令和buzz160・・・just do right(その通りにすればいいだけさ)
本日長文につき、お許しください。
黒人の公民権を勝ち取るために、
活動した人物として、
キング牧師が有名ですが、
もう一人有名な方がいます。
マヤ・アンジェロウさんです。
活動家、詩人、歌手、女優である彼女の動画を
ひっそりと発見しました。
「魂が喜ぶ生き方」と題されています。
魂とは、もちろん自分の魂ですが、
久しぶりこういうフレーズを聞いて、
ああ、やっぱりそうか・・・
と思ったのです。
魂は嘘をつけません。
人は、人には嘘をつけても
自分自身には、一ミリも嘘をつけません。
それなのに、嘘をついた言動を選択してしまいます。
ですから、
いくつもの偽善や虚勢を潜り抜けて
自分の魂の声と言動が一致した時、
自分の魂が喜ぶと言うことになります。
魂が喜ぶと、
神様が喜びます。
あ、決して、怪しい宗教ではありません(笑)
よくわからない人は
スルーしてください。
でも、なんとか
分かりやすいように説明します。
自分の魂は、
自分の精神と肉体、そして
それを行き来する心をも包み込む
さらに大きな魂と源流は同じです。
例えば、
人間の身体が大いなる魂だとすると
末端の指先の一本が自己の魂・・・
他の指先は、他者の魂・・・
その指先は時に
額に手を当てたり
首を掻いたりしますが、
指をあてられた身体は、
互いに体温を感じます。
その体温を温かいなー、冷たいなーと感じるものが
「心」という感じです。
五本の指全部が温かいと感じるとき
この5本の指同士の価値観が同じというわけです。
身体のてっぺんの脳が精神・・・
でも、脳(精神)は、
身体ほど魂に正直じゃないので
根性で我慢したり、働きすぎたり・・・を
こなしてしまいます。
「ねば」「べき」の領域です。
脳(精神)は、自分の人生で、
意味がないものを意味あるものと錯覚させたり
意味あるものを意味ないものとして捨てさせてしまうときもあります。
「お国のため」の戦中がそうですし、
今のコロナの同調圧力も同じ性質です。
脳(精神)の誤作動です。
脳(精神)は、
心や自己の魂をだましたりすることもできます。
脳(精神)は、心を作り出しますが、
それが、身体(魂)と一致しないとき
病気になったりします。
ちなみに、精神は「幸福」までは感じられ
自己の魂は「歓喜」までを感じます・・・
大いなる魂は、何か感じる、感じられる自他はなく
「ただ、ありのまま」という状態があるだけです。
それほど、
精神と自己の魂、そして、大いなる魂の大きさが違います。
源流の魂、それを神と呼ぶ人もいれば、
宇宙と呼ぶ人もいますが、
私は別にどちらでもいいと思っています。
だから、それはあなたの名前であってもいいのです(笑)
大いなる魂も、自己の魂も、
本人が真にありのままの時は力を貸せますが、
偽善や無理をしているときは、
「その者がしている“ありのまま”がありのまま」というルールですので
力を貸しずらくなります。
こういう構造さえわかれば、
なぜ、人に優しくした方がいいのかとか・・・
なせ、人が喜ぶことをした方がいいのかとか・・・
なぜ、人に親切にする方がいいのかとか・・・
なぜ、他人をありのままにさせておくのがいいのかとか・・・
なぜ、心で話すと伝わりやすいのか・・・
そういうシンプルなことがわかります。
自分はあなただし、
あなたは自分だからです。
Oneness(ワンネス)とは
いま言った仕組みや構造を指すわけです。
神様とは、単なる象徴で、
実は、自分自身のことですから、
自分が喜ぶと言うこと
神様が喜ぶということだし、
神様が喜ぶと言うのは、
自分が喜ぶと言うことです。
繰り返しますが、
怪しい宗教ではありません(笑)
表裏一体、
自他同一、
前の人の尻尾は、自分の尻尾・・・
だから、
魂が喜ぶ生き方をすると、
その魂と紐づけされている
他の魂も喜びますから、
自然と人が集まり、
金運も上がることになります(笑)
とどのつまり、金運は人がつれてくるからです。
ただ、気つけないといけないのは
金運は、お金だけを意味しません。
そこの定義を誤ると
エライことになります(笑)
お金と同等、
もしくは、お金と等価以上の価値あるものが、
物々交換で集まったり、
信用と言う価値に囲まれ、
互いにいたわりあう人間関係を営み、
豊かな生活を送ることも
お金と同等、いえ、それ以上の価値です。
健康で暮らせると言うのも紛れもなく、
お金以上の価値です。
金運とは、人生の価値そのものです。
お金と人生の価値、それをひっくり返してはいけません・・・
また、お金とは、「託される」ということです。
何をか?
価値あるものから、もう一度
価値あるものを生み出してほしいという願いを、です。
そういう意味で、
お金というのも単なる象徴としての一例にすぎません。
魂が喜ぶ生き方をしている人に
わたしは、なりたいしこれからもそれを目指します。
「託される」に値する人間になるよう
一ミリずつでも、just do right(その通りにすればいいだけさ)!します。
しかし、これは、人間界では
少し厄介なことです。
なぜなら、それは時に自分勝手に映るからです。
正社員を望む親がいるのに
自分がつぶれそうだからとやめてしまったり、
孫の顔を首を長くして待つ親がいるのに
結婚をしないという選択することだからです。
良識や常識の下に自分を置き、
自分という存在に我慢を強(し)いている人や、
みんなそうやって生きるのが普通だと信じる人や、
また、それが周りや世の中のためになることだと信じ、
美徳だと思い込む人からすれば
魂が喜ぶことをしている人は、
本当に自分勝手に映ることでしょう・・・
でも、
just do right(その通りにすればいいだけさ)!
その通りとは、魂の喜ぶ通り・・・
そういうことです。
会社時代に、ある最上司に言われました。
「あなたはどうしてそんなに頑固なんだ!(素直でないんだ)」
私は即答しました。
「私は頑固とは思っていません。
わたしは、自分の心の声にしたがっているだけです。」
(自分の心に一番正直であると思っている)
本物の、魂が喜ぶ生き方は、
勝手に振る舞っているようで、
なぜだか人に好かれるのです。
そういう意味では、
当時の私は、その最上司を不快にさせてしまったので、
まだまだ未熟だったと言うことです(笑)
「勝手に振る舞っているようで、
なぜだか人に好かれる」
孔子は、この達観した境地を
言い得て妙に表現しています。
「七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず」
(70歳になったら自分の心のままに行動しても
人道を踏み外す事が無くなった。)
英語でいえば、
just do right(その通りにすればいいだけさ)!
わたしも、着々とその域を目指したいと思います(笑)
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