令和buzz62・・・ほんとうにほしいもの
賢治がこの作品に投影したかった「問い」が
象徴的な二つの出来事を通して描かれています。
ひとつは、「鳥を捕る人」
もう一つは「青年家庭教師」
賢治が問いかけたかったテーマ・・・
それは、
「ほんとうのほしいもの」
「ほんとうのさいわい」
この作品は、
もうすでに死んでしまった人々と、
これからも生きて「ほんとうのさいわい」を
伝えていかねばならないジョバンニが
銀河鉄道という列車に乗り、様々な人と会話をしながら
天上であるサザンクロス駅まで旅をするお話です。
また、サザンクロス駅を過ぎてからの
ジョバンニとカンパネルラのシーン、
カンパネルラがいなくなった後もかなり奥深いです。
1924年の初稿以来、
1933年に賢治が死ぬまでの間に
なんと、4回も改稿してるところを見ると
賢治のこの作品への思い入れは
相当のものでしょう・・・
1922年に最愛の妹を亡くし、
1923年、教え子の就職依頼で
青森-樺太を鉄道で旅をしているところから
おそらくそこでこの作品の青写真ができたのではと思います・・・
対比として描かれている二人・・・
鳥を捕る人は、
・殺生をしている
・その材料で、生きるのには不要なお菓子を作って商売している
・ジョバンニが持っていたどこへでも行ける切符をうらやましがり
気持ち悪いぐらい褒め、少しの嫉妬を持つ
・途中下車(消える)してしまう
一方、青年家庭教師は、
・2人の子どもを連れている
・おそらくタイタニック号の犠牲者
・タイタニック沈没時にせめて子供たちだけでもと
ボートに乗せようとする
・しかし他にも多くの子供たちがいたことで押しのける気になれず
・このまま神様のみ前に行く方がこの子たちの本当の幸福だと思い
・そのまま3人とも犠牲になる
・天上と言われるサザンクロス駅で降りていく
私たちは生きるのに
何かを捕って生きねばならない・・・
しかし、いったい何を捕るのか?
それを私たちに問う場面だ。
ジョバンニが、鳥を捕る人が消える直前
心の中で問いかける言葉ある。
「ほんとうにあなたがほしいものは
いったいなんですか」
(賢治はわざわざ
ひらがなで書いている。)
そして、青年家庭教師が
船が氷山にぶつかって沈んでしまった事情を話し終えると
ジョバンニはこうも言います。
「(氷山の流れる寒い海で働く多くの人々がいて)
ぼくはそのひとのさいわいのために
いったいどうしたらいいのだろう。」
乗車している燈台守はこう続けます。
「なにがしあわせなのかわからないのです。
ほんとうにどんなつらいことでも
それがただしいみちを進む中でのできごとなら
峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく
一あしずつですから」
昨日改めてこの作品を読み返し
「ほんとうのさいわい」を
自分に問い返したその時、
ふと見上げると
めくり忘れた日めくりが目に留まった・・・
これが応えなのだろう・・・

少なくとも
必要以上に
トイレットペーパーやティッシュペーパーを
買いあさることではないようだ。
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