父の遺言 ~2017年2月 宙結び随想~
父が亡くなった。
この一ヶ月も いろいろなイベントをさせているが
父はそんなわたしを気遣い
あえて イベントのない月曜日を選んでくれて 逝った。
さすがに その日は 涙をこらえるのに努力がいったが
いまは、少しずつ こころの整理もできて
こうして 父のことをブログに書けるようになった。
父は背広の職人だった。
「テーラー神辺」である。

わたしが 強者より弱者にまなざしが向くのは
父が 巨人ファンではなく 中日ファンだったからだろう。
わき目もふらず、強引に
大枚をはたいて選手を獲得する巨人のやり方を
父は こころから嫌っていた。
そんな父に わたしは似たのだと思う。
みっともないほど 大きな力にまかせ ことをすすめる団体に
物心ついたときから アンチになっていた。

巨人 大鵬 卵焼き・・・
卵焼きは大好きだ。
大鵬のことはよく知らない。
中日×巨人戦のナイターがある夜
わが家はとてもにぎやかだった。
ソフトボールでキャッチャーをしていたわたしは
父とともに 巨人のバッターをいかに打ち取るか
一球一球 球種とコースを組み立てた。
たいていの場合
父と意見が合ったから不思議だ。

いまでも行うイベントが
ささやかで小さくなっていくのは
きっと父のせいだ (父、苦笑)
父の遺言①
小さきものに目をむけよ

今月もご参加くださったみなさまがいてくださり
ご来市下さったみなさまがいてくださり
心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。
宙結び随想といいながら
父への回想録なってしまいました。
また、遅れましたこと どうぞお許し下さい。

よろしければ、来月18日も是非お越し下さいませ。
父、母への想い 縫い裁つ人
お礼が遅れまして申し訳ありません・・・宙結びありがとうございました♪(*´▽`*)
18日は、宙結び♪(*´▽`*)
味噌作りは「神」である!
奇祭・ごんぼ祭り ~的に隠された秘話~

奇祭のごんぼ祭りは
おそらく伊勢神宮系の祭事とは全く別系列の祭りである。
岡山県の美作国一ノ宮「中山神社」より
1000年以上も前に神様を勧進されてできたこの神社は
おそらく産鉄民の神を崇める民の祭りである。
「中山」は「なかやま」ではなく、「ちゅうざん」と読むこともある。
「ちゅう」とは、鉄の鋳(ちゅう)造の「ちゅう」であろう。
奇祭というのは、
後からやってきた(征服した)
天津系の渡来人がそう言ったに過ぎないわけで
ご祭神が、金山彦命であるこの神社の民からすれば
奇祭どころか、あたりまえのど真ん中ストレートの祭事であろう。

産鉄にはとにかく人数がいる。
村ぐるみの技能集団である。
もののけ姫にも出て来る「タタラ族」である。
だからこその子孫繁栄なのである。

足でふいごを踏み
灼熱の炎の傍での作業・・・
膝を痛め、片足を引きずるものも多かったのであろう・・・
業火のせいで いつも皮膚が暗褐色にただれていたとも想像できる。
火の様子を釜口からのぞくので片目もやられてしまう。
もののけ姫にもそうやってからだを痛めたであろう人々が出て来る。
そうした人々の形相を
まちの人々が妖怪として忌み嫌ったため
「一つ目小僧」などが生まれる。


柳田國男の『一目小僧その他』もまとめている。
・鍛冶の神。
・一つ目小僧は、山の神の零落した姿。
・山の神へと捧げられた人々は、片足、片目にされた。
・鍛冶職人には、片足、片目の人達が多い。
・伝承にある一つ目は、普通の顔の状態で、片方の目が潰れている。
・顔の真ん中に一つ目となったのは、後になってから。
・傘お化けは、片足の一つ目小僧が、笠をかぶったり、傘をさしている姿から来ている。
等
ちなみにこの「御弓神事」は
かつて「蟇目祭」(ひきめ)と呼ばれていた。
「蟇」はヒキガエルの「蟇」である。
ヒキガエルのあの暗褐色のイボイボ皮膚は
まるで焼け爛れた産鉄民の皮膚そのものではないか・・・

また宮崎駿氏が言うように
当時どこにも行く当てのないハンセン病の患者が
山深い産鉄場で働いていたかもしれない。

もう一つ・・・
ごんぼ祭りの御弓神事の的は、
やはり、「鬼」の字の変形であった。
最初の一角目の「ノ」がない。
つまり角がない鬼である。

もともと住んでいた産鉄民を征服し
悪者の「鬼」にしたてあげ、
産鉄民から奪った鉄の矢じりで退散させ
角を奪う=降伏・従順させたこと表している。
鳴釜神事で有名な
吉備津神社の鬼「温羅(うら)」の秘話もそう・・・
青森県 弘前 鬼神社(鬼の字は上の点がない)もそうである。


私にとって「鬼」とは・・・
こんなイメージです。
↓

もしくは、征服された側の智慧かもしれない。
「鬼」とよばれた先祖をわざわざ角を取った漢字に変えて
征服者には、いかにも鬼を退治してますよとパフォーマンスをし、
その実は、きちんと鬼である先祖をお祭りしているという隠れ蓑に
この字を使ったのかもしれない・・・
隠れキリシタンならぬ
隠れ鬼(ご先祖様)信者!

「鬼は外 福は内」の節分を
「鬼は内 福は内」と
両方「内」にしている地方が今も残るのはそのためである。
物部神社など産鉄民にゆかりのある弓矢の神事には
よくこの「鬼」の字が的になる。
もともとは、角のない「鬼」の字ではなかったろうか・・・

わたしが、山深い神社を訪ねるときに
こころの奥がずんと痛むのは
そうした虐げられた弱者たちの痕跡を
神社の建物や祭事に見るからである。
神社がパワースポットとしてのみ
浮かれ、崇められるのは
少々片手落ちの気がする。
縄文、弥生(新しい縄文)、大和王権・・・
その三つ巴の秘話が、山深い神社にはある。


(同じ三つ巴でも 色も三つの玉の位置もちがいます)
PotLuck的生き方

梅の花「雲龍」が目を覚ますと
AddCafeにも 春の到来です。
今年最初の自力整体で
からだを覚まし・・・(画像がなくてすみません)
その後は、PotLuckでした。
こうやって皆さんとなにげない日常のお話や大爆笑のお話まで・・・
夜がふけるまでお話できる場があること、人が来てくださること・・・
全てが奇跡なのだと思います。

永遠など決してないこの世で、
日頃お会いしているのに
一期一会の出会いのように新鮮な感謝の気持ちで
そのひとと出会いなおすことの素晴らしさ・・・
人生が一度きりで再生不可能なのは
こういった場を何度も何度も確かめるためにあるのではないかな~


ご参加くださいました皆様・・・
ありがとうございました。
またの機会も是非お越し下さいませ・・・