令和buzz173・・・今西錦司と宮沢賢治
エネルギーの循環を司っているのは人間であり、
人間は他者へと愛を与えてゆくことで、
また霊長といわれるのです。」
今西錦司の言葉です。
日本モンキーパークをご存知の方は多いかと思いますが、
それを設立した人です。
肩書は、生態学者、文化人類学者、登山家ですが、
わたしは現代の宮沢賢治に思えるのです。
賢治に似ていると感じる要因は、
この自然界の生命には、
自然淘汰や適者生存、自然選択だけでは
説明できない何かがある・・・
という考えだからだ。
一年の半分を山で過ごしたという今西錦司だからこそ
たどり着いた金言だ。
自然淘汰:環境により適応した変異個体が生き残れること。
適者生存:生存競争で環境に最も適したものだけが生き残って子孫を残しうること。
自然選択:生存競争を進化の原動力と考える進化論のこと。
賢治の銀河鉄道の夜の最後で
黒い帽子の男にこう言わせている。
「変な顔をしてはいけない。
ぼくたちのからだだって、考(かんがえ)だって、
天の川だって、汽車だって、歴史だって
ただそう感じているのなんだから。」
このセリフと今西錦司さんの説がかぶるのだ。
私たちは
生き残りたいから変化しているわけではない。
変化したいからしているし、
したくないから変化しないだけだ。
みんな、そう生きているだけだ。
自然淘汰や自然選択など考えずに、
感じたように生きているだけだ・・・
宮沢賢治と今西錦司・・・
この二人の
とてつもない優しさが
私は好きなのだ。
○○のためにとか
○○できるようになど考えている生命体は
自然界にはいない・・
唯一人間だけが
このかたっ苦しい枠に自分を押し込めて
頑張ろうとしている。
誰もがしたいからそうしているだけだと思えば
腹が立つことも責める気持ちも
キライになる理由も見当たらない・・・
そう、
私たちは居たいように居て、
やりたいようにやっている・・・
ただただ
その繰り返しがいのちなのだ・・・
いのちあるものがいのちあるように・・・
とはそういうことだと思う。
まことと美の模型
「さうならうとする生命体」 宮沢賢治
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