秋、立秋のころ④・・・被写体からにじむもの
写す人の心が現れる。
いつも宙言に来てくださるwankaraさん・・・
その方が撮ってくださるわが店のランチは、
本当に美味しそう・・・

画像を見るとき
その奥のカメラを構える人を想像する・・・
遠くで


簡単に画像が取れる今・・・
2次元の被写体から想像する世界は
3次元から4次元へ(3次元+時間)・・・
被写体がその形になるまでの経緯や
それに関わったいろいろなことや人に思いをはせる・・・
そういう想像力が「観る」につながる・・・
「見る」から「観る」へ・・・
人生が豊かになるひとつの方法・・・
(お二人より画像をお借りいたしました。ありがとうございます。)
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
十年、をちこち・・・㉗
ブログでは多くを語らなかったスピリチュアルについて
私の経験と考えを書こうと思います。
ここまでの不思議な出来事や
店を始めてからの私の修業を書くと
「観る」というのは特別な能力なのだと思われる方がみえます。
お店でも
「どうやったら観えるようになりますか?」
という質問をよくされます。
どうか勘違いしないでください。
「観る」という力は
何も特別な能力でも
選ばれたものしかできない力でもありません。
赤ちゃんがハイハイから立ち上がり
やがて歩き始めるのと同じように
ごく自然に誰でもできる力です。
誰にも教えてもらう必要のない力です。
ただ、
「どうやったら観えるようになりますか?」
と質問をされる方は
方法論を尋ねていらっしゃる時点で
おそらく観えないままか、
「観えるようになります」という高額なセミナーに乗ってしまい
低級なキツネやイタチに自分の直霊が乗っ取られることになります。
全員がそうとは言い切れませんが
そういう方が実に多いです。
ひとは、特別な存在になりたいという欲望があります。
特別な個性を持ち、特別な能力で
人にすごいと言われたい、
先生と言われたいという
劣等感から生まれる歪んだ承認欲求があります。
そういうキツネやイタチは
人のそういった欲望に付け入り
エネルギーコントロールをたのしみ
本人を心身、金銭ともにコントロールします。
赤ちゃんは自分が立ち上がることに、
そして 歩き始めることに
方法論を求めません。
それができるのは当然と思っているからです。
当然と思うことさえも努力をせずに
そこに存在(ある)します。
何の曇りもなく「ある」こととして
日々生きています。
「できる」「できない」振り回されるのは大人だけです。
わかっていただけますでしょうか・・・
先日もわかっていただけなく
一人の大人の方がかえっていかれました。
誰一人特別な存在などありません。
勘違いしないことです。
スピリチュアルはキラキラわくわくではありません。
単なる「生活の所作、作法、礼節」です。
tag : 観る