鎌倉➡江の島➡浜松へ⑦
晴れの鶴岡八幡宮は気持ち良いものでした。

若宮大通りの真ん中の小高い道路を
テクテクとゆっくり本宮まで歩きます。


朝が早すぎて
お目当ての鳩サブレー本店はまだ開いていません(笑)

でも参拝の方は結構いらっしゃいます。
有名な扁額・・・二羽の鳩で表現されています。

だから名物鳩サブレーです。
鶴岡八幡宮の大銀杏・・・
親銀杏は傷み切られていましたが、
子銀杏がすくすくと育っていました。


ただ、私個人としては、
こちらが新たなご神木の気を放っていると感じました。

頼朝は、平家を倒して
鎌倉に幕府を開くまでは良かったのですが、
前線で戦ったことがない負い目から来る
頼朝の気の小ささと疑い深い性格が
そのまま子孫の悲劇を生んでいきます。
➡鎌倉幕府を開いた源頼朝の子孫はわずか3代で途絶えた!?源頼朝の子孫の歴史より
跡を継いだ長男の頼家(よりいえ)は自分の可愛がる家臣と、そうでない家臣をあからさまに差別して接するような将軍でした。
これを良く思わなかった母の北条政子は父と兄に頼家の腹心を討たせ、頼家を伊豆へ幽閉します。
頼家は幽閉されてから何度も家臣を自分の屋敷へ遣わすように母の政子に嘆願するのですが、政子はこれを断固として無視しました。
頼家はそれから2年後に政子の指示によって暗殺されてしまいます。
兄とは正反対に育ったはずの次男実朝(さねとも)を三代将軍に就け、ようやく胸をなでおろせたはずの政子でしたが、次男の実朝は武家の子としてはふさわしくない教養がある、風流な男に育ってしまっていました。
今度も失敗したと思った政子は頼家の息子にして自分の孫である公暁(くぎょう)に「父上(頼家)を殺したのは叔父さん(実朝)だよ」と唆して公暁に実朝を暗殺させました。
そして、その次は君主に対して謀反を起こしたとして当時12歳だった公暁を死罪に処しました。
母自らが我が子、孫に手を掛けます。
なんという悲劇でしょうか・・・
諸説あると言いますが、
政子の性格からしてありうる話です。
実朝は、この鶴岡八幡宮を参拝の折、
この銀杏の木に隠れていた公暁に殺されます。
(諸説あり)
平家一門を赤子に至るまで殺しつくした報いと言いましょうか・・・
政子は一体何をしたかったのでしょうか・・・
守るものを間違えると
人はこうも残酷になれるのです。
その後、確かに北条家が執権として
実権を握っていきますが、

強気の彼女も
あの世できっとむなしさを感じているはずでしょう。
なんとも儚い頼朝一族です。
平家物語の冒頭、
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響き あり 。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の 理 を あらはす 。
平家一門の滅びゆく姿を語る名文ですが、
ここまでくると平氏源氏、
どちらに祇園精舎の鐘が響いたのか
本当にわからなくなりますね。
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鎌倉➡江の島➡浜松へ⑥
あのビルゲイツが、とうとう世界を牛耳ろうと
「パンデミック協定」をごり押ししようとしています。
先に学んでおきましょう。
国家の主権や憲法、
もちろん我々の主権など通り越して
WHOがすべての命令を独断で下す・・・
いいですか、「勧告」ではなく「命令」になるのです。
いわゆる世界版緊急事態条項です。
はっきり言って気が狂っています。
専門家でも
見識者でもない彼が
医療のこと
国の運営についての独裁者的存在となり
WHOが世界独裁政府となる・・・
WHOへ資金提供している富裕者と言うだけで、です。
2024年を目指すと言っていますので
超注視する必要があります。
当たり前ですが、
これらのことは、日本のマスコミは一切流していません。
彼は次のパンデミックを画策して実行に移すつもりですので
われわれが賢くなっておく必要があります。
そして、いち早く日本がWHOから脱退しなければなりません。
トランプが2020年にWHOを脱退した意味が
お分かりかと思います。
悪魔の次の手
— norioyagi (@ForceNorioyagi) May 7, 2022
パンデミック協定
各国政府、議会の権限を剥奪し
WHOの手に委ねる
2022.5.7【WHO】ビル・ゲイツの新刊本が明かすWHOの新戦略と共産主義【及川幸久−BREAKING−】 https://t.co/DDbbMi7ew0 @YouTubeより pic.twitter.com/kY6iMCnl50
➡国際パンデミック条約 - 世界政府への道を歩むWHO
では、旅日記を続けます・・・
次の日は予報通りの晴れ

気分も踊ります。
私たちの旅の朝は早いです・・・
大体5時半には起きます。
そして6時半ごろには第一の目的地へ向かいます。
この日の最初の予定は「江ノ電」に乗ること・・・

現地の鉄道に乗ることは珍しいのですが、
有名なあのスポットを訪れたかったのです。


朝早かったので
鎌倉高校へ通学する学生たちにも会えました。
この後、江の島に向かうときに
この海沿いを走ったのですが、
写真を撮りに来てる人がめちゃくちゃいました!
さすが、スラムダンクだけでなく
さまざまなアニメの聖地ですね。



遠くに見えるのは江の島です。
ついついサザンの曲を口ずさんでしまいます(笑)
次は、いったん鎌倉に戻り、
晴れの鶴岡八幡宮へと向かいます。
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鎌倉➡江の島➡浜松へ⑤
それでも、チェックインまで中途半端に30分ほど余りましたので
明日も行く予定の鶴岡八幡宮へ向かいました。
メイン道路はかなりの渋滞でしたので
裏道の駐車場に車を停めて
とりあえずご挨拶に参拝を済ませました。
雨だったので
画像は明日晴れてからと思いましたが、
一枚だけ撮りました。

晴れと比較してみましょう・・・(笑)

こちらは、やっぱり晴れの方が気持ちいいですね・・・(笑)
その他の画像は、明日アップしますね・・・
さて、チェックインの時間になりましたので
宿に向かいます。
今回もアゴダで宿を取りました。
たくさんの予約サイトがありますので
このサイトがベストかどうかは言い切れませんが
素泊まりなら、私はかなり気に入っています。
こちらが予約サイト比較記事になっています。
➡ホテル予約サイトの人気おすすめランキング19選【2022年度最新版】
それぞれの目的に合わせて使い分けてはいかがでしょうか・・・
宿は素泊まり、
夕食は地元のおいしいお店へ・・・
このスタイルが東北からずっと続いています。
一日目の夕食は、居酒屋百名山の「企久太 (きくた)」さんです。

とにかく優しい、さりげない配慮が行き届いたお店でした。

「右利きですか?左利きですか?」
数多くの居酒屋に行かせていただきましたが、
箸をおかれるのに、こう尋ねていただいたのは初めてでした。
予約時に
三重から行かせていただく旨をお伝えしていましたが、
(時間通りにならないかもしれないので)
さりげなく三重の話題を出してくださる所など
お忙しい名店では、できそうでできない心遣いです。
予約時も
「うちは日本酒をメインでお料理を楽しんでいただくお店で
酎ハイとはハイボールがないですが、そういった形でもよろしいでしょうか」
と、さりげなく説明されるあたりも行き届いていらっしゃいます。
確かに、潔いほどドリンクのメニューがシンプルです。


お料理も間違いなく絶品!

個人的には、お刺身はもちろんですが、
このクリームチーズのようなお豆腐が
超お気に入りです。

ご相談に与ると
soraさんってお酒飲まれるんですか!
と驚かれて、
こちらの方こそびっくりするのですが(笑)
それほど私は堅物に見えるんでしょうかね(苦笑)
飲めばこんな感じです。

というわけで、
夜の小町通り(ほとんどしまっている(笑))を
ふらふらと散策しながら、
宿に向かいました。
(東海のコメダ珈琲があるのには驚きましたが・・・)

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鎌倉➡江の島➡浜松へ④
大仏に向かう途中、最初に感動したのが、
大西つねきさんのポスターが貼ってあったこと・・・
彼は神奈川4区で先の衆院選に出馬していますので
当たり前ですが、現物を見ると感動ですね。

そして、1日目の昼食をいただきました。
それがこちら・・・


卵とじそばと新玉と生姜の天ぷら・・・
沁みましたわ・・・
大仏さんの後、テクテク


雨の中、次に向かったのは長谷寺・・・
あの奈良県の長谷寺と関係があるようで、
本尊の十一面観音像は日本最大級の木造の仏像です。寺伝によると、開山の徳道上人が大和国(奈良県)初瀬の山中で見つけた楠の巨大な霊木から、二体の観音像が造られました。
一体は大和長谷寺の観音像となり、残る一体が衆生済度の願いが込められ海に流されたといいます。その後、三浦半島の長井浦(現在の発声・はつせ)あたりに流れ着いた観音像を遷(うつ)し、建立されたのが長谷寺です。


この時期、雨の寺参りの良さは
緑美しい苔がまぶしいこと・・・


ご本尊の十一面観音は撮影できませんでしたが、
圧倒される大きさでした・・・
長谷寺は小高い丘の上にありますので
上の茶屋では、相模湾が見えます・・・

雨に煙る三浦半島です。
茶屋と言えばお饅頭にお団子(笑)
はい、こちらです。

奥のお饅頭は寺まんじゅうと言うようで、
中はキノコなどの餡かけ精進料理の具でした。
旅から帰って、
ああ、有ったらよかったなと思ったもの・・・
それがこちら・・・


この日の夕方、宿につく頃には
雨が沁みこんで靴の中がべちゃべちゃになっておりましたので(笑)
次回雨予報の長旅には
こちらを用意していきたいと思いました。
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鎌倉➡江の島➡浜松へ③
三重でもやはりこういう動きが顕著になって来てます。
お気を付けください。
ワクチンの次は、改憲です。
緊急事態条項です。
「外出制限などをお願いするだけで国民の命が守れるのか」
英敬さんも何言ってんだか・・・
あの、憲法なんて変えなくても
法律の範囲内で十二分に対応できますよ、英敬さん!
中央に媚びるのが本当にお上手です・・・💧
やっぱりこうやって勝手に盛り上がってくんですわ。
— Sora☀ (@sora_8538) May 4, 2022
憲法改正へ「ガンバロー」 自民党三重県連、津で大会 稲田元防衛相が講演 (伊勢新聞) https://t.co/gDnGrPclwp
対洗脳、情報操作に対する10か条🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥 pic.twitter.com/lDRDmEwfjD
— issey🍉 (@T8Cy4yf9YhKPytv) May 5, 2022
いない敵を大きく見せて、
彼らはそこにこじつけて
日本を「戦中」へと引き摺っていきます。
そして、彼らは命もお金も一ミリも出しません。
さし出すのは私たちです。
では、旅日記を続けます・・・
東へ進み続けると
「ポツリ、ポツリ」
とうとう、雨が降り始めました。
「青空の大仏様は無理かなー」
旅は晴れが一番いいですね。
でも初めて行く場所が、
雨であればそれはそれで意味があります。
なぜなら、鎌倉の大仏は
日本では珍しい「露仏」だからです。
ザッザッザッ

大仏さんは、不意に・・・
本当に不意に現れました。

新緑で生い茂った広葉樹の枝下から
その姿が顕れました。
「でかっ!」
初めて見た鎌倉の大仏さんは、
覚悟の雨に打たれていました。

私には、泣いているように見えました。
傘を差し、
屋根のある所から拝見するのが
申し訳ないほどに・・・
そのお姿が
心に迫るものとなりました・・・
民とともにある・・・
そう聞こえました。

実際この大仏は、
いわゆる「官製」の仏ではなく、
民の勧進によって建立されています。

長い年月の間、風雨、地震などで
何度も倒壊、再建を繰り返し800年余り・・・
不屈によみがえり
今もこの場所に鎮座されています。
旅の醍醐味の一つは、
観光、つまり光を観ること・・・
そのとき、その時代に生きた人々の息吹、気概に
今の自分の気を合わせること・・・
それが「光」です。
大仏の背後には
与謝野晶子の歌碑が残されていました・・・


鎌倉やみ仏なれど釈迦牟尼は
美男におはす夏木立かな
明治33年、晶子が22歳の時に読まれたとされていますが、
ちょうど与謝野鉄幹と不倫状態になっている頃です。
まさに激春のころ・・・
時代も、日清戦争で勝利を収めたばかりの日本・・・
大国 清を打ち負かし、
多額の賠償金をもらい、
朝鮮を手に入れ、
勢いづく日本・・・
晶子が公私ともに浮かれるのもよくわかります・・・
あれから120年余り・・・
コロナ茶番と改悪憲のきな臭さ・・・
還暦まじかのわたしには、
「美男」という言葉は
どこか似つかわしくない表現に感じました・・・
雨はずっと降り続いています・・・
いつまでもその場所にいたかったのですが
そういうわけにもいきません・・・
大変名残惜しかったのですが、
ふりかえりふりかえり
大仏さんに別れを告げました・・・

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