バラバラに見えるからと言って違うとは限らない
遺伝という分野をよく考えるようになりました。
この後の学びで
色々と整理できるようになりました。
遺伝に関わる要素は大きく分けると
①メンデルの遺伝子(DNA)➡分子遺伝学
②ダーウィンの自然(偶然)選択と分岐
③親の環境×子供の環境・・・の繰り返し(垂直遺伝・水平遺伝)
④ラマルクの用不用の意思で進化
⑤④が叶わない場合、不自由な環境を
どう解釈するかという意思選択で進化(sora)
実は、④と⑤が混合していましたが
⑤は単独で考えた方がいいようです。
このメンデルの主流の考え①が
もろに教科書を席巻し、
今の子どもたちはそれを学んでいます。
一番いい例が、
体細胞と生殖細胞(減数分裂)の分裂の仕方は違うということが
知識であり、テストに出ます。
千島学説は、赤血球から生殖細胞ができるわけですから
毎日毎日私たちの体の中で
新しい核(DNA)の原基が生まれているということです。
今の細胞学・遺伝学で解釈すると
今回のワクチンは恐ろしいものになりますが、
千島学説で解釈しなおすと
今回のワクチンを打った人やその子孫にも
一縷の望みがあるわけです。
いやひょっとすると、一縷の望みどころか
これからの大希望になるかもしれないのです。
(それでも私は打ちませんが・・・)
ネットでは、
打った人への絶望感を煽るふざけた動画も多いですが、
私はそういうのが大嫌いです。
なぜ自分だったら嫌だと思うものを
作れるのか私にはわかりません。
そして、それを拡散する人も
自分の首を絞めていることに気が付かないのでしょうか・・・
自分が望むと望まないとにかかわらず、
私たち生命体の原理原則は
・共生
・相互扶助
・共存共栄
・多様性
です。
これは、千島博士の受け売りにもなりますが、
わたしは、2007年ごろ
自手で生卵を持った時に気が付いたのです。

親指は短いが力がある・・・
小指は力がないが、なければ
微妙な力加減、バランスが取れない・・・
ましてや、小指がなければ、
手のひらで水をすくうときの
独特の丸みを帯びることはない・・・
生卵と5本の指・・・
「多様性」ということです。
そして、千島博士の智慧を借りれば、
細胞は誰からも奪わずに生きている
誰からも・・・というと
食物から奪ってるではないかという方がみえますが、
野菜に関しては、全く問題ないと思います。
野菜のいのちは、私たちの中で生き続けます。
また、これは私の持論ですが、
丸ごと食べられる小魚や
血の少ない白身魚、貝類も大丈夫かと思います。
一番問題なのは、
四つ足の動物です。
(鶏肉も羽根を入れて4つ足と数えます)
日月神示にも肉食はやめた方がいいと書かれてありますが、
それは「血」が問題だからと思います。
私たちの血液は
①細胞のADF現象
(A:集合 D:溶け合う F:分化発展)
②バクテリアの自然発生
③細胞の新生
など、いのちに関わる大切な現象を持っています。
その血が不用意に狂われ、汚れるからです。
こんなに偉そうに書いていますが
私も40歳手前までは肉をいただいていました。
そして、日月神示を読んで肉をやめました。
あれから 17.8年経ちます。
全く問題ありません。
お魚は、ほぼ白みをいただきます。
今では、肉屋の前を通ることや
赤みの魚がほぼ無理になっています。
なぜか?
臭いからです。
話がずれました。
前述の
「遺伝に関わる要素」
①メンデルの遺伝子(DNA)➡分子遺伝学
②ダーウィンの自然(偶然)選択と分岐
③親の環境×子供の環境・・・の繰り返し(垂直遺伝・水平遺伝)
④ラマルクの用不用の意思で進化
⑤④が叶わない場合、不自由な環境を
どう解釈するかという意思選択で進化(sora)
これらに根底に流れる大原則があります。
それは、「自然発生」です。
これら様々な顔を見せる遺伝に関わる要素は、
一見バラバラに見えますが、
すべてこの自然発生の一場面に過ぎないのでは?
私の新しい仮説です。
「自然に発生する」という意味ももちろんありますが、
自然だから発生する、
自然であれば発生する・・・
と捉えていただいていいと思います。
裏を返せば、
不自然であると発生しないということです。
もっとわかりやすく言えば、
不自然であれば、いのちは閉じていく・・・
つまり、無気力、無関心、不健康、死になるということです。
先の肉食は、不自然なのです。
だから日本人の大半は
明治初頭まで肉を食べなかったのです。
身体の伝達物質ソマチッドが不老不死ならば、
私たちも不老不死のはず・・・
ちなみに私は、
赤血球・ソマチッド・エクソソーム・バクテリア・STAP細胞は
同じ物質の違う場面とみています。
ストレスや病を作って
われわれのソマチッドを殻に閉じ込め
活動させなくさせる(肉体の死)ことを
画策しているのがDS、闇権力でしょう。
しかし、魂はソマチッドに乗って永遠に情報を伝え続ける・・・
魂は死なないというのはそういうことでしょう。
細胞学、遺伝学、進化論は奥が深いです。
私たちは知識を分断することで理解を早められますが、
一方、
ある一つのものが別の顔(段階)を持っているに過ぎないという
自然現象や原理を見落としがちです。
ソマチッドも遺伝要素も実はすべて元は同じで
その雰囲気があります。
ダーウィンも
メンデルも
千島博士も
研究半ばで鬼籍に入りました。
大変おこがましいですが、
その後を引き継いで
素人なりに「いのちとは何か?」に近づきたいと思います。
この世は自動詞
この私の仮説の真偽をこれからも探りたいと思っています。
世界がバラバラに見えるからと言って
違うとは限らないのです。
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theme : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
genre : 心と身体
努力も能力も ただの運
「努力すればあなたもできる!」
これは本当なのだろうか?
小学校の学校の体育で
やればできるの理想の元、
鉄棒の逆上がりをずっと残されてやっていた子がいた。
すでにできた子は、
得意げにそのそばを通り過ぎていく・・・
そんな風景を誰もが経験していると思う。
体育では、得手不得手を
すんなり認めることができるのに、
なぜ「学力や努力」にはその視点がないのだろうか・・・
先日のメンタリストDaiGoさんの問題発言の根幹は
実はここにあると思う。
彼はこう言った。
「自分にとって必要ない命は軽いんで。
だからホームレスの命はどうでもいい、
どちらかっていうといない方がよくない?
ホームレスって、言っちゃ悪いけど、いない方がよくない?」
「(批判している人より)はるかに
税金を払っているので僕の方が助けている」
今の日本のシステムでは、
税金を多く払う人=多くを稼いでいる=優秀という暗黙の了解がある。
また、一般的に
高学歴の人の方が優秀な大学に行けるし
就職も恵まれるし、事業も起こすので
税金も多く払うことになる。
つまり、彼が言っているのは、
「努力もせずに働いていない奴はいらない」
「僕は税金をたくさん払っているから偉い」
「だから、僕が いる命といらない命について
好みを言って何が悪い」
「努力しない奴に自分の税金が使われるのは腹が立つし、
自分のことを批判している奴も、
僕よりも税金を払う額が少ないんだから
何かを言う資格はない」
ああ、
書いていても
本当に気分が悪くなるのだが、
では、私たちの社会全体に
彼の語る闇はないのだろうか?
要は、
「努力しないやつは生きる資格がない」と言ってるのだが、
生きていい云々まで行かなくても
「努力しない奴は、ろくでもない奴だ」的な
思想がないと言えるだろうか?
わたしは、あると思う。
「○○高校いかないのならお金は出さない」
「せめて○○高校いけるようには努力してもらわないと困る」
「勉強しないんだから自業自得」
これらの言葉はすべて
わたしがこれまで親御さんから実際に聞いてきた言葉だ。
この、追い詰めていくような努力信仰は、
はたして「いのち」視点で正しいことなのだろうか?
わたしはかねがね、
学力や能力と将来の収入を
比例させるのはよくないと思っている。
良くないというのは、
努力そのものを否定することではなく
どうしても努力では埋まらない一人一人の差があること、
努力でさえ、向き不向きがある子供がいること、
そういう子どもたちが一定数いることを
体感と経験で分かってきているからだ。
努力は尊い、だから、努力しないやつは悪い的な
一方的なジャッジは、
実は最近の研究でもお門違いだとわかってきている。
➡学力はほぼ遺伝で決まる-行動遺伝学の残酷な事実
実は、
学力や能力はほぼ遺伝子で決まる。
しかも、人には、努力遺伝子の有無があることがわかってきているからだ。
つまり、
できるできないは遺伝子よって決まるし、
どんなに努力をしようとしても
努力できない人もいるということだ。
それなのに、そこで評価や将来の待遇は決まるというのは
残酷と言わざるを得ないということだ。
これは、差別と呼んでもいい。
つまり、
人種への差別
性別への差別
生まれ持った貧富の差別などと同じように
個人のそれこそ運であり、オリジナルなのだから
(能力に関係のないことだから)
そこをもってして生きやすさや生きにくさが
生まれてしまう社会にしてしまうはまずいということだ。
「努力は報われないときもある」
「そもそも努力できない人もいる」
➡残酷な「遺伝の真実」あなたの努力はなぜ報われないのか
とても残酷な事実だが
わたしは結構朗報な気がする。
なぜなら、
「やればできる」
「努力すれば必ず成功する」
と謳われて永遠に苦しむ「努力できない子供」を
解放してあげることができるからだ。
これは怠惰とかそういう問題ではない
もともとできないのだから
早く自分の生きる道を方向転換し、
「本当のそれぞれ」見つけることに注力できるからだ。
もう一つ、
周りや、社会的システムが、
彼らをカバーしていくシステムを発展させられるからだ。
国でいうと、アメリカは個人主義だから
「努力しないやつが悪い」的なシステムとなっていて
社会的システムが薄いらしい・・・
逆に、ヨーロッパは
「努力できるかどうかは遺伝だから、単なる運」
ということが浸透しているので
社会的システムでカバーしようとするらしい・・・
今の日本は、明らかにアメリカ寄りの考えが根底にあって
学校・社会だけでなく、親御さんさえ
「努力しないやつが悪い」的な思想で子供の尻を叩く。
わたしは何も、
すべて遺伝だからあきらめましょうと
言っているのではない。
その子がその子になれる教育・・・
もちろん私も日々模索中だが、
そろそろ そう発想を変えた方がいい。
親がよく使う言葉、
「頑張ったらできるのに・・・」
「頑張ったら助けてあげる」
これをもし、
努力できない遺伝子を持った子供に言い続けたとしたら
実はメンタリストDaiGo氏のように
ものすごく残酷な仕打ちをしていることになるのだ。
「社会の強さは、最も裕福なメンバーの富ではなく、
最も脆弱な市民がどれだけうまく対処できるかによって測定されます。
私たちが尋ねる必要がある質問は、
誰もが尊厳のある生活を送る機会を持っているかどうかです。」
フンランドのサンナ・マリン首相
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令和buzz74・・・YouTube 8本目!
ごめんなさい・・・
でもよかったらご覧ください。
特に、動画後半の4つの幸せ因子は
大人の人たちにも生きる知恵です。
私たちは、成功の定義を自分で決めることが大切ですが、
その定義をかなえて成功するから幸せではなく
そこにたどり着くまでの
やる気であったり、生きがいであったり、
協力してくださったり
助けてもらった人たちとの人間関係だったり、
挫折しそうになっても
なんとかなると楽観的になったり
今の自分が一番好きだと思える
自己肯定感だったり、
そういったものが幸せと感じる要因になり
その幸せが足元にあるということが
成功だと言えるのではないでしょうか・・・
そういったことで2冊の本をご紹介していますので
動画説明欄をチェックしてみてください。
それでは、子育て、自分育てにお役立てください・・・
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