樹下石上150・・・原発という重い病(前)
光をともし続けなければならない。
そして、生活の諸事情があって、
中途半端な光になろうが
「ならぬものはならぬ」と
出来る小さなことを誠実にともし続けることが大切だ・・・
先日、勢和図書館へ「Beyond the Waves」を見に行った。

想像はしていたが・・・重い・・・
重すぎていったいどこから手をつけていいのかわからない・・・
この本をすでに読んでいる私は、
正直そういう感想を持った。
最後に残る我々の意思表明は
署名運動と住民投票しかないのか・・・
今の政権や既得権益者に
いのちの尊厳を守って政治を行ってもらうことは
もう無理なのか・・・
最近の沖縄の件、
原発事故 東電旧経営陣の無罪判決・・・
むちゃくちゃなことが起き
むちゃくちゃなことが続いている・・・
加計人脈が判事になるなど
露骨なまでに最高裁をお友達判事で固める政権では
希望はないのか・・・
➡安倍内閣が司法に介入し強権化―最高裁判事の人事にも介入・私物化ー
官邸に忖度する司法・・・
もうすでに三権分立している国ではない・・・
公民で三権分立を教えるむなしさ・・・
昨今の現政権の強引さを目の当たりにすると
何ともやり切れない思いになる・・・
繰り返すが、福島原発の、あの未曾有の事故が起きても
東電の経営陣も国も、だれも責任を取らない悲痛で冷徹な裁判結果・・・
こういうことが起きるたび
私たちはあきらめと絶望を抱きはしないか・・・
だから、50%以上の人が票を捨ててしまう・・・
それでも、それでも
私たちはこうべをあげて前を向くしかない・・・
実は、わが三重県でも他人ごとではなかったのだ。
「中部電力は1963年、熊野灘沿岸への
原子力発電所建設計画を公表し、
翌1964年に芦浜地区を候補地を決定した。」
このまま計画が進められていたなら、
今の三重県は一体どうなっていただろうかと思うと
本当にぞっとする。
当時反対運動の先導になっていた
南島町とその関係者の方々に心から感謝したい。
「1996年には、南島町芦浜原発阻止闘争本部が、
県民81万2335人の反対署名を三重県知事北川正恭に提出した。
これを受けて1997年3月に三重県県議会は調査・建設の
冷却期間を置くよう求めていた南島町の請願を全会一致で採択した。」
実はこの81万2335人の中にささやかだが私もいる。
当時、確かサンバレーの屋上でこの署名活動をしていた人たちがいて
今思えば、あの時の署名がこれにあたるのか…と思う。
私には、その時、長崎出身のダンサー仲間がいて
その人から、ことあるごとに原発(原爆)の恐ろしさと
三重県で原発(原爆)教育がそれほどなされていないことへの
憤りを聞かされていた。
迷わず署名したが、芦浜原発の白紙撤回は
こういった市井の人たちのたゆまない努力のたまものだ。
そして、実はもう一つ原因がある・・・
1999年に発生した東海村JCO臨界事故と
バブル崩壊で中部電力が経営的に難色を示したという
偶然が重なったためだ。
かなえられた白紙撤回は、
住民の長年の努力と偶然の事故と時代の流れ・・・
もし、この事故とバブル崩壊がなかったら一体どうなっていたか・・・
政府の強引さで進められていてもおかしくなかったはずだ。
私たち三重県はそういった天地人の恩恵で
今は、原発の心配もなく生きていけること、生かされていることを
肝に銘じないといけない・・・
そして、原発について学ぶこと・・・
福島についてできること・・・
できないかもしれないと生きるよりも
やれるかもしれない
きっとできると思う・・・
そういう気持ちで日々を暮らしたい・・・

(Beyond the Waves上映会で販売されていた本)
次回はこの本から少し抜粋したい・・・
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体