春、清明のころ⑤・・・城下町犬山(後)
生類憐みの令を出して犬を保護した。
一方、犬畜生とか犬死など
「犬」の付く言葉でさげすんだり、揶揄するものも多い。
祭事のいけにえとなれば「類」(たぐい)の犬となる。
犬という字は、犬の形から取った象形文字と言われているが
わたしには「大」が人間、その手に松明を持っている形に見える。

犬は昔から猟犬として人間と親しい間柄でもある。
ともに野山に入り、鹿やイノシシを獲る。
つまり、犬は縄文人の友で、その象徴を表す言葉だ。
弥生に入り、稲作がメインになると
途端に犬は不要なものなった。
また、鉄づくりに必要な有用な資源である砂鉄探しの集団を
「犬」と呼んでいたらしい。
あのヤマトタケルの伝説も、
じつはその砂鉄探しではなかったかと言われている。
ヤマトタケルにかかわらず、歴史的に見て大遠征をする目的は、
必ずといっていいほど豊富な鉱山資源を求めて行われることがほとんどだ。
当然そこの土着の民と技術は武力によって抑えられ占領される。
「犬」という字が入る「犬山」も
おそらく縄文時代、弥生初期には産鉄民族の流れをくむのだろう。
そんな思いを巡らしながら、
犬山駅からゆっくりと歩き始めると最初に出会った車山が「熊」・・・

熊野町の車山だ。
「熊」は、スサノオノミコトの別名・・・
そこのからくりが、城下広場でトップを飾り、祭りが始まる。

車山の名前が 「住吉臺(だい)」・・・
ちなみに最後は鍛冶屋町の「壽老臺(じゅろうだい)」・・・
鍛冶屋町は、まんま・・・
老人(寿老)を持ってくることで民族の歴史の古さを物語っている。
熊野町のからくりでは、大社と太鼓橋を表現していた。
あれ?住吉大社では?と思った。
住吉大社は、神功皇后(じんぐうこうごう)がご祭神で有名だが
末社の大歳社が一番大事なお社だろう・・・
大歳=ニギハヤヒノミコトだからだ・・・

住吉大社のHPにも、その特別感が出ている。
「初辰まいりにて最後にお参りする神社で
収穫の神様をお祀りする大変歴史のある古社です。」
スサノオとニギハヤヒは親子・・・
日ノ本の礎を気づいた古代人だ。
現在、天孫系のほとんどの神社で
この二人の社は、末席に追いやられている。
千と千尋の神隠しだ・・・
➡生駒のよもぎと石切さん・・・②
犬山祭りは、「針綱神社」(はりつなじんじゃ)の祭礼だ。
祭神は、尾治針名根連命(おわりはりなねむらじのみこと) ・・・
???と思われる方がほとんどだろうが、おそらく
スサノオと産鉄民の神を隠すために考え出された「代名」であろう。
大己貴命の名もある。
大己貴命とは、大国主の別名。
この名前があるときは、国譲りがあった証拠となる。
国譲りとは聞こえがいいが、要は「征服」「服従」の歴史だ。
もともと、この針綱神社は、いまの犬山城天守閣に鎮座していた。
あたりまえだ。
自然信仰の縄文人は、鉱物をもたらす山が神様だからだ。
そして、犬は山行きの友・・・
「犬山」・・・そのままではないか・・・!
現在、神社は城下にある。
つまり、下ろされたわけだ。
桃太郎の物語で「鬼退治」がでてくるが、この鬼が「産鉄民族」だ。
犬山は、岡山と並んで桃太郎伝説の街だ。
この物語は、産鉄民が征服されるお話だ。
現に、明治村の南西には採石場跡があり、
黄鉄鉱・黄銅鉱などさまざまな鉱物がでたらしい。
なんと、1970年代までは盛んに採石がおこなわれ、
磁硫鉄鉱や珪灰石などのスカルン鉱物がでる有名な産地で、
坑道も残っているらしい・・・
まさに、産鉄民が征服され、有益な資源や技術が奪われた証であろう。
「熊」から「れっか」烈火をとれば、ただの「能」・・・
「能」とは、もともと物真似や滑稽芸でない芸能すべてを指す。
火を失った産鉄民は、鉄をつくることができず、
芸で身を助けたり、焼き物(犬山焼)へと回路を開き始める。
・・・(からくりもその一つだろう)
「芸」をなりわいとする民が、
昔は身分が低く、虐げられてきたのは
そういった征服・服従の歴史があったからに違いない。
そういう意味で、今もなお残るお祭りは、
古代民族からの壮大な遺言なのだ。
縄文、弥生、ヤマト、現代・・・
そういった民すべての祀り上げ・・・お祭り・・・
現在のわれわれの生活といのちは、
そういった民の息吹で生かされていることを忘れたくはない。

おまけ・・・こちらもメイン!
ちゃんと美味しいものも食べてきました。


田楽(でんがく)・・・
こちらも、もとは田植えなどの農耕に歌舞を奏した田の楽で、
のちに、職業として田楽法師・・・能の原型ともいわれます・・・
どこまでも歴史がつながる、今回の犬山旅でした・・・
マル!
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春、清明のころ④・・・城下町犬山(中)
日本でからくりが盛んになるのは江戸時代だが、
すでに斉明天皇のときに、時を知らせるからくりが登場しています。
斉明天皇660年(斉明6年)5月、中大兄皇子(後の天智天皇)が
「初めて漏尅(トキノキサミ)を造る。民をして時を知らしむ」(『日本書紀』)
時とからくり・・・
実は、「時」は天文を顕し、
天文を制する者が、この世と人民を統治する・・・
そういう常識が古くからあります。
また からくりは、いまでいう AIやIOTになるので
最先端技術そのもの・・・
つまり、それをお披露目するということは、
自分たちが最先端の技術を持っていることを世に知らしめることになり
こんな技術を持っている「国」を攻め滅ぼすことはできないと
相手を牽制する役目も果たしているのではと思います。
これは、今の軍需産業と同じことだと思います。
それを、車山(だし)にのせ、山から神を降ろし、
鎮座してもらった後、まちまちを練りまわす意味は、
もう最強としか言いようがないのです。



神が降りた車山の上で、勝手に動く人形を見た当時の民衆は
神と人の融合(マジック)を見て、さぞかし感嘆したことでしょう・・・
同じからくりに、飛騨高山も有名で、
飛騨工「ひだのたくみ」(斐陀匠)といわれています。
平安末期の『今昔物語集』巻第二十四には、
桓武天皇の皇子高陽親王(賀陽親王)が
からくり人形を作ったという説話が記載されています。
また、巻二十四第五には「飛騨工」(ひだのたくみ)が絵師百済河成を驚かせるため、
四方に扉がある堂を作り、いずれの扉の前に立っても目の前の扉は閉じ
違う場所の扉が開く仕掛けを作った説話も記載されています。
まるで忍者屋敷です。
面白いのは、百済(朝鮮半島)出身の絵師に
からくりを見せたということです。
歴史を見れば、古代中国、紀元前2600年頃に
人類初の歯車を利用した方位を指し示す車が発明されています。
ある意味、元祖カーナビです。
(手引き書、指導書のことを指南書というのはここから来ていると思う)
また、紀元前後に中国ではすでに、
張衡によって水力渾天儀や水時計がつくられていますので
歯車などを使ったからくり技術を持った匠たちが
のちに日本(斐≒出雲)に流れ着き
(もしくは連れてこられ・・・)
その技術をわがものにせんとする時の為政者が
彼らを強制的に中央(大和地方)に移民させようとしたと思われます。
その強制的移民政策から逃れ、山深い飛騨(斐陀)までたどり着いたのが、
現在の飛騨匠民族なのではと思うのです。
つまり、絵師百済河成の逸話は、
中国、朝鮮半島、日本の文化技術の流れを
そのまま表す説話ということです。
以前にも書きましたが、
➡古代日本のアイデンティティ
日本のルーツと簡単に言いますが、そんな純粋なルーツはどこにもなく
先住諸民族を制圧しつつ成立したヤマト王朝という流れがあるのみです。
人も技術も服従させられた歴史と
それに反骨する民の気概が混ざり合った遺言として
いまの祭りが残されているのです。
「ヤマト魂」などといいますが、
何のことはない、「三国魂」(中国、朝鮮、日本)なのです。
(だから、越前三国という地名が今も残っているではありませんか・・・)
からくりを使った祭りが、なぜか中部地方に多いのは、
この地方の民の「服従と反骨」が繰り返しなされた証なのではないか・・・
岐阜県高山市の高山祭
美濃市の美濃まつり
愛知県犬山市の犬山祭
津島市の尾張津島秋まつり
半田市の亀崎潮干祭・・・
実に多いです。
現在のからくりは、祭りや浄瑠璃の舞台装置など
興行的要素(=民衆の楽しみ)の流れをくむものが多いが
おそらく もともとは、為政者を欺くため、
もしくは自分たちの民族の重要な秘宝や歴史書などを隠ぺいし、
のちのちまで保管したりするために発達したものではないかと思います。
どちらかというと表舞台というよりは
裏舞台(忍者屋敷など)が先行したのかもしれません・・・
からくり人形のあの細い目が
どこか不気味なほど涼しげなのは(笑)そのせいであろうか・・・

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春、清明のころ③・・・城下町犬山(前)
戦国時代(1537)に建てられた日本の城では珍しく、長く「私物」だった。
別名、白帝城。
明治24年(1891)、マグニチュード8.4の「濃尾大地震」によって
天守が半壊するとその資金不足のため、
同28年に修理を条件として県から旧藩主の成瀬家に譲与された。
その後、成瀬家と犬山町民が義援金を募り、無事修復されました。
昭和10年、国宝に指定され、(昭和27年規則改正にともない国宝に再指定)
全国唯一の個人所有の城として保存されてきましたが、
平成16年(2004)、「財団法人犬山城白帝文庫」の所有となって現在にいたる・・・
そういう珍しいし城です。
昨日はその城下町で、まつりが開催された。
「犬山祭」

そこに、花結びメンバーの方々と向かった。
こういう地方のお祭りは、
その地域の住民の心意気と
古代の氏族の風習が垣間見れて実に興味深い。
何百年とつづく祭りの流れはそのまま、
神がどこにいて、どうやって神降ろしがなされ
人々の生活に息づいているのか・・・
そういうことがわかって本当に楽しい。
このまつりは、実に385回も続いているのだ。
時代としては、江戸時代から始まったことになる。
愛知県は復元を含め、天守閣が残る城が実に多い。
この犬山城をはじめ、名古屋城、小牧城、岡崎城、清須城・・・
城と祭り・・・
その二つが現存するだけで実に絵になる・・・
三重も伊賀上野城があるが、
津市民としては、津城の復元を心から願いたい。
さて今回は、この犬山祭で感じたことを留めておきたい。

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