2020年、私思考の振り返り⑫ 「問いを作る力」
希望に満ちた実に香ばしい風が吹いてきました。
ああ、やはり風の時代に入ったんだな・・・
私は確かにそう感じました。
きょうは、2020年、最後の日・・・
2007年ぐらいから感じ始めたこと、
・お金の仕組みがおかしいこと
・これからは自営のほうがいいこと
・当たり前と思わされていることはあたりまえでないこと
・表の世界と同じだけ、裏の世界があること
当時はまだ伝え方も拙く、
もちろん今も拙さは変わりませんが、
今年、月の欠損・風の時代という言葉を知り、
推定が確信に変わった2020年です。
知識➡感性➡知識➡感性・・・➡ハラに入る・・・
まだ、人任せ任せですか?
まだ、コップの淵で中にも外にも入ろうとせず、傍観ですか?
まだ、教えてもらおうと必死ですか?
まだ、人が何かをしてくれると期待してますか?
まだ、何かをしてくれる組織を組んだり、作ろうとしていますか?
まだ、やらない言い訳を環境や時代のせいにしますか?
まだ、慢性病に対処する医療を信じているのですか?
まだ、学校が唯一無二の学びの場と嫌がる子供たちをかり立たせますか?
まだ、今のお金のシステムに疑問を持ちませんか?
まだ、学力とお金のリンクを支持し、増強させるつもりですか?
まだ、みんな一緒でないと気が済みませんか?
・・・・・
まだ、世の中がそうだから仕方ないと諦めますか?
まだ、知ろうとしませんか?
まだ、知っているのに伝えようとしないのですか?
ずっと言っているような気がいたします。
これからの時代は、ますます
問いを作る力が重要になっていきます。
自分の感性よりはじき出される違和感から生まれる問い・・・
私の場合、
2007年に覚えた違和感と推定的確信が
ある結実と未来を語り始めています・・・
2007年ごろ、私は
会社の全体研修の場・・・
確か冬期講習をいかに取ってもらうのかというの研修で
研修担当の身でありながら、
いや、研修担当だったからこそ
静かに宣言した言葉があります。
「私は資本主義から離れます。」
塾産業に身を置き、
研修担当者として皆の前に立つ身で
こう言い放ったあの時の私を
今では誇りに思っています。
星々が連れてくる風の匂い・・・
私にとっての
あなたにとっての
2020年が終わり、
2021年がやってきます。
風、吾を透って、天の経済に達する・・・
どうぞよいお年を・・・
2020年、私思考の振り返り⑪ 「やったことしか返ってこない」
本当に一年が早いです。
年を取ると、月日が経つのを早いと感じる・・・
それはなぜか?
「ジャネーの法則」というものがあります。
ウキペディアによれば、
生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例する(年齢に反比例する)と主張したものである。
例えば、50歳の人間にとって
1年の長さは人生の50分の1ほどであるが、
5歳の人間にとっては5分の1に相当する。
よって、50歳の人間にとっての
10年間は5歳の人間にとっての1年間に当たり、
5歳の人間の1日が
50歳の人間の10日に当たることになる。
つまり、5歳だった時に比べて
10倍のスピードに感じるというわけです。
こんな法則を見つける人もすごいですが、
私たちも身の回りのささやかな観察によって
導き出される法則があります。
その中でも私が最も重要視する法則が、
「やったことしか返ってこない」
これを、唯物的に考えて、
じゃあ、〇〇してほしいから
これこれをやっておこう・・・!
と損得と交換でしか考えられない人は、
もう不幸としか言いようがありません。
以前のご相談者で
「わたしは、何かしてくれる人としか
友人になったり、恋人になったりしません」
そう宣った人がいました。
それはそれで、もちろん生きていけるし、
物をもらって幸せなのかもしれませんが、
心の底から沸き起こる
「ああ、ありがたいな、幸せだな」には
一生たどり着けないでしょう・・・
「やったことしか返ってこない」
の根底にある前段階として
日ごろの「在り方」が重要です。
この在り方を磨くのは
一日や二日では無理です。
一生かけて自分と向き合い
育てていくしかないのです。
前者のような方は、
人間にとって一番の悲劇にたどり着いてしまいます。
それは・・・
「自分のことが嫌い」
という悲劇です。
なぜ自分のことが嫌いになるのか?
それは、天に沿った生き方ではないからです。
いざというときに、思いもよらない力で助けられる・・・
そんなご経験をなさった人がたくさんいます。
その方たちは間違いなくこの在り方が
天に沿っているからです。
やったことを返してくれるのは、
人ではないのです。
その原理がわかる人にはわかる・・・
それを知っている人を「幸せな人」というのです。
寺社への初詣に行かれるのなら
願い事をいうのはやめたほうがいいでしょう。
あれも欲しい
こうしてほしい
願いをかなえてほしい・・・
有名な大きな神社など、
この損得・我欲の「気」で汚れているところもあります。
それよりも何よりも
「いつもありがとうございます」
このお礼だけで十分なのです。
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2020年、私思考の振り返り⑩ 「始めること、経験すること」
2020年、始めたことが二つある。
一つは、ご存じYouTube・・・
もう一つは、3月に始めたフィットネス・・・
ピンピンコロリで行きたいので、
60歳からは運動をしようと思っていたから
3月にできた新しいフィットネスは渡りに船だった。
このフィットネス、利点はといえば
自分のペースで何度通ってもいいし、
時間も朝8時から夜10時?ぐらいまでやっているので
私の場合、朝活にはちょうどいい・・・
途中、コロナの緊急事態宣言で
一か月ほどgymが閉じられたが
これで、8.9か月通っているが
大体平均週2ぐらいが自分にとっていいペースだ。
小中高大とずっとスポーツをやってきて
卒業後も年に一回ダンスの自主公演をしていた。
ところが、店をするようになって
とてもではないが、ダンスとの両立は無理となり、
なんと12年間、1ミリも運動をしないという生活が続き
さすがにまずいと重い腰を上げたわけだ。
そのフィットネスはドイツ生まれのようで
さすがに個人主義が浸透しているヨーロッパの国であって
自分一人でもちゃんとできるように
AIが管理、進行をしてくれる。
だからスタッフ無人の時間帯に行っても
黙々と自分一人ででき、
しかも30分というほど良い長さのメニューなので
本当にちょうどいい。
いけるところまで頑張っていきたい。
もちろん私はアスリートになるわけではなく(笑)
適度な筋力をキープするのが目的なので
この30分は本当に適度なのです。
ちなみに、筋トレ(運動)は脳を鍛えるのです。
これはつい最近(2007年ごろ)分かった新しい科学的根拠です。
私たちが小さかった時、
脳に新しいニューロンは生まれないといわれていました。
しかし、最近の科学では、
脳はいくつになっても新しく生まれ変わるというのが
常識になってきました。
これは朗報ですよね。
携帯さえ知らない母が、
80を超えてタブレットをするようになっているのを見て
いくつになっても脳は進化できると
目の当たりにしています。
下の動画も参照してみてください。
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2020年、私思考の振り返り⑨「将棋とホロスコープ」
時々アプリで将棋をする。
この将棋をしていると、駒の一つ一つが
ホロスコープの惑星に見えてくる。
将棋の駒も
ホロスコープの惑星も
それぞれのお役目があるだけで
優劣や善悪はない。
その駒一つ一つ、惑星一つ一つがドラマを作るだけだ。
そのどちらも、この人間界で
あるドラマを作るのに生かされているに過ぎない
いや、いや
すべてを生かせれば
本当に素晴らしいゲーム、
すばらしい人生になるはずなのに
「自分」というこのつたない視点によって
台無しにしてしまうことが多い・・・
要は見えていないのだ・・・
この「私」が、
うまく生かせずに終わってしまう
駒や惑星を生んでしまうのだ・・・
なんという失態・・・
だから
知識の上に
視野
視点
気づき
が大切なのだ。
これからの時代、この気づき力は本当に大切だと思う。
特に、縦方向からの叡智に対しての気づき・・・
縦方向とは、「経」
織物はなぜ経糸からセッティングするのか・・・
それは、縦方向(宇宙)のエネルギーを先に乗せるためだろう。
私たちにとっての経糸が、ホロスコープなのだ。
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tag : 将棋
【未来への発信】これからの塾
学校の補佐的なシステムとして育ってきました。
それが、高度成長期以降、
世の中の右肩上がりの経済状況に合わせて、
予習型
超予習型
英才教育型
と幅を広げました。
スタイルも
そろばん塾の延長の一斉指導
→少人数制
→個別指導
→マンツーマン
と進歩してきました。
その進化の理由は、学校のまねごとをしながら、
学校では行き届かない部分に
積極的に手を届かせるという考え方にあったように思えます。
その結果わが県では、
公立学校より塾のほうが
信頼できるというねじれが生じています。
これは嫌味ではなく、
38年間この業界にいて親御さんから届く
盛り込みなしの事実の声です。
学校の先生自らが
「これは塾でやってもらい(やってもらってください)」
と宣う始末・・・
私の大学の知り合いには、
自身が公立の教師であるにもかかわらず、
自分のお子さんは小学校から私立に・・・という
耳を疑う教育方針をとっている家庭もあります。
「成績を伸ばす」
この古典的な哲学が塾の生命線であり、
信念であったことは間違いないのでしょうし、
これからもその信念を受け継ぐ塾は多いかと思います。
しかし、その古典的信念を私は疑い始めています。
少なくともうちの塾では、そうでない子供もたくさんいます。
「その子に合った進学を」
この親御さんの声は何を意味するのでしょうか?
かの古典的哲学を尻目に、
新しいスペシャルニーズが生まれ始めています。
その中心にいるのがクラスの14%はいるといわれる
発達障害の子供たちです。
実はこの数は、
いわゆる県下のトップ進学校へ入る
子供たちの数と匹敵いたします。
今後、塾はどうあるべきか?
その問いに応えるには、
この古典的哲学(成績を伸ばす)よりも深刻なテーマがあります。
それは、いのち(自己肯定感)です。
子供の自殺数が、昨年より3割増加しています。
➡子どもの自殺大幅増加 コロナ禍で何が
そうだったではありませんか!
よく考えれば、
進学校に通おうが、
そうでなかろうが、
教育に携わる人間の超原則、超古典的哲学は、
「いのちあるものがいのちあるように」
これからの塾は、本来の原点に立ち戻り
この古くて新しいスペシャルニーズに
応える時が来たように思います。
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