冬を思い出す

(昨日の記事の訂正とお詫び・・・
記憶というのは実にあいまいで・・・
昨日の記事の学年が違ってました・・・
申し訳ありません。
今日の記事を書きながら途中で思い出しました。
なにせ40年前で、記録もありませんので、
これからも思い出すその度、
訂正になることもありますこと、どうかお許しください。
どうぞ心を広くしてお読みいただけますと幸いです。
では、今日もお楽しみください。)


今も昔も、中学の女子の個人、もしくはグループ間の
いじめ、いじめられは世の常で、
わたしが所属するソフトボール部も
半々のグループに分かれてのいさかいが絶えなかった。

正直めんどくさい。

わたしはただ、ソフトボールを思いきり、ちゃんとやりたかっただけだ。

朝の早朝練習は、たしか7:20からだったが、
わたしは、学校の校舎の鍵が開く6:00前には到着して鍵が開くのを待った。

昇降口で待っていると、遠くから順に用務員のおばちゃんが
「ガチャン、ガチャン・・・」と鍵が開いていく。

がらんとしてだれもいない廊下にその音が響き渡るのがとても好きだった。

6:00過ぎには着替えて
大好きなソフトボールのグランドにトンボをかける。
いまはトンボと言わず、レイキ(rake)【= 熊手(くまで)】というらしい。

レイキ
(今はアルミ製もあるが、当時は木製がほとんどだった)

グローブやバットを出し、きちんとそろえてセッティング。

1年ならだれもがしなければいけないこの準備。
先輩が到着するまでに終えなければならない。

同輩の他の生徒はあまり好きではなさそうだったが、
わたしは何も苦にならなかった。

春夏秋冬、どの季節もそれが続いた。

冬の朝、グランドに霜が立つ。
一面、白くなったグランドを木製のトンボでをならす。

「ガリッ、ガリッ」

白い息の向こう・・・
グランドをならすその乾いた音が響いていくのも大好きだった。

わたしは、ただ好きだからやっただけだ。
後輩ができて、2年生になってもそのペースは変わらなかった。

目立ちたいとか、気に入られたいとか
そんなことはどうでもよかったし、
やりたくない人は別にやらなくてもいいと思っていた。

ただ、それを面白くないと思う同輩もいた。
1年生秋からレギュラーに抜擢されていたことも
同輩にしてみれば鼻につく要因だったんだろう。

指導力のある顧問の先生がいなくなり
統率する重石がなくなったことも大きな要因だが、

やがて彼女たちのいら立ちは、
わたし個人への集中攻撃へとつながっていく。


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tag : 孤高の冬 ソフトボール

夏、立夏のころ⑧・・・ちゃんと負ける

「かんべぇ!くさるなぁ!!!」

ベンチから檄(ゲキ)がとんだ。

わたしは目を疑った。

それは、味方のベンチからではなく、
戦っている相手チームのベンチからだった。

檄をとばした主は、あのお寺のお坊さん先生のY先生。

中2になっていた私は、ピッチャーだった。
大量リードしていてもう勝てるというとき、
味方のエラーが連鎖していた。

あれよあれよと相手に点が入る・・・

記憶が定かではないが、
追いつかれたか、逆転されたかのどちらかだった。

なぜY先生が相手チームにいるか・・・
それは、中1を最後に転勤され
別の中学校に行かれていたからだ。

普通、相手チームのピッチャーに、
しかも、自分のチームが優勢になってきている試合中に、
元生徒とはいえ、なかなか叱咤激励をできるものではない。

今思えば、その先生は勝ち負けよりも、そのスポーツを通して、
その子の心の成長を第一に考えていた証拠だ。

恩師の先生に自分の成長を見てもらえる・・・
先生のチームに勝ってそれを証明できる・・・

そう意気込んでいた私は、
味方のエラーの連鎖に相当イラついていた。

いつしかその腹立たしさから、プレートを蹴り上げていた。

その瞬間、とんだ檄だった。


先生の・・・
あまりにも鮮やかすぎる・・・ 
ど真ん中ストレートのその檄

「はいっ!」
と反射的に答えていた自分がいた。

目が覚める瞬間だった。



いま、私は立場が逆となり
あの頃の自分のような生徒に出会うときがある。

そんな生徒に言う。

「君は、みんなで100M走をしていて
横に自分より速い子がいて、
どんどん差がつけられてるとき・・・

・・・あぁ負けるなとわかった時、
途中で走ることをやめるか?」

あの時のあの先生の言葉は、
たとえどんな理由にせよ
自分が不利な状況になったとき
けっして腐らない心を育ててくれた。


人は負けるとわかった時に
自分の一番よわく汚い心が出てくる。

人生、勝つことより、負けることのほうが圧倒的に多い。

あの日私は
「ちゃんとした負け方」を教えてもらったのだ。


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tag : 腐らない心 ちゃんと負ける

夏、立夏のころ⑦・・・人生初の師

中学に入った私は、
部活をソフトボールにするか剣道にするか迷った。

部活見学の記憶が剣道にはない。
ソフトボールの見学をした時のことはうっすらとある。

ソフトに決めたのは、
部活の顧問の先生の独特の厳しさと
先輩たちのきびきびした練習風景
だったと思う。

入ってわかったのだが、その頃のソフトボール部は
「管内」優勝を目指していた。

「管内」とは三重で言えば「市内」のような感覚である。

愛知県は、いまでもソフトボール王国と言われ
出場校が多く、強豪もひしめき合う。

当時、「管内」→「西尾張」と勝ち進んでから「県大会」。

調べてみるとどうやら今もそのようだ。
直近では「管内」19チーム「西尾張」35チームである。

その時の顧問の先生は、
お寺のお坊さんで社会の先生だった。

細身で、眼鏡をかけていた。
顔は真っ黒。
指導が熱心な証拠だ。

当時の学校は鉄拳も多かったですが、
いまのマスコミが言う「体罰」とは何かニュアンスが違っている。

当時の鉄拳を美化するつもりはないし、
もちろん暴力はいけないが、おそらくその違いは、
昭和のそのころを生きた方ならお分かりになるかと思う。

ただ、そのちがいをどう説明するのかは難しい。
それを愛情と受け止める社会的な暗黙の了解
あるのか否かの違いかもしれない。

この社会的な暗黙の了解は、
本当に時代によって、またその時々によって違うんだなと思う。

当時その顧問の先生が
わたしの人生上最初の「師」となる。



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tag : 人生初の師 ソフトボール 愛知 尾張

夏、立夏のころ⑥・・・「負け」の洗礼

私が小学生のころ、毎年春に体力測定があった。
その中で「ソフトボール投げ」という種目があった。

記憶では、入学して間もない低学年だったと思うが
いまWikiで調べると「10歳」?とあるが
ちょっと定かではない(笑)

体力測定


ある一定の円内からボールを投げるのだが
男の子はともかく、女の子がその円内で
ツーステップを踏んで投げる子はほぼいなかった。

今でもその光景を覚えているのだが、
前の女の子が、ステップを踏まずに投げているのを見て

「ステップ踏んだほうがたくさん投げられるのに・・・」とか

「でも、ステップ踏んでもいいのかな?」と悩んだ記憶がある。

ルール的に、ステップを踏んでもいいのか悩んだのである。


でも、自分がイメージ的には
そのツーステップを踏んだほうが
遠くにほれるのを知っていたので
思い切ってステップを踏んだ。

やはり遠くへほれる・・・

その時のほかの子供たちからの驚きの視線は今でも覚えている。
ちょっと得意げだった(笑)


そうこうして、高学年(おそらく6年生)になると
その地区の小学校3校による合同スポーツ大会が催された。
さまざまな種目の中で、ソフトボール投げもあり、
わたしは、学校の代表に選ばれた。

練習で40Mを超す(たしか44M)ことができたので、
絶対に優勝しようと思った。

しかし、強敵はいた。

別の小学校の子だったが、
当時、私よりも背が高く
当日の練習でも40Mをこす投てきを見せていた。

練習通りの投てきをすれば勝てる・・・

そう思ったが、緊張で手汗が出てボールがすべる。
なかなか平常で投げられない・・・

はたして・・・


結果は39M。

相手は41M(たしか)だった。

くやしかった・・・
本当に悔しかった・・・


この日、遊びだった球技が競技に変わった瞬間だった。

いつも通りすることの難しさ・・・
はじめてプレッシャーという言葉を知った。

おそらく、精神力(いまでいうメンタル)と向き合った
人生初の日だった。


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tag : ソフトボール投げ メンタル プレッシャー

夏、立夏のころ⑤・・・ジャンプ一発

小学校も高学年になると
放課後は、ちゃんとしたルールで野球をやり始める。

といっても、ボールはぐにゃぐにゃのテニスの軟式のようなボール。
グローブはなし。すべて素手で捕球。

テニス軟式ボール

昭和のそのころ、私たちの地方ではそれを
ハンドベースボールと言った。

全員男の子に交じっての野球だった。
ランドセルを脇に放りなげて夢中にやった。

守備は、花形のショートやサードではなく、ファースト。
そこは男の子が独占していた。

それでも好きな野球ができて大満足であった。

あるとき、守備につくと
強烈な一二塁間のライナーが飛んできた。

身体が勝手に動き、宙を舞う。

ジャンプ一発!!!

猫ジャンプ_LI

ボールがスローモーションのようによく見え、
からだが猫のようにしなやかに舞うのがわかった。

瞬間、ボールが手の中におさまるやいなや
勝手に体が丸まり グランドを転げながら着地・・・

地面と空がごちゃ混ぜでぐるりとまわった。

生まれて初めてのダイビングキャッチ


気持ちよかった。
今までとは全く違う世界・・・
プロの選手にでもなった気分だった(笑)


日頃からプロ野球を見ていたこと、
家で猫を飼っていたこと、

これがよかった。

身体が勝手動くとはこういうことを言うのだろう・・・


子どもは何かできる前に、それを見ている。
しかも何回も・・・

子どもたちには、この「みる」という練習がとても大切である。

それは、現代の脳科学でもそれは立証されている。

子どもはある運動を見ているとき、
脳ではすでに運動系の神経(ミラーニューロン)も活発に動いているらしい。
➡「最強の自主練習は見ること」

やってみたい、そうしてみたいというあこがれが飽和を迎えた時、
身体が勝手にうごく・・・


あの頃の私は、最高のトレーニングをしていたことになる。

不思議なものだ・・・


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tag : ダイビングキャッチ 昭和 ハンドベースボール

夏、立夏のころ④・・・性とスポーツ

家の前の細い道路で
父と兄はよくキャッチボールをしていた。

ふたりの真ん中に立って
そのこぼれ球を走って取りに行く係を担当するのが私だった。
おそらく小学生の低学年だったと思う。

暴投や後逸をするたびに
ダーッと走っていってはボールを捕まえて
兄もしくは父に返した。

一球でも多くボールを投げたかったので、
とにかく速く走っていって
兄(父)よりもはやくボールに追いついたものだ。

ボールを投げたい一心のために
投げられるボールが手から離れる角度で
暴投かどうかを見極め始める。

そのころ、地区の子供会では
男の子はソフトボール(たしか女の子はドッヂボール)と決まっていて
ソフトボールができない私はとても悔しい思いをしたことを覚えている。

本当に悔しかった。

いまでこそ、女の子が野球やサッカーをするのが禁止されない時代になったが
その頃は、ランドセルや裁縫道具の色からスポーツ競技まで

男の子はこれ!
女の子はこれ!
ときまっていた。
(ちなみに私はオレンジのランドセルを選んだ)

昭和のあの頃はほんとすべてがそうだった。

わたしはそれが本当にいやで
中学生に上がる時も
「学ランがいい」といって
制服の採寸するおじさんを困らせたものだ。

ソフトボールにせよ、制服にせよ
その都度、同行の父母になだめられたが

いまでもアンケート欄の性別「男」「女」では
どちらにするか迷う(笑)

できれば真ん中の空欄に〇を打ちたい気分だ。

男  女
  ↑
 ココ


いまでこそ
ジェンダーフリー
LGBTQ

などといって学校教育でもアナウンスされることが多くなったが、
わたしにとっては、そういった名称・区分もどうでもいいとさえ感じる。


ちなみに、FBの英語版では、多種多様の性別が選択できるらしい。
英語版FB


Agender(無性別者)
Androgyne(男性、女性の両者の性的な特徴と器官がある人)
Male to Female
Female to Male
Trans
Trans Female
Trans Male
Trans Man
Transsexsual Person
Bigender(男女両方の性的特徴・志向を持った人)
Non-binary(カテゴライズできない人)
Cis(生まれた時に診断された身体的性別と自分の性自認が一致し、それに従って生きる人:参考)
Cis Female
Cis Woman
Cis Male
Cis Man
Cisgender
Gender Fluid
Gender Nonconforming
Gender Questioning
Gender Variant
Genderqueer
Neither
Other
Neutrois
Intersex(Wikipediaによれば中間的な性)
Pan-gender(日本語にしにくい…性別を超越している人、くらいなニュアンスでしょうか)
Twi-Sprit(こちらに経緯がまとまっています)
(こちらはイケハヤさんの記事を参考にしています)

興味深い日本語概略は➡こちら


さらに、FBは新しい性の提案も受け付けているらしい。

そのうち100とか200も「性」が誕生しそうだが、
結局そうなったら「性別」ってどうでもいいということになると思う。


これまでの人生を振り返ると
かつて暗黙のルールのために、
やりたくてもできずにいた時代

「わたしはこれがしたいからする」
「わたしという存在はこれだからこれ」
と言える時代・・・

その両方を経験することで
「わたしとはなにか?」という問いが鋭くなり、
そして、ますます明確になってきた感じである。


ありがたいことだ。




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tag : スポーツ ジェンダーフリー LGBTQ 昭和

夏、立夏のころ③・・・野球と洗脳

どこのプロ野球を応援するようになるかは
自分の家族、特に父親がどこのチームを応援しているかが大きいと思う。

物心ついて、気が付くと
○○を応援していたということは至極当然で・・・

なぜなら、ほぼ毎日ラジオとTVでプロ野球中継があり
それを応援している父親と一緒になって見てしまい

自然とそのチームを応援してしまうのだから
もうこれは洗脳と言ってもいいと思う(笑)

野球とは何か?
中日とは何か?
他にどんなチームがあるのか?
それらを冷静に考える前に、
わたしの場合は、物心ついた時にはすでに中日ファンだった。

巨人のV10を阻止した伝説を持つ中日は
父の誇りだった。

先日亡くなった星野仙一が現役の時や
外国人選手のマーチンをTVで生でみている。

巨人長嶋のながれるようなプレーもあこがれたが、
やはり、高木守道の伝説のバックトスは史上最高の芸術であろう。



最近のプロ野球は、まったく見ていない。
見なくなったのはなぜだろうと考える。

面白くなくなった・・・
それだけだ。

長いペナントレースの意味をなくした
クライマックスシリーズという制度になって
ますますつまらなくなったと思う。

そして、いつの間にか野球が
個人プレーのようになったと感じているのは私だけだろうか・・・


先日、元カープの衣笠選手が亡くなったが、
なぜ、江夏の談話が報道されたかわかる、若い人は少ないだろう。
「江夏の21球」衣笠さんの言葉で難逃れ名場面生む

「あの苦しい場面で自分の気持ちを理解してくれるやつが1人いたんだということがうれしかった。あいつがいてくれたおかげで難を逃れた」

「いいヤツを友人に持った。俺の宝物だ。ワシもすぐ追いかけるんだから。次の世界でまた一緒に野球談議をするよ。それが楽しみだ」


いまのプロ野球では、
79年、江夏の21球のような名勝負や
94年、10・8の最高視聴率48.8%の
首位決戦のような緊張感はもう見られない。


(江夏と衣笠の場面:時間のない方は、29:20ぐらいからご覧ください)

ちなみにこの日の江夏は、
漫画家の水島新司と徹夜マージャン明けでの登板だった。
伝説の「江夏の21球」 水島新司と徹夜麻雀明けの登板だった

あの頃のプロ野球には、
選手、観客一体の汗臭い熱気と、
破天荒な中に浪花節がながれていた。


そして、わたしがソフトボールに熱中し
勝負中の洞察力が身についたのは
まぎれもなく父の洗脳のお陰だ(笑)


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tag : 江夏の21球 ドラゴンズ 昭和

夏、立夏のころ②・・・騒音と瞬発力

わたしの実家は、名鉄電車の線路沿い、踏切沿いにある。

TVをつけていると、特にいい場面にかぎって
急行や特急がとおりすぎるというジンクスがあった。

線路がそばにあるために
列車が通るとまったく音が聞こえない。

だから、遠くからやってくる電車の音で
鈍行かもしくは急行・特急がわかるようになり、
いい場面ではTVまですばやく走っていって
絶妙のタイミングでボリュームを上げたものだ。
間に合わないときは、直接スピーカーに耳をあてた(笑)

いまのようにリモコンがない時代の笑い話である。

物心ついたころには
その動作はもうプロ級である(笑)

鈍行、とくに上りの鈍行では
なぜ走らなくてもいいかというと
家の前の駅で止まってくれるから
比較的騒音はちいさいからだ。

わたしが音に対して敏感になったのは
ひょっとするとこの名鉄電車のお陰かもしれない(笑)

走力では、持久力は苦手だったが
リモコンのないこの日常が
わたしの瞬発力をきたえてくれた。

この瞬発力のお陰で
球技のボールに対するすばやい反応が培われたような気がする(笑)

なにごとも、
少し不便なほうが子供のからだは育つのである。



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tag : 名鉄 瞬発力 昭和

夏、立夏のころ①・・・こどもの日

今日から立夏
さわやかな五月晴れの日で幕開けだ。

立夏という言葉とは裏腹に
まだまだ、涼しい朝を迎えている。
先日来、塾の子供のソフトボールの応援に出かけている。
自分の塾に、二年連続エースがいるのも初めての体験だ。

試合観覧では、ウインドブレーカーを羽織る人も多く、
立夏のとはいってもまだまだ肌寒い感じ。

初夏から本格的な夏にかけては、スポーツシーズンの到来。
子どもたちにとっては、勉強に大会に忙しい日々となる。

そういう私も小学生の高学年からずっと(近代)スポーツをやってきた。
それは店を始める43歳まで続いた。

ドッジやサッカー、ソフトボール、そして陸上(投てき)、ダンス・・・

種類は多くないが、ずっとスポーツ畑を歩いた。
だから体のあちこちが中古のポンコツのように痛む(笑)

小さい頃は特にスポーツというよりは、田んぼや空き地が遊び場だった。
それがからだの基礎体力をつくった。

走る・跳ぶ・バランスをとる・・・
そういった運動の要素は遊びで育つ。

今の子は、なかなかそういう場と時間がないので
すぐに近代スポーツのクラブチームに入る。

近代スポーツの特に球技は、
左右で極端に違う動きをするものが多いので
小さい時からやりすぎると、
左右どちらかを酷使し、バランスを崩すため
腰痛や肩痛などの怪我が多くなる気がする。

やはり子供は野々山で遊んでほしい・・・
そのほうがバランスよく心身が育つ。

そういうわたしもその腰痛と肩痛が日常茶飯事・・・

小さいころから体を動かすのが大好きだったが
今では自力整体散歩のほうが性に合う(笑)

人間のスポーツ欲、とくに近代スポーツ欲というのは
一生のうち一定に定められているのか?と思うほど
いまはもう(嫌いになったわけではないが)
あまりやる気になれない。

畑や土いじりのほうが自分の体にしっくりとくる・・・

さて、この立夏のころは、夏にふさわしく
わたしのスポーツにまつわるあれこれでも語ろうかと思う。

こんなポンコツになった体が学んできたあれこれ・・・
これもまた人生の栞・・・


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tag : 立夏 ソフトボール 人生の栞

春、穀雨のころ⑭・・・人生時計

今日で穀雨も最後・・・
明日からは立夏だ。

人生時計をご存じだろうか?

人生時計
(1997年以前生まれの方は、
上の「人生時計」の文字をクリックしてください。
生まれが1998年以降の方は、簡単な比でできます。)

やり方
24:X=男女平均寿命:自分の年齢
24と自分の年齢をかけて、
その値を平均寿命で割る。

自分の年齢を、一日24時間で換算して何時ぐらいのなるか?
という時計だ。

6年前にも書いたが➡こちら
久しぶりにやってみた。

わたしは、午後の後半を迎え始めた。

「午後の後半に向けて。
お昼から始めたことも、
ちょっと慣れてきてひと段落。
しかし日没まではまだ時間があります。
気分を変えて、新しいことを始めるのも
よいかもしれませんね。」

そんなアドバイスが出てきた・・・。

はじめてこの時計を使ったのは25.6歳の時。
当時は「早朝」だったことを覚えている。

早いものでもう午後の後半。
ホント人生ってあっという間だ。

何となく黄昏時に向かうこの時間・・・
少し、寂しくなりそうだが、

いまの一日で例えれば、
これから塾の授業が始まる時・・・

なんのことはない、
これから楽しい時を迎えそうだ。

子どもたちといっしょに学び、笑う。

人生これからのようだ。


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tag : 穀雨 人生時計

春、穀雨のころ⑬・・・さださん

十年、をちこちでも何度も登場した
「意見には個人差があります」というフレーズ・・・

「年の初めはさだまさし」や
「今夜も生でさだまさし」でさださんがよく言います。
歌やタオルまで作られています(笑)

スクリーンショット (14)

要は、毒舌を言いたいのだが
あまりにもきつくなりすぎてよろしくないので
雰囲気を和らげたいときに使うパロディ(笑)である。

笑いは、人の心を解きほぐし
言いたいことが伝わりやすくなる・・・という効能がある。

相談行(菩薩行)をしていて
笑いが起きた時は大成功である。
笑いとともに、言いたいことがちゃんと伝わるからである。


「意見には個人差があります」

この言葉・・・笑いながら、しかも
言いたいことはきちんと言えるので
わたしは大好きだ。

傍観者のような、また、
ふざけた責任転嫁したような笑いとは違う
「主張」がちゃんとある「笑い」・・・

これを絶妙のタイミングで採用するさだまさしさん・・・

いやぁ~天才です。

歌舞(カブ)く天才、桑田佳祐さんとともに
パロディを真面目に=まじパロの天才、さだまさしさん・・・

さだまさしさんが天才なのは
笑い泣きができる歌をつくることです。

笑い泣き
とは、この世の中で一番
心の浄化になるんじゃないかと思えるほど
素晴らしい感情の発露です。

チャップリンの映画もそうです。

いまのTVの薄っぺらいくだらない笑いではなく
泣いている自分の底辺を自分で笑い・・・
笑える滑稽な主人公に
たぐいまれなるピュアさを感じ取って泣けてくる・・・

私の人生上、出会った芸人では、
昭和の喜劇役者(松竹新喜劇)の
藤山寛美(ふじやまかんび)さんが最後のような気がする。

それほど、本物の芸人が生まれなくなってきている。

チャップリンも寛美も父が教えてくれた。

「芸は水に字を書くようなもの
書き続けないと見えなくなる」

寛美さんの言葉である。


笑っているうちに泣けてくる・・・
泣いているうちに笑えてくる・・・

まさに
苦の中にいて苦のままで楽である・・・
なのです。

GW、時間もあるのでこの本を読了した。



中学から高校にかけて
さださんの歌を聴いていると
「暗い」と言われたが、
この年になっても、偉人は偉人。

12歳年上で、
辰年という共通項もうれしいかぎりだ。


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tag : さだまさし 「意見には個人差があります」 藤山寛美 昭和

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