樹下石上187・・・ボンボン時計帰る
➡古いボンボン時計
無事に帰ってきました。

引き取りは、母と一緒に行きました。
修理してくれた黒野さんにどうしてもお礼が言いたいと・・・
ピカピカに磨かれたガラスケースの上に
グレーの布がかけられ、
修理され誇らしげのボンボン時計が置かれた。
黒野さんは、いとおしげにそのボンボン時計をなでながら
まだまだ十分使えますよと母にも告げる・・・
母は、同じ職人の雰囲気を漂わせる黒野さんとしばし談笑・・・
黒野さんは、修理した内容やアイチ時計の逸話を
ゆっくりと母にしていた・・・
同じ職人同士、流れる空気がおだやかだった。
新しく分かったことは、尾張に
こういったボンボン時計の会社が多かったのは
木曽の山林でたくさん木が取れたため
時計の枠組み作りにうってつけだったということ・・・
なるほどなー
昔の産業は、地理的条件をうまく生かして栄えたんだなー
だから、私たちは生かされてることを実感できたんだ・・・
小さな赤子を抱くように大切に抱えながら出口へ・・・
外まで見送って下さった黒野さんに
名残惜しくお礼を告げて家へ戻る・・・
無事に戻ったボンボン時計・・・
元あった柱に設置・・・
ボンボンと鳴らしてみると、
心なしか音がきれいになり、若返った気がした。
まるで父が元気になって返ってきたようだ・・・
そのままそのあしで岐阜の柳ケ瀬へ・・・
小さいころから母のあそび場だったこの商店街・・・
少しだけ復活した姿を見てほしかった。
➡秋を楽しむ
ほとんどがシャッター街だと思い込んでいた母も
意外な復活に嬉しそうだった。
偶然入ったお店は、90年以上も柳ケ瀬で店を構える洋食屋・・・
母はそこのカキフライ定食が目に留まった模様・・・
食事後、戦後の柳ケ瀬の話でマスターと談笑する母・・・
二人でぺろりといただき大満足の散策でした。
自分の足で歩けること・・・
話す知り合いがいること・・・
思い出があること・・・
年を取って大切なものは
こういったささやかだけど
お金では買えないもの・・・
人生は、何のためにあるのか・・・
それは、「経験するため」だと思う。
やりたいと思うことを
成果など気にせずどんどんやる・・・
冒険やチャレンジともいえる・・・
母を見ていてつくづくそう思う。
ちなみに、これまた偶然やっていた血管年齢チェック・・・
初めてだったのでやってみた。

実年齢より、13も若い・・・
ホンマかいなーと思いつつ、
良かったことは機嫌よくそのまま信じることにした(笑)
ただ、体は血管だけでできているわけではないので
用心しながら人生経験を楽しみたい。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
樹下石上154・・・秋を楽しむ
昭和の商店街
すすき
夕日
・・・・
ふらっとおいしい蕎麦屋へ行きたくなって、
岐阜まで足を延ばす・・・

三重から岐阜市内は意外に遠い・・・が気持ちいい。
高速で一本、というわけにいかず
長島で下りて、ひたすら長良川沿いを上流へ向かう・・・
この堤防沿いの道が実に気持ちいい・・・
若い時は、愛知県から三重へ下って行ったが
いまは、それが逆になった・・・
川を上る・・・そのまま天まで行ければもう龍になる・・・
途中、伊吹山や金華山が見えてくると
俄然そんな気分となる(笑)
墨俣あたりの堤防の長い桜道が
秋の澄んだ空気に透けて
すでにうっすらピンクの準備をしている・・・
自然はうそをつかない
春が楽しみだ・・・
無口な店主が切り盛りするおいしい蕎麦屋を後に
ふらっと昭和の商店街、柳ケ瀬へ足を向けた・・・

夜になれば灯るであろう小さなネオンのボックス・・・

いまだに現役の昭和の映画館・・・

70年続いた喫茶店が閉店してしまい、
それを惜しみ復活させ、後を継いだ若者たち・・・
長蛇の列ができていたライブハウス・・・
地野菜や古着を売る店・・・
泊りであれば、ぜひとも寄りたい昭和の大衆居酒屋・・・
廃れたといわれていた商店街が
なんのなんの・・・
少しずつ復活の兆しを見せていた・・・
息吹・・・
人が生きて、なりわうその場で育つ生気・・・
昭和の看板の文字は大きく、
原色で派手である・・・
一方、平成・令和の若者店の文字は、
小さく控えめにおしゃれに書かれている・・・

柳ケ瀬はそのどちらも認め合い、
互いが融合し、在りし日の昭和を支えようとしていた・・・
そば
昭和の商店街
すすき
夕日
・・・・
秋の日は短い・・・
今年もちゃんと秋を楽しめてありがたい・・・

theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体