春、春分のころ⑤・・・桜前線を待つ
毎年毎年、水仙が咲き、梅が咲き、木蓮が咲き・・・
いよいよ桜かなというこの時期はやはり気が急く(笑)
今年は、昨年台風で折れてしまった淡墨桜も気にかかる。
元気だろうか・・・
➡日本三大桜、岐阜の淡墨桜の枝折れる 台風21号
樹医をはじめ、地元の人々に
何百年と大切にされてきたあの桜・・・
みなさんは行かれたことがあるだろうか・・・
最近は、ちょうど後ろで育っている2世の方が勢いが出てきているが
「継体天皇のお手植え」という伝説があるこの桜は
樹齢1500年以上・・・圧巻である。
まだご覧になっていらっしゃらないかたは一度は足を運ばれては・・・と思う。

(2016年)
➡薄墨桜と人生の縦軸・・・
ちなみにここまでの道は、最後一本道になるので
出来るだけ朝早くいかれることをお勧めします。
現地に8時、9時につくようにしないと
かなりの渋滞になりますから・・・
1500歳の淡墨桜は言います。
どんなに大きくなろうとも、
自分を支えられるだけしか手は広げられない・・・

(2018年、直径20から30cm、長さ6から8mの大枝が4本折れた淡墨桜)
腕が折れた桜からそんな声が聞こえました。
樹木と人間は切っても切れない関係です。
ちなみに、守護樹があるという人もいます。
子年生まれの人 守護樹は「ヒノキ」
丑年生まれの人 守護樹は「サカキ」
寅年生まれの人 守護樹は「ウメ」
卯年生まれの人 守護樹は「モモ」
辰年生まれの人 守護樹は「サクラ」
巳年生まれの人 守護樹は「マツ」
午年生まれの人 守護樹は「カエデ」
未年生まれの人 守護樹は「タケ」
申年生まれの人 守護樹は「スギ」
酉年生まれの人 守護樹は「タチバナ」
戌年生まれの人 守護樹は「クコ」
亥年生まれの人 守護樹は「ヒイラギ」
なるほど、思い当たる節もあります。
ちなみに、以前、藤で有名な江南の曼陀羅寺での路上講釈でも
この守護樹のことは聞いたことがありますので、
おそらく間違いないと思います。
人間が樹木を切っても
樹木は人間を切ることはありません。
彼らは私たちをとても寛容な心で観ていてくれています。
樹木は、互いに張り巡らした根によって交信し、
青空に向かって大きく広げた枝によって
わたしたちにメッセージを届けます。
そして、桜前線を北上させるのは、龍たちの御業です。
➡龍と桜前線
今年は是非、ご縁のある樹木のメッセージを感じ、
龍に出会ってみてください。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
春、穀雨のころ⑤ 事始めの雨・・・
あのとき、あのころの舞台を
もう一度、自分軸で 整理、構成しなおし、
すでに忘れ去られようとしている喜怒哀楽を客観し
客観することでかえって純度を与える・・・
そういう大切な「こころの作業」のような気がします。
「人生の栞」
「十年、をちこち」は、私に大切なことを教えてくれました。
だれが読むとも読まなくとも
まずは自分が読む(詠む)。
お店11年目を迎えた私の小さな宣言になりますが、
1年後、平成が終わりを告げようとする来年の今頃まで
一日一話を目標に
一日一歩ずつ・・・
随筆家になっていこうと思います。
「二十四節気への手紙」
すでにはじめて四話になります。
わたしは、辰年で 龍神様とご縁があるのか
何か少し大きなことを始めるときはよく雨が降ります。
あたらしい靴をきばっておろそうとすると雨が降り、
手作り市「宙結び」も雨で始まり・・・
そして・・・
「二十四節気への手紙」を始めた日も、
小雨の中、苗を植え、のちに本降りとなりました。
➡オオルリの祝福
雨降って地固まる・・・
雨は、わたしにとって吉兆です。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
十年、をちこち・・・66
十年、をちこち・・・㊸
十年、をちこち・・・㉞
お店の営業をマイペースに、
自分らしい営業の仕方に変えてから、
そういう時間が増えました。
印象に残っているところは数多くありますが
その一つをご紹介しましょう。
新潟県の弥彦神社です。
東経139度というラインは
古代史を語るうえでとても重要です。
松本清張は、そのことを小説「東経139度」に書きました。

※「地図でわかる天皇家の謎」より
小説によると、139度に並んだ
新潟県の弥彦(やひこ)神社
群馬県の貫前(ぬきさき)神社、
東京都の御嶽(みたけ)神社は、
今でも太占(ふとまに)の神事を残しているそうです。
太占の神事とは、
上代の占いのひとつで、
鹿の肩の骨を焼き、
その割れ目の形で吉凶を占うことです。
これを鹿卜(ろくぼく)とも言います。
亀の甲羅を焼く亀卜(きぼく)もあります。
また、現在では行われていませんが
太占の記録を残しているのが
五日市の阿伎留(あきる)神社、
伊豆半島の白浜神社です。
それ以外には西にも東にもありません。
139=ヒイ・ミ・ココノツ=ヒ・ミ・コ
となります。
あくまでも仮説ですが、
日本の歴史が勝者によって書かれたもので、
敗者は、自分たちの生きた証を
その儀礼や精霊たちに託したとすれば、
「鬼道(シャーマン)」に通じていた卑弥呼の一族が
このあたりに逃れてきたとしても不思議ではありません。
わたしたちが
神社に行って何を観ればいいのかがおのずとわかります。
ここ東経139度ラインでも
敗れた卑弥呼の末裔たちが
逃れ逃れてこのあたりに部族のあかしを残しても
何の不思議もありません。
わたしは、いまの神社を巡る時
国家神道的要素を排除してみることにしています。
いまも残る、比較的古い神社がある場所は、
本来、立派な社などなく、
基本自然と人間が一体となる
謙虚で、シンプルな場所だったと思います。
古代史が好きな私は、ときどきこうやって
地鎮のつもりで各地を巡るのが大好きです。
弥彦神社もそうで、
そういう場所では、やはり龍に出会うのです。

ふと見上げた古木は午後の優しい光に照らされていました。
下り龍が、一頭・・・
見方によっては、二頭でしょうか・・・
わたしたちをやさしく迎えてくださいました。
大木をいったん駆け上がり
一気に垂直に下っている・・・
ジェットコースターのようで楽しそうです。
何千年、何万年と生きる精霊たちは、
私たち未来の人類に何に気付いてほしいのか・・
どんな生き方をしていってほしいのか・・・
そんなことを観じながら巡るのです。
当時の旅記録はこちらです→東経139度の旅・・・