令和buzz238・・・古き悪き慣習!?
該当する生徒は、さぞ悲しんでいるだろうと思いきや
意外に「ふーん・・・」という感じだった。
夏休みの終わりごろ、
始業式の日に修学旅行についての発表がある
と聞いていたようで
それで、大体の予想は立っていたようだ。
以前から生徒の中には、
「家でも行けるからいい・・・」
そう言っている生徒もいた。
ある生徒はちょっと面白い・・・
「学校に行っている意味ないじゃん」
もともとあったことだろうが、
学校の行事の価値が、
個人個人の感覚や
家庭内の価値よりも
下になり始めているのだろう・・・
修学旅行はなくていい、
学校は、修学旅行がなければ意味がない・・・
今回のコロナでさらにはっきりとしてきただけだ。
学校の先生にしてみたらさぞ強烈な反応だろう・・・
いや、もう気づかれていることかもしれない。
どうやら、学校や行事を見直す
時代的転換期に来ているようだ。
修学旅行にしろ
運動会、体育祭にしろ
明治時代初頭、富国強兵政策の下
野外の軍事教練の一環として始まっている。
今ではかなり緩まったが
集団行動の育成が必ず付いて回るのはそのためだ。
そうして全国で本格的に始まっているものだから
そもそもの動機が不純なのだ(笑)
我々個人のレベルでは、
意味のないものは、続かないし、
自ずと用なしになる・・・
普通に起こりうることだ。
が、国家や組織になると途端に
無駄だとわかっていることも
誰も言いださないで長年放置され
そのまま慣習として残る・・・
裸の王様がそのまま裸のままなのだ・・・
以前の会社でもこんなことがあった。
(今では感謝しかない会社だが
エピソードとして聞いていただけるとありがたい)
数人のリーダーが集まって
問題点を上げ、その解決策を作り
発表するという会議が
何年にもわたって毎週あった。
しかし、これは昭和時代ならともかく、
平成のあの時代では非常に無駄なことだ。
理由ははっきりしている。
原因(過去)にフォーカスするからだ。
原因(過去)には、未来を作り出すエネルギーはない。
まず、新しい解決策を出せば出すほど
その解決策が仕事となり、
誰かの業務が増えていく・・・
しかも、原因思考だから、
未来に何も生み出さないばかりか
問題すら何も解決しなくなる・・・
かえって職員の仕事が増えるという
混乱が生じていた。
➡#18 人生、動機が全て!
思い切って、社長に、
この会議は○○で○○だから無駄ですよ・・・と進言したら
烈火のごとく叱られた(笑)
わたしは、単に時空の真実として述べただけだが
言い方が悪かったため、こんな始末となった。
いまなら、もう少し上手に説明できるかもしれない・・・
とにかく、
古いエネルギーが大きく変わる時代の節目が
そこかしこに生まれていて
大変不謹慎だが
私はどこかワクワクしている・・・
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令和buzz146・・・いのちから遠いものは用済みになる時代
非常に興味深いことが書かれていました。
あるお坊さんが書いていたのですが、
今回のコロナで、
ご家族を亡くしたあるご家族が、
お坊さんを呼ばずに、
家族だけで亡くなった人を送った・・・と。
そのお坊さんがいうには、
東北の震災の時もそういうことが多かったらしいのですが、
要は、最近のお坊さんは、
いのちからも死からも
遠い存在になってしまった・・・
もっというと、
お坊さんを呼んで経を上げるというシステムそのものが
人々からすでに用なしとされ始めている・・・
昨今、坊主というのが
いのちからも死からも遠い生き方をしているからだ・・・
そういうことが書かれていました。
まさにそう・・・
震災の時、気が付き始めた人々・・・
そして、今回のコロナでも気が付いてしまった人々・・・
その共通点は、
いのちや死から遠いものは
用なしという価値になったということだ。
今回のコロナ禍でますます問われること・・・
権威と恰好だけで
何とか成り立っていたシステムは
間違いなく「裸の王様化」していくということ・・・
そして、
それは非常に厳しい言い方をすれば
システムだけにとどまらないだろう・・・
いのちから死から、
遠いところで言動をしている個人も
まちがいなく用なしとなっていってしまう・・・
コロナというフィルターを通して、
会いたいと思う人にはますます人が集まるし
会いたくないという人にはコロナという言い訳で
ますます人が会いに行きたくなくなる・・・
残酷だが本当にそうなってしまうのだ・・・
昨日ある生徒がこういった・・・
「(分散登校の)学校の3時間でさえ辛い・・・
6月からもっとめんどくさくなる・・・」
オンライン
リモート
充実した自分時間・・・
そんな体験をした若者が
学校に行きたくなくなるのは、
彼女に怠け心があるからだろうか・・・
わたしは違うと思う・・・
他の方法があったのに、
いままでなんとなく強要されていた古いシステムの矛盾点に
気が付いてしまったのだ。
そう、
気が付いてしまったのだ。
➡もう戻さなくてもいい
さあ、これからは大人が大変だ。
くだらない会議、
くだらないアドバイス
権威を笠に着た命令・・・
そんなものは、すべて
ますます用なしとなってしまう・・・
afterコロナ、withコロナで
子どもたちに、若者に、
新しい何かを提供できる人間になっていなければ
本当に「裸の王様」になってしまう。
特に、昭和人の皆さん・・・
特に、権威でなんとか成り立っていた皆さん・・・
途方にくれますか?
荷が重すぎますか?
大丈夫です・・・
いのちを育むか、育まないか・・・
育まないものは、ほんとうにやめていく・・・
本当に、
あなたのためにやめた方がいい・・・
これが最大のヒントです。
覚悟はよろしいでしょうか・・・
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theme : いのちあるものが いのちあるように
genre : 政治・経済
秋、白露のころ⑥・・・いのちあるものが いのちあるように
教材屋さんがみえた。
どんな少ない冊数でも直接すぐに車で届けてくださる。
本当にありがたい教材屋さんだ。
しばし雑談・・・
実は先日の台風で驚くべきことが起きていた。
県内トップクラスのある進学校では
あの台風のさなか授業があったというのだ!
しかも、授業はやる、来れる人は来なさい・・・
(授業は進むので、来れない人は置いて行かれるということか)
そういうスタンスだったのだそうだ・・・
実は私がいた塾でも15年ほど前までは
台風でも塾はあった。
ただし、身の安全を第一に・・・無理をなさらず・・・
もちろん欠席の場合は振替をする・・・
当たり前だが、迷っておられる方は、
先に振替をご案内した。
そういう感じだった・・・
今にして思えば、会社の方針だったとはいえ
警報が出た場合の学校の基準に合わせるように
社長に進言すべきだったと反省している。
話の進学校は、テスト前ということで
進度が遅れるというのが理由のようだった。
真実は、確かめていないのでわからないが
振替がない以上、危険を承知で、警報の出ている中でやるのは
おそらくそういう理由以外ほかに見当たらないだろう。
今の時代、
古いものと新しいものと感覚が
知らず知らずに大きく乖離し、
気が付くと大事になっていることが多い。
しかもそれが善意、悪意に関わらず加速している。
あの未曽有うの東日本の震災が
わたしたちの何かを変えたのはまちがいない。
昨今のスポーツ界を見ていても
アメフト、相撲、レスリング、ボクシング、体操、バドミントン
合気道、ウエイトリフティング・・・
ぞろぞろぞろぞろ出てきている。
昭和の終わり、「戦い」「競争」「進歩」が疑われ始め、
かわりに「癒し」「ゆるみ」「霊魂」に移行していったように
平成が終わる今、
おそらく「地位」「名誉」「上下」「優劣」が
「いのち」に勝ることはなくなっていくだろう。
次の時代は、商業やスローガンの「癒し」を超えて・・・
本当の「いのち」・・・
わざわざ「癒し」や「いのち」といわなくてもいい「いのち」・・・
「花」や「虫たち」、風にそよぐ「木々」・・・そういう「いのち」に
やっと人間たちがお互いなれるのかもしれない。
話を戻そう・・・
何のことはない。
古いほうが、新しいものたちの変化に鈍感で
古いやり方のまま、それが通用すると思っている思い込みから
大問題に発展しているだけだ。
古いものが、問答無用で新しいものを押さえつけられる時代は
もうとうの昔のできごとだ。
古いものは、本当に気を付けなければいけない。
古いものの「裸の王様」現象は
これからもあちらこちらで噴出してくるのだろう・・・
古いものが「裸の王様」にならない方法がある。
当たり前だが、
組織の存続を保つ名誉や顕示(地位)、または個人の能力ではない。
自他ともに迷ったときには、
「いのちあるものがいのちあるようにするには・・・?」と問うてみればいい。
こたえは至極シンプルになると思う。
いかがだろうか・・・
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
tag : いのちあるものがいのちあるように裸の王様