背広でない背広
俳優がこんな背広を着ていた・・・

もうこれは背広ではない・・・
しかもダブルの背広でこれはない・・・
これは、サイズの問題ではない・・・
型紙からおかしいのだ。
余程仕立てが悪いのか
肩から胸にかけてひどすぎる縦皺が入っている。
これでは着手もさぞかし
心地が悪いであろう・・・
おそらく肩から背中にかけて突っ張っているはずだ。
私の父は背広の職人だった。
当時の首相、たしか佐藤栄作が行った
沖縄返還とその見返りの繊維・衣料業界の安売り・・・
そのあおりを受けて、
父は背広職人から
お直し職人&工場勤めへと転職せざるを得なくなった。
こんな背広が出回るために
父は転職させられたのか・・・
怒りを超えて情けない・・・
わたしは、小学生から中学生にかけての時代
日本のあらゆる職人が解体された歴史を目の当たりにしてきた。
あれから50年弱・・・
日本は名実ともに、本当に後進国になった・・・
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theme : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
genre : 心と身体
tag : 職人
樹下石上148・・・古いボンボン時計
もう50年も使っていた古いボンボン時計が壊れていた。
いまも現役の仕事場の机・・・
その脚元にさみしそうに置かれていた・・・
母は、直すのも高いから・・・と
別の時計を掛けていたが
私は何となく気になって
次回行く時まで、そのままにしておいてほしいと頼んだ。
この時計は、
父が兄に時間を教えるのに使っていた。
1のところの⑤(分)
2のところに⑩
3のところに⑮と
文字盤に手製のシールが貼ってあった・・・
今はそれもきれいにはがされている。
兄は、今でこそ立派に家族を養って頑張っているが
当時は「の」の字を鏡文字に書いていたり、
時計が読めなかったり、
リコーダーが吹けなかったりで
父に、木の50センチ物差しで
「パシパシ」殴られながら
夜中までスパルタで教えられていた・・・
小さかった私は、それが恐ろしくて、
布団を頭からかぶって寝たふりをしていた。
そのボンボン時計が知らせる音の数で
兄が何時間もしごかれているのが耳でわかった。
どこの家もそうと思うが、
そういう時計は、ただのボンボン時計でなく
父と、兄と、そして家族の時を刻んだものだった。
だから・・・やはり直すことにした。
母の情報では、偶然地元のケーブルテレビで
ボンボン時計を治す時計店の老人が紹介されていたという。
早速三重に帰るその足で立ち寄ってみた。
あらかじめ電話はしたものの、
古びたほこりをかぶった時計を抱え
首から手ぬぐいをかけてて入るには
あまりにも場違いな
キラキラピカピカの宝石店だった・・・

(創業70年以上「エンジェリーいのこ」)
すこし、気持ちがひるんだが
自動ドアを開けて電話をしたものだと説明をする・・・
奥に通されて、テーブルに時計保護のための
大きな柔らかい布がかけられた。
しばらくするとかなりお年を召された老人が来てくださった。
わたしはTVを見ていなかったが
まさにこの方だろうと思った・・・
父も職人だったので 空気でわかる・・・
ものを見るまなざし・・・
ネジを扱う指先・・・
なにより、その方に流れる時間でそれがわかる・・・
「50年ぐらい前の時計ですな・・・
Aichi時計はセイコーなんかよりよほどいい時計でしたから・・・」
文字盤がくっついている木の板の四隅のネジを外し
なかの歯車がいっぱいある機械部分を
ぐるりと一周ぎろりと眺める・・・
ある箇所を人差し指ではじくと
ボーン・・・
聞きなれた生きた音が響いた・・・
「分解して掃除すればまだまだ立派に使えますよ・・・」
(よかった・・・)
とつとつと、それでいてシャンと話されるその言葉一つ一つが
長年この方が誠実に修理に携わられてきた証明となっている。
私は愛知に住んでいながら、
このAichi時計という会社を初めて知った。
「当時は県内に10社ぐらい時計店があったものです。
最後に残ったのがこのAichi時計さんと○○さん・・・・」
短い時間だったが、文字通り
宝石のようなエピソードがちりばめられていった。
その老人によると、今のAichi時計は
水道のメーターなどを作っていて
もう時計は作っていないそうだ・・・
改めてこの宝石店のHPを見てみると
まさにその老人の新聞記事が・・・

黒野さん・・・
これは9年も前の記事なので
御年、88歳ということになる・・・
「職人」という分野の方が
この世界からどんどんといなくなってしまうが
まさにこの方は今も現役・・・
「一か月ほど預からせていただきます・・・」
どんな顔で 音で
ボンボン時計が帰ってくるのだろう・・・
今から楽しみだ・・・
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
樹下石上 ㊷・・・ほんものの音
そのお店は、お料理もホスピタリティも
本当に素晴らしいお店で
もちろん、私のような庶民がひと月に
何回もいけるようなお店ではないが
このご時世、自営業はどこも大変なので
超超微力ながら、応援の一票のつもりででかける。

閉店まじかに、大将とその女将さんとお話する時間ができた。
仕切り襖の向こうでは、お嬢さんが勉強をされていて
思いがけずご挨拶もできた。
自営でなかなか休みも取れないので
子どもや奥さん(女将さん)にも迷惑をかけている・・・
そうつぶやかれていたが、わたしは
まんざらそうでもないと思った。

「大将とおかみさんのお仕事が嫌いなら
お嬢さんはお店に来ませんよ。」
「ここで同じ空気を吸って、大将たちの背中を見ることで
かけがえのないものを身に付けられていますよ」
そうお応えした・・・
私の家も自営だった・・・
たしかに、サラリーマンのお家でボーナスが出たとか聞くと
うらやましい気持ちにもなったが、
今となっては、そんなことより自営の父母から学んだ
無形のものが身に染みてありがたい。
大きな銀杏の木の机が
父母の作業場だった。
私は、その板の、一センチほどの天然穴が開いていた角っこで
ひらがなやカタカナの練習をしていたのを今でも覚えている・・・
保育園のころだったと思う・・・
職人の作業は、音でわかる・・・
シュシュ・・・布がすれる音
シャーッ、パチン、カタッ・・・鋏が滑るように布を走り、裁断する音
カタカタカタカタ・・・足踏みミシンが加速していく音
どれも、道具たちが無駄なく
最短距離で運ばれる一流の音だ。
そのお店も まさにその音が流れる・・・
そういった空気に
知らず知らずに囲まれて勉強するお嬢さんは
きっと、一流とは何かを肌で学んでいることになる・・・
これは、学ぼうとして学べるものではない・・・

昨今、電子音ばかりが増えて
こうした、手足を使ったほんものの音が消えたことは
今の子どもたちにとってまさに残念としか言いようがない・・・
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