夏、小満のころ⑫・・・なんにでもなれる「空(くう)」
二回目は、ダンス本番中の舞台の上だった。
あれはきっと舞台の神様がいらっしゃったと思えるほどの
美しさとの一体感だった。
舞台の下手前・・・
わたしはそこに板付きをしていた。
板付きとは、暗転の中すでに舞台に立っていることで、
蓄光テープのバミリを目印に立つことになる。
ゲネプロ(本番通りのリハーサル)通り、暗転の中
その場ミリに立って照明が入るのを待つ・・・
アナウンス、照明、音入り・・・
そういう順番だった・・・
ゆっくりとサスが入る・・・
※サスとは、サスペンションライトの略で
円錐状の一本の光のため
その演者を強く印象付けることになる。
真上からあてれば、演者の顔に陰影ができ
独特の雰囲気を醸し出す。

(ネット検索より)
そのときだった・・・
ゆっくりと降りてきたその円錐状の光が揺れ始め
やがて空気の分子がキラキラと見え始めた・・・
以前書いた不食もどきをした時と同じような感じだ・・・
その分子は一つ一つがまるで柔らかい砂金のように
わたしのからだに降りかかり、透明な布でも通り過ぎるかのように
さらさらと消えていく・・・
からだと光の粒子・・・大小の関係性などどうでもよくなるほど
自分がまるでその分子の一つにでもなったかのように
ゆらゆら揺れ始め(感覚の問題で、実際は揺れていない)
自分のからだ、空気、光、観客・・・すべての境目がなく溶けていく感覚を覚えた・・・
今までにないトランス状態がわたしをおそった・・・
自分でありながら自分でない感覚・・・
ゆっくりとフェイドインしてくる音が
わたしを自我へと戻していったが
このままずっとずっとどこまでもいられる気がした。
「時が止まる」とよくいうが
あれは、時が止まるのではなく
時という姿をもった波動が、
ひかりやからだやモノたち・・・
自由になんにでもなろうとする瞬間なのだろう・・・
いわば、今まで乗っていた波動の乗り物を
別の乗り物に変えようとしているだけ・・・
そんな気がする。
時も ひかりも 衣装も 舞台装置も・・・
みんな姿が違うだけの波動だということ・・・
美しい・・・
いったい何に対して美しいというのかわからない。
「存在」に対してか
「世界」に対してか・・・
とにかく
「ああ、美しい・・・」
そう思ったのだ。
やがて天寿を全うし、あの世へ帰る時、
こういった「空「(くう)」の層を通って行くのかもしれない。
theme : スピリチュアルライフ
genre : 心と身体
夏、小満のころ⑩・・・Deep River
回を重ねるごとに、メンバーの生活環境も変わっていきました。
卒業生である私たちは、年齢的にどうしても
結婚や出産、転勤など・・・
人生の転換期を迎えることが多く、
少しずつメンバーの入れ替わりがありました。
途中からは三重大学ダンス部の大活躍もあり
現役の学生たちの人数が圧倒的に増え
小ホールを中ホールへと移しての活動になりました。
わたしがやめる14回目には
卒業生のほうが少なくなっていましたが、
そのさみしさより、現役の学生たちの輝きと活躍が
私にはものすごくうれしかったです。
若い人たちが成長し、舞台で輝く・・・
あのイサドラ・ダンカンの言うように
魂の発露としての舞踊を
わたしは目の当たりにしていました。
私自身、そのころも踊る楽しさはありましたが
そういった魂をまじかで共感しあえる喜びのほうが
圧倒的に大きかったです。
また、作品のよしあしは確かに大切ですが
人間が解き放つ魂の発露は、ひととひとの
「組み合わせ」によるものなんだとわかったのも
この14年間のできごとでした。
ある子と組むとぎこちない学生が
別の子と組むと驚くほどの輝きを見せる・・・
そういうことを数多く体験しました。
人は本当に一人では生きていない・・・
関係性の生命体なのだと悟りました。
「場」と「組み合わせ」・・・
いのちの発露は、ほぼこれに尽きることも悟りました。
舞台上で輝くいのちが
地上の生きとし生けるすべての生命体のように見え
「愛おしい」という言葉がぴったりでした。
さいごの14回目は、会社の時と同じで
まさかこのまま舞台から遠ざかることになるとは
露ともおもわず、ある作品をつくりました・・・
「ゆるしの夜明け」
遠藤周作の小説「深い河~ディープリバー~」からヒントを得ました。
5mの真っ白い布を5本・・・

その布は、
ときには、河になり・・・
ときには、美しい女性を包むサリーになり・・・
ときには、死者を包む布となり・・・
ときには、愛する我が子を包む産着となり・・・
清濁すべてを包み込むように流れる大河・・・
森羅万象、すべての愛を象徴する「包む」から連想しています。

創作はすべてふっと降りてきたものを大切にしていますが、
あとから思えば、この作品はわたしの舞踊創作活動の
ひとつの大きな「おわり」と「はじまり」を
象徴していたんだなと思います。

日々起こる人間の感情・・・
そのすべての終着点は「ゆるし」だとおもいます。
それさえできれば、必ず次のステップに進み
新たな世界へと旅立つことができる・・・
わたしはそう信じています。
「踊ることは生きること」
これはよく大学の先生が言われていたことですが
先生と離れてから、いつしか私もこれをなぞるようにダンスをしてきました。
架空の世界であった舞台で わたしは
すべての終着点は「ゆるし」
ということを学んだのだと思います。
そして、いまの私は
「生きていること そのものを踊り」
にしようとしているのかもしれません。
架空の舞台ではない、本物の舞台・・・
ひとはそれを「人生」と名付けています。
日々の何気ない会話、所作、
生きる糧をいただくなりわい、
生きていることそのもの・・・
それらすべてを・・・
この地上という舞台で・・・
五本の足の指でしっかりとつかむように・・・
まさに踊るように生きていこうとしているんだなと思っています。

先日、これを書くために
押し入れの奥からとりだした「からだから14」のパンフレット・・・
冒頭のあいさつ文です。

「自分とは何者か・・・」
身体をまとった私という波動がどこにたどり着くのか・・・
ダンスをやめた今でも
それを探す旅はまだまだ楽しく続いています。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
夏、小満のころ⑨・・・からだから
「JUJUWORKS」というチーム名で活動はしていた。
佐野元春の曲「ジュジュ」からとっている。
とにかく創作すること、踊ることが大好きな仲間ばかりだった。
その同志数名と立ち上げた公演名は、
みなと考えに考え、「からだから」と命名した。
これでハード面、ソフト面両方つくれたことになる。
「からだから」は仮名の切れ目で2つの意味を持つ。
「からだ・から」は、
文字通り「からだ」での身体表現のこと・・・
「から・だから」は、頭で考えず、空っぽにして踊る・・・
立ち上げると決めてから
忙しい日々がつづいた。
舞台の手配・・・
パンフレット、チケット作り・・・
照明・音響さんへの手配・・・
作品創作、後援依頼、運営分担、集客・・・
全て一からだった。
作品作りは、夜中まで続くこともあった。
いまのようにインターネットもSNSもない時代・・・
作品に使う曲を求めて、何軒もCD屋を回ったり
マンパワー全開で、チラシを配り、チケットを売った。
自分たちの持っている経験と知恵を総動員したと思う。
ものすごく楽しかった。
この年、ちょうど三重県総合文化センターがこけら落としの年で
たしか、そこの小ホール(250~300名)を格安(半額?)で借りることができた。
舞台との巡り合わせも 本当に不思議である。

(からだから1)
どのメンバーも出し惜しみなどみじんもなかった。
あのときのエネルギーをどう表現したらいいだろうか・・・
だれにも命令などされてなくとも
「こうする」と決めた理想に向かって進んでいた。
三重のダンス文化を変える・・・
若輩者たち(笑)が集まって
勢いと笑顔だけが取り柄だったような気がする。
やれない理由を探す時間はもったいなくて
「何とかする!」ための方法だけを探した。
「必ずやれる」という根拠のない自信が自分たちを支えた。
それでも、なぜか企業戦士のような
ガツガツし過ぎた空気はなかった。
どこかそれぞれのメンバーの
凛としたのんびりさやマイペースもあって、
笑いが絶えない牧歌的な要素もあった。
出し切ることのすばらしさ・・・
29歳でメンバーとともに舞台をつくろうと思い立ち
30歳で自主公演の初舞台・・・。
けっして若いとはいいがたい。
でも、年齢は関係ない。
若い人に言いたい。
人生を楽しみたいなら
出し惜しみはやめるべきだ。
また、もったいぶるのもやめたほうがいい。
人生そんなに長くない。
そういうエネルギーの使い方をしていると
自分の周りにもそういう人しか集まらなくなる。
自分が何かをやると決めたら
自分から力を出す。
出し惜しみしない・・・
もったいぶらない・・・
先日の個性でも話したが、
出しても出しても枯渇しないのが
その人の本当の能力だと思う。
一度出し切ってみるといい・・・
それでもなくならなかったら
それがあなたの本当の力だ。
これも幸せになるひとつのコツなのかもしれない・・・
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
夏、小満のころ②・・・踊ること
わたしはダンスにのめりこみます。
部活としては、陸上の投てき(やり投げ、円盤)だったのですが
そちらは思うほど熱を注げなく・・・
大学1年の授業にあった「ダンス」で
人生に最も影響を及ぼした3人目の恩師に出会います。
(2人目は、実は中学の時の先生だが機会があればまたお話いたします。)
大学卒業単位的には、4年間も取らなくてもいいダンスを
のめりこんだがゆえに卒業までずっと取り続けました。
ダンス(踊り)は今までのスポーツ・・・
つまり、近代スポーツとは少し違いました。
いまの若い方はダンスと言えば
TVでよく知られている「ストリート系」や「ジャニーズ系」のダンスがメインになりますが、
もともとダンスは、世界的にも時代的にも様々な歴史があります。
大きな国単位ではなく、一つのマイノリティ(社会的少数者、地域)に
それぞれ独特の踊り、舞踊が存在します。
今思えば、そういった立場の小さい人々、
普通から外れている人々が原点だからこそ
惹かれたのかもしれません。
流浪の民「ロマニー」
白人差別を激しく受けた「黒人、ヒスパニック」
巫女がその原点であった「白拍子」・・・
そのどれもがマイノリティ(階級)として差別と迫害を受けた民たちですが
同時に、権力から離れたところで生きる自由性と
その陶酔性にあこがれさえ抱かせた人々でもあります。
「軽蔑」と「あこがれ」を同時に兼ね備えたもの
・・・それが舞踊です。
昭和から平成にかけての今でこそ
リズム、ストリート系のダンスがメインとなり、
かなり明るい市民権を得ていますが、
わたしがやり始めたころ(1982年ごろ)のダンスは、
まだまだどこか非社会的で、不良がやるもの(笑)・・・
=アンダーグラウンドというレッテルがなんとなくありました。
おとなたちが眉をひそめた理由は、
若者が、いまにも安定した社会階級を破壊するのでは・・・
そういう恐怖があったからだと思います。
それは、昭和の安保闘争時の映画「ウエストサイドストーリー」や
経済成長期の「サタデーナイトフィーバー」「フットルース」などの影響・・・
そして、「ディスコ」「ダンスホール」「クラブ」などでときおり
(いまの朝ドラのような明るいお立ち台シーンばかりでなく・・・)
風俗的な事件が起きたり、ドラック犯罪などの温床につながる場合があったからでしょう。
➡ディスコ
踊りには破壊的なエネルギーがあります。
平凡な日常の破壊です。
古代では、もともとダンスとは言わず、舞、舞踏、舞踊、踊りです。
子孫繁栄、五穀豊穣はもちろん
神を降ろし、神と人間をつなぐ呪術的、祈祷的要素があります。
そういう意味で「我」を忘れる行為、儀式です。
舞=陶酔です。
そういう意味で、わたしにとっては「踊り」は神秘です。
余談ですが、どの舞踊も音楽とセットで進化していきます。
その陶酔性と呪術性には、それぞれ独特の音楽(民族音楽)が栄えます。
➡ダンスの歴史

たとえば、夏の郡上踊りやねぶた祭、阿波踊りも
陶酔であり、激しい感情の発露としての舞であり、
神とともにまう舞踏です。

わたしがのめりこんだ「踊り」には
(もちろんリズム系もありましたが)
どちらかというとそういった呪術的、陶酔的で
それが根底にあるコンテンポラリー的表現のほうが多かったです。
画家が絵で、
詩人が文字で
音楽家が音楽で・・・
それぞれ自分の言いたいことを表現するのと同じように
踊りは、身体を使って伝えたい思いや世界を表現する・・・
ノンバーバル(非言語)なアートコミュニケーションといえます。
じつは、経験としてはこの「踊り」がいちばん長く
18歳から始めた踊りは、途中数年抜けますが
44歳で店を始めるまでつづきました。
次回は、そのエピソードに触れていこうと思います。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体