青いロードマップ「楽②賢者」
※青いロードマップの概略はこちら➡人生「喜怒哀楽」論✖「7年周期」論
(2021.5.21修正加筆)
次のステージは、「楽」のニ番目、「賢者」の時代です。
年齢的には、71~77歳。
ここまで来ると「存在」そのものが価値となります。
それはなぜか?
本当に「賢」だからです。
あらゆる分野において、
真理を知っていると言っていい。
哲学
医療
教育
自然科学
人文科学
芸術
俗的には、経営
人間関係論
・・・・・
これは、学問としてではなく
叡智として知っているということだ。
そしてこれらの叡智は、
ありのままに世界を見るという叡智だ。
目の前の現実を
幻想や執着で処理しようとはしない。
「ゆく河の流れは絶えずして、
しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、
かつ消えかつ結びて、
久しくとどまりたるためしなし」
(方丈記 鴨長明)
この根源的な宇宙の真理を分かっているし
本人もその世界に片足を突っ込んでいる。
どうしてそういう世界を知ることができるのか?
それは、これまでの自分の成功に
大義名分があったと思っていたが、
不安や欲望という主観性からは
自由ではなかったということを知ったからです。
それを知ることで、
自分とあなた、自分と社会で手に入れた全てを
潔く手放す心の準備ができるようになります。
喜の時代で身に付けたペルソナを育てたり、
変えたりしてきた旅人が
ここでやっとそのペルソナをとろうとするのです。
この手放しが、存在をさらに輝かせていきます。
この辺りの年齢で、
過去の実績を酒の席でウダウダと述べる老人が嫌われるのは、
この手放す潔さを感じられないからです。
人は、何も持たずに生まれ
何持たずにあの世へ還っていく・・・
そういった当たり前の潔さを持つことがいかに難しいか・・・
酒場の老人はそれを教えます。
第一の結合が、22~28歳「恋人」の時代。
第二のの結合が、43~63歳「熱中者」の時代。
そして、「魔術師」の時代、第三の結合を経ての
賢者の時代です。
喜怒哀楽の各3つのステージは、
出会い(再会)➡創造➡手放し
を繰り返しています。
無垢、恋人、熱中者、魔術師 が 出会い(再会)
孤児、探求者、創造者、賢者 が 創造
戦士、破壊者、支配者、愚者 が 手放し
対である「探究者」29歳~35歳で感じたこと・・・
自己実現だけでは、また
個人的成功の達成だけでは、
何か物足りなかった「創造」がここにあります。
この創造のための「探求者」だったのです。
そして、50~56歳の「創造者」の時代に
この70代の展望が見えているかどうかが、
「楽」の時代の可否を決めるような気がいたします。
この旅人のロードマップを整理していて思ったことですが、
一つのエリアは、その3つ前に
その種がまかれているかが重要ということです。
その種が、3つ後のエリアで芽を出すのです。
たとえば、「賢者」の世界を充実させるかどうかは
「創造者」の時代で種をまいているかどうかなのです。
また、「恋人」の時代を充実させるには
「無垢」の時代に種がまかれているかどうかが重要なのです。

これは、人生のロードマップの
重要な指針ではないかと私は思います。
ケース①
70歳を過ぎ、本当に矩を越えて
人から煙たがれる存在と
その存在そのものが励みとなり癒しとなる
好好爺(婆)になるのかの差は、
どれだけ自分の実績と過去を手放せるか?にかかっている。
問い
70歳を過ぎてもなお、
あなたの側から友人は離れていませんか?
媚ではなく、ほどよく人が集まってきますか?
今あなたがあの世へ旅立っても、
晴れ晴れとした気持ちで行くことができますか?
「天下の事、万変(まんべん)と雖(いえど)も吾が之に応ずる所以は喜怒哀楽の四者を出でず」 王陽明
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青いロードマップ「楽①魔術師」
※青いロードマップの概略はこちら➡人生「喜怒哀楽」論✖「7年周期」論
(2021.5.21加筆修正)
さて次は、いよいよ最後のステージ
「楽」の時代3つです。

「楽」とは、魂の帰還を表します。
年齢的には、64~84歳です。
あの世への準備です。
あの世への・・・と書くと
何か消極的なイメージがあるかもしれませんが、
まったく違います。
この世で満たされ、育て、与え、創造したほとんど、
そして、最後の愚者ではすべてを手放す時代です。
つまり、意識で作られたものを手放し、
己の無意識に気が付き、その矩(のり)に沿う時代です。
旅人の魂がどれだけ成長できたかを実感する時代と言ってもいいでしょう。
人は生まれてくるとき、
本人が知らずとも
無意識が意識化した瞬間でしょう。
今度はその逆を意識して還っていくのです。
あの世で待っているもう一人の自分との再会かもしれません。
そして、あの世の自分との対話を経て
「本当のアガリ」に還っていく・・・
最後の20年の(寿命によってはそれ以上)ステージです。
その一番最初の時代が、「魔術師」の時代です。
年齢的には、64~70歳・・・
前ステージで、一つの「アガリ」を体験しましたが、
それはあくまでも、
この世での自分とその周り、社会の関係でのアガリです。
要は、意識化された世界でのアガリです。
この「楽」の一番目の「魔術師」は、
意識を無意識にし、
無意識を意識化していく過程です。
つまり、あの世の自分がこの世の自分を見る
を時代です。
己とは何だったのかを思い出す時代です。
この世の自分が、あの世の自分を思い出し、
あの世の自分と結合しなおす時代(第三の結合)です。
だからこそ、「帰還」のステージのトップバッター「魔術師」です。
不自然とは、意識している時代です。
その不自然を排除する時代(自然じねん)です。
自然(じねん)とは、意識の世界ではありません。
自ずとそうせざるを得ない・・・
そして、調和の取れた自分とは何かを知っている。
無意識を意識表層へと導き
あるがのままに扱えるということになります。
己の無意識を再知する時代でもあります。
ですから、
存在そのものが、直感的で癒しで
「心の欲する所に従えども矩を踰えず」
( こころのほっするところにしたがえどものりをこえず)となる。
「矩」は、「典」や「則」ではないことが重要です。
人間が決めた「典」や「則」ではなく、
宇宙が決める「矩」です。
その矩と自分は、かつて一つだった・・・
「矩」は垂直をも表します。
垂直とは、分度器で測ることで生まれるものではありません。
ピタゴラスの定理のように
宇宙が人間に与えし神秘から生まれる形状です。
その90度が4つ集まれば「円」・・・
丸なのです。

シンプルで荘厳・・・
人間がその矩に添い
矩そのものになるのです。
生が、あるべきところにところに収まっていく感覚です。
ですから「美しい」のです。
老齢でありながら美しい・・・
そういう境地になっていくのが「楽」
そしてその入り口が、この魔術師です。
また、「行動」の価値ではく、
「存在」の価値が生まれる時代でもあります。
ケース①
いつもスケジュールで一杯にしないと不安で仕方がない場合・・・
ひとりで行動することが「寂しい」と感じてしまう場合・・・
何かをしたいと思ったとき、人の目や規則が必要以上に気になる場合・・・
それは、生と万物とのつながりを感じる感覚が疲れている証拠です。
問い
あなたにとっての自然体とは・・・?
どこにいることが
何を食べることが
どんなものに囲まれることが
何をすることが
何をしないことか
いったいどんなことが自然なのか?
今一度考えてみよう・・・
「天下の事、万変(まんべん)と雖(いえど)も吾が之に応ずる所以は喜怒哀楽の四者を出でず」 王陽明
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青いロードマップ「哀③支配者」
※青いロードマップの概略はこちら➡人生「喜怒哀楽」論✖「7年周期」論
次のステージは、哀の3番目、「支配者」です。
年齢的には、57~63歳です。
「支配者」というのは、
誰かを支配するということではなく
自分自身を支配するということです。
そういう意味では、「支配」というよりは、
「統合」という言葉がぴったりかもしれません。
対である「戦士」に時代は、
違いがゆえに闘いました。

しかし、この「支配者」は、
違っていていいと心の底から思える時代です。
そして、この違いこそが「調和」の源だったと知ります。
ここにきて、
人生での比較や優劣から解放され
初めてざわつく心がなくなり
これでいいと達観できる時代です。
この解放によって運命の統合者として
自分をコントロールできるようになります。
あの世、宇宙、哲学そういった扉を開くもの
この時期です。
これは肉体の衰退とともに、
魂が主役になっていくために起こります。
「五十にして天命を知る」
「創造とは天とのコラボだった」と知る
先の「創造者」を時代を経て、
「六十にして耳順う」
ここにきて、知覚のベクトルが変わります。
自分から発するのではなく
「受容」というベクトルです。
受け止めるとは、
単に知っているという領域を超えないとできません。
視点の拡大、つまり、意識の拡大がなされないとできません。
鳥のさえずり
川のせせらぎ
木の葉が風にそよぐ音・・・
そういったものに自分と違わない
ホロスティック性を感じるのもこの時代です。
このホリスティック性が調和という感覚をもたらします。
実は、この調和が「真の自由」だったと気が付き始めます。
そしてやがて
「七十にして矩を踰えず」の
魔術師の時代を迎えるのです。
ケース①
この支配者の時代は、
ある意味ごまかしの効かないとても危険な時代です。
なぜなら「支配」を文字通り「他者の支配」として
使ってしまう人がいるからです。
29-35歳の「探求者」で個人の成功からの脱却をはかれなかったツケが
ここにきてやって来てしまうのです。
そういった場合、
老齢にして「戦士の時代」に戻ってしまいます。
そして、あの世に旅立つときには
虚しさと空虚をまとう破壊者として
本当に「魂の死」となってしまうのです。
この「支配者」での自己点検は
本当に最後のターニングポイントとなります。
問い
鳥のさえずり
川のせせらぎ
木の葉が風にそよぐ音・・・
ちゃんと聞こえていますか?
この調和に幸せを感じられますか?
朝日はもちろん、
夕焼けを感謝と祝福で見送れますか?
「天下の事、万変(まんべん)と雖(いえど)も吾が之に応ずる所以は喜怒哀楽の四者を出でず」 王陽明
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青いロードマップ「哀②創造者」
※青いロードマップの概略はこちら➡人生「喜怒哀楽」論✖「7年周期」論
次のステージは、
「哀」の2つ目・・・創造者です。
年齢的には、50~56歳。

ここでの大きな転換は、
成功の定義の転換
所有・財の概念の転換
です。
これまでの豊かさは
物、土地、お金など
目に見えるものに向けられてきました。
もちろんこれが悪いわけではありません。
実際、家族を養い、
自分自身も満たされ、豊かに生活をするには
必須のアイテムだったでしょう・・・
しかしもう、
この目に見える財では満足しなくなるのがこの時期です。
喜の2番目の「孤児」
怒の2番目の「探究者」
そして、この哀の2番目の「創造者」
この三つは、まるで螺旋階段のように
ステップアップしています。
これは、私たちの人生の原理原則を表しています。
ひとりになって、探求し、創造する・・・
宇宙の真理はここにあるのでしょう。
エゴでなく、
魂で人生を創造しなさい
と、宇宙は言っているのです。
それを知るための自分であり、友であり、恋人であり
配偶者であり、家族であったのです。
そして最後は、
創造したすべてを手放す「賢者」(楽の2番目)となる・・・
この「怒②創造者」は、
無意識を、意識領域にまで引き上げ、
内なる財を想像し、
世界に放ち、
そして、自分がこれまで受け継いできたものの
本当の意味を知る時代でもあります。
ケース①
思いがけないリストラ
配置換え
不意の病
何度も続くアクシデント
それら諸々の変化は、
あなたに財の定義を変えなさいと言っているのです。
問い
今あなたを取り囲むあらゆる環境は、
本当にあなたが望んでいることですか?
自分は自分の人生の創造者であったことを思い出しましょう。
「天下の事、万変(まんべん)と雖(いえど)も吾が之に応ずる所以は喜怒哀楽の四者を出でず」 王陽明
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青いロードマップ「哀①熱中者」
※青いロードマップの概略はこちら➡人生「喜怒哀楽」論✖「7年周期」論
ここから人生の後半、「哀」に時代を迎えます。
この「哀」は、「哀」は「愛」に進化する
ポテンシャル(潜在力)を秘めています。
「哀」は、「あわれむ(かわいそうに思う)」の意です。
他者の悲しみを、まるで自分のことのように
哀憫(あいびん)することです。
自分以外、自分の家族以外に
「哀憐」と「愛憐」(ともに「あいれん」)の心を抱く・・・
これからの21年間の過ごし方で
この「哀」の領域で魂を昇華させることで
「哀」が「愛」になるのではと思います。
そういう意味で、私たちの人生の旅は「愛」を知ることが
目的の一つのように思えます。
「喜怒哀楽」を
「火地風水」に例えると
喜(火)は、はじまり
怒(地)は、展開
哀(風)は、転換、視点の変化
楽(水)は、まとめ、アガリ
占星術も、サイン(星座)を火地風水に分け、
人の一生と性格を表しますが、
この12のロードマップもまったく同じです。
人の一生であり性質なのです。
そして、エネルギーの動きで言えば
喜と哀が「蓄」
怒と楽が「放」です。
前段階の破壊者までは、ある意味「労働」によって
自分と身の回りの成功をもたらしました。
これからの後半、「哀」と「楽」は
労働というよりは、「奉仕」によって
自分の魂といのちを磨きます。
もちろん、年齢的にはまだまだ金銭的な報酬は続きますが、
その報酬を超えた役目と喜びに出会う時代です。
そういう意味で、「熱中」と名付けました。
元の本では、この時代を「恋人」としていますが、
わたしにはどうしてもそれがしっくりこなかったので
「恋人」を22~28歳
「熱中者」を43~49歳
としました。
ひょっとすると、
ユングの時代(1875年- 1961年)と現代とのズレかもしれません。
この「熱中者」に時代は、
手放した空間、人間関係
捨て去った空間、人間関係
その空いたところに
本当に好きだと言えるもの
本当に熱中できるもの
自分や家族の枠を超えた対人関係が入ってきます。
裏を返せば、本当の意味で
自分に合うもの以外は遠ざかっていく時代です。
遠ざけるのではなく
遠ざかっていくのです。
つまり、自然にそうなるのです。
もしこの時代になっても
煩わしい何かがいくつもいくつも
まとわりついているとするならば、
それはどこかでボタンの掛け違いがあったか
超えなければならぬ義務から逃げてしまったのかもしれません。
例えば、(ケース①)子どもが不登校になる・・・
それ自体に良し悪しはないのですが、
その子供の不登校を通して、
親自身が何を取り戻し、何に気が付くのか?
実は、不登校が子供の問題であるというのは表面的なことで
その奥には、親のやり残しと逃避が原因であることが多いのです。
親がひとりの旅人として
しっかりと「喜」「怒」の時代を生きていれば
必ず子供に伝わりますし、
仮に不登校になっても、あたふた慌て続けるということはなく
必ず別の活路を見出せることでしょう・・・
いのちが不必要におびえたり
ある年齢に達しても自己顕示が強いのは、
「喜」の時代のエネルギー不足から来ます。
この12のマップを円にすれば、
「喜」と「哀」が対になっていることがお分かりかと思います。
同様に、「怒」も「楽」と対です。

「熱中者」の対は「無垢」です。
無垢で無条件の愛を受けなかった旅人は
「熱中」の時代で人を愛することはできず、
ましてや自分を愛することさえ困難なのである。
なので、必要以上におびえたり
自己顕示が激しくなるのです。
片方のエネルギーが十分であれば
もう片方も比例して十分になるし
逆に不十分であれば、不十分となる・・・
対とは、ある意味必須条件であり、
助け合う関係であるわけです。
問い
今のあなたは自分のことが好きですか?
どんなところが嫌いですか?
それは、あなたの「喜」「怒」時代のエネルギー不足です。
まずはそれを認めること、すると自分の中で
何かが変わる感覚を味わいます。
「天下の事、万変(まんべん)と雖(いえど)も吾が之に応ずる所以は喜怒哀楽の四者を出でず」 王陽明
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