秋、秋分のころ⑧・・・樹木希林のメッセージ
縁があって長野上田市で成人を迎えた若者に
手紙を書いていたことがわかりました。
クローズアップ現代です。
その番組最後に紹介されていた
教師を目指す若者にあてた手紙です。
今のベテランの教師でさえも
こういうことを言ってくれる人が少なくなりました。
私が目指してきた教師像を
樹木希林さんがズバリと言ってくださっていて
あらためて
「ああ、これまでも、これからも、、これでいいんだ・・・」と
おだやかに感嘆の声を上げた一節でした。
拝啓 ゆり乃さん、
法華経の薬草喩品 第五番にね
太陽も雨も風もわけへだてなく降り注ぐって書いてあるの。
だけど木のもつ性質でうまく育つものもいれば 根腐れする樹もある。
陽が当たりすぎて枯れるかと思えば
日陰だからきれいに咲く花もある。
て、生徒も同じ。
それぞれの性質によく耳をかたむけ聞いて
その子が一番輝く場所を共に探す。
教育って教えるだけでなく、
寄り添い共に育つことかもしれない。
それが面白くなったら、
ああ、教師になって幸せーっっっョ。
樹木希林
亡くなった人は、いなくなるんではなく
ちゃんと胸のなかにいてくれている・・・
まさにそうなんです・・・
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
秋、秋分のころ①・・・わたしは、わたし
秋分の節気は・・・
地球の赤道を延長した天の赤道と太陽の通り道の黄道がちょうど交差したところが黄径0度。
秋分とは、太陽が黄径180度(秋分点)を通過するときのこと。春分と同じく、太陽が真東から昇って真西に沈み、昼と夜の長さがほぼ同じになります。
極楽浄土があるという真西に太陽が沈むことから、亡くなった人をしのぶ日とされています。
春分・秋分の3日前から7日間をそれぞれ春の彼岸、秋の彼岸とします。
※春分・秋分は「彼岸の中日」といいます。彼岸は日本独自の行事です。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言われ、この日を境に寒さが増してきます。
という時期だそうです。
文字通り、秋分の日というのがありますが、
節気として期間があるとは思いませんでした。
近くの小学校では運動会が催されているのか
ラジオ体操の音が聞こえてきます。
それにしても、9時から始まって
25分間、いわゆるお偉い方々のお話があってのラジオ体操。
この「お偉い方たちのお話」っているんでしょうか・・・
もうこういう旧体制をやめてもいいと思うのですが・・・
大人にとっての当たり前と
子どもにとっての当たり前が
大変解離している時代が
「現代」なのではないでしょうか・・・
もう大人のやり方を
子供に「あたりまえ」として植え付ける時代ではありません。
もちろん子供には未熟なところが一杯ですが
それは大人も同じこと・・・
私は子どもにいろいろな自分を見つめてほしいと思っています。
十人十色と一言でいうのは簡単ですが、
日頃大人からどういう言葉をかけられているかで
「見つめる力」は全く育たなかったり
深く育ったり・・・本当にさまざまです。
「・・・してごらん」
「・・・しようか」
「・・・はどう?」
「・・・してくれる?」
英語の
Please
Let's
Why?
そういう問いかけはすごく大切です。
もちろん言いなりになることでも
言いなりにさせることでもありません。
まずは聞いてみましょう・・・。
子どもの話を10分でも聞き続けるのは
大人にとって苦行です(笑)
自分の意見を述べず
聞き続けることは本当に大変です。
そうして、子どもたちが(もちろん大人も)
「わたしは、わたし」になるまでには
実に多くのインプットとアウトプットがいります。
大人でも難しいこの「わたしは、わたし」・・・
せめて大人の私は、
子どものそれを邪魔しないでいたいです。
樹木希林さんの一人が語り・・・
今年、あなたはひとつ歳を取る。
その度に、歳相応にとか、
いい歳してとか、つまらない言葉が、
あなたを縛ろうとする。
あなたは、耳を貸す必要なんてない。
世間の見る目なんて、
いつだって後から変わる。
来たことのない服に袖を通して、
見たことのない自分に心躍らせる。
他の誰でもない「私」を楽しむ。
そんな2017年が、
あなたには必要なのだから。
年齢を脱ぐ。
冒険を着る。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
秋、白露のころ⑩・・・樹木希林 『生きるも日常、死ぬも日常』
わたしのなかで「さん」付けするほどの大ファンでもなく
もちろん面識があったわけでもないが、
ことあるごとにいわゆる、惹かれる方だった。
亡くなられた報を聞き、
あらためてその偉大さがわかる人物・・・
以前、2年半前にも記事にしている。
➡「死ぬときぐらい好きにさせてよ」 ~2016睦月・宙結びの申言(もうしごと)~
亡くなられたのはとても残念だが
好きに死ぬことができたとせめて願いたい。
天下の伊勢神宮遷宮のときも
儀式とか社殿とかそういう「かたち」あるものを
過度にほめたたえなかった。
人のこころや祈りという「かた」に
神を降ろす人の「こころ」を見出し、
過度に「かたち」を求める現代の「無駄」を
歯に衣を着せぬ自然体でコメントされていたのが印象的だった。
その後、
「神宮希林 わたしの神様」という映画もあった。
えてして、俳優と呼ばれる人々は
自然体の立ち居振る舞いができなくなるものだ。
年輪から生み出される「コワいものなし」の彼女の自然体に
まだまだ若輩者の私はとてもあこがれる。
孫娘さんとの共演「あん」のインタビュー・・・
彼女は言います。
「生き死にに対して境目がない・・・」
(遺作は、「日日是好日」かな)
私も気張らず、自然体で見れるときに見てみたいと思います。
「人は必ず死ぬというのに。
長生きを叶える技術ばかりが進歩して
なんとまあ死ににくい時代になったことでしょう。
死を疎むことなく、死を焦ることもなく。
ひとつひとつの欲を手放して、
身じまいをしていきたいと思うのです。
人は死ねば宇宙の塵芥。せめて美しく輝く塵になりたい。
それが、私の最後の欲なのです。」
樹木希林
余談ですが、本当の画家 熊谷守一さんです。
雰囲気が木ぃじいちゃんに似ています。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
tag : 樹木希林