未熟者を育てていただきました
中3生はいよいよ受験本番の時期を迎えます。
一方、高三生は、
推薦など早い子は
合格発表を迎える時期です。
お陰様で、うちの生徒さんが
無事に大学合格をいただきました。
このブログにもよく登場する
元気いっぱいの生徒さんです。
これまでいろいろな生徒さんに
関わらせていただいてきましたが、
本当に印象深い生徒さんになりそうです。
昨日の塾が最後となり
卒業されました。
塾は学校のようなセレモニーはありませんが、
名残り惜しい気持ちは変わりません。
「またすぐ遊びに来るから(笑)」
そういって彼女は玄関を出ていきました(笑)
本当に面白い子です。
入塾されたのは中1の終わり・・・
本当に成長なさいました。
来春の大学では、一人暮らし・・・
きっと今よりももっともっと
スケールの大きい経験をしていくことでしょう・・・
きっと彼女なら大丈夫・・・
塾は寂しくなりますが、
そんな素晴らしい生徒さんに出会わせていただいたことに
神様に心から感謝したいです。
親御さんが子供に育てられるのと同じで
「先生」という職業も
間違いなく生徒によって育てられます。
38年前、家庭教師で
初めて生徒さんを受け持たせていただいた時から
変わらない思いがあります。
教育の目的は、人格の形成と自立・・・
若干19歳の若者が
自分さえ人格と自立が未熟だったくせに
よく言ううなと今では恥ずかしくなります。
そして今でさえ、まだまだ不十分だらけの未熟人間です。
私の方こそ、親御さんや生徒に気づかされ育てられ・・・
この仕事をさせていただけることに
心から感謝申し上げたいです。
彼女の大学生活に幸多かれと
心から祈りたいです。
がんばれ、Rちゃん!
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自分で考えて、自分で行動できる子供に育てるための4ステップ
教育とお金
~私たちは一体誰にお金を払っているのか?~
かねてから言われている、
大学や高校の受験料は
どうしてあんなに高いのか・・・
特に大学は、4万から6万円・・・
これはもう、人情として、
ぼったくりと言われてもおかしくない額でしょう。
そもそもお金の仕組みがおかしい上に、
我々は、身体を張った労働で
こういった費用を手に入れなければなりません。
過労死寸前になるまで
巨大な椅子取りゲームをせよというのでしょうか・・・
これはまさに、
教育システムそのものが、
強制奴隷労働というアンフェアな戦いを
永遠に強いられる仕組みに加担しているとしか思えません。
大統領選でトランプが勝ち
DSの力が弱まる今こそ、
私たち教育に携わる人間が
今こそ、教育の原点に戻る時ではないでしょうか・・・
そもそも、
教育ってそんなにお金がいるものなのでしょうか・・・
私はそうとは思えません・・・
今後、おそらく経済界の混乱は続きます。
その中で私たちの立ち位置を
もう一度しっかりと確立する時が来たのです。
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theme : 教育問題について考える
genre : 学校・教育
令和buzz343・・・3%のために利用された教育
できない人を切り捨て
できるものだけが残れば言い的な施策・・・
という事実を書きました。
➡学力とは安心感のこと
つい最近の面談でお母さんにも
雑談としてお話させていただいた。
大変驚かれていました。
かわいそうではないか・・・
と涙ぐまれていました。
それもそうでしょう・・・
手塩にかけて育てた我が娘、我が息子が
そんな施策の元、切り捨てられ
落ちこぼされている・・・
誰もが耳を疑うでしょう・・・
しかし、事実なのです。
この施策はすでに、1963年から目論まれていました。
➡『経済発展における人的能力開発の課題と対策』
(経済審議会・人的能力部会、1963年)一部抜粋
このサイトのまとめを引用させていただきます・・・
・教育が大衆化してバカが増えた
・年功秩序と終身雇用が崩れ始め、人材の流動化が始まった
・こうした状況下、経済発展に貢献する「ハイタレント」の養成が急務に
・ハイタレントは国民の全階層からなるべく早く見つけて育てる
・対象は国民の3%、広くとっても6%
・天才や職人は不要で、チームワークを重視。
社会的責任感がないと危険人物になりうる
こうやって父たちの職人技が消されていきました・・・
1963年と言えば、白黒テレビが全盛で
ちょうどこれからオリンピックに合わせて
カラーTVを普及させようとし始めたころ・・・

カラーテレビ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
そのTVの長たちは、
大衆に遠慮もなくこう宣う・・・
#目覚めろ日本人
— 🕊💫るちあ💫🕊🌈 (@HxmwTb4IMp5rJ6G) December 1, 2020
これでもメディアを信じますか?
👇 pic.twitter.com/Ye66RadZO7
つまり、私が生まれようとする1963年に
片や、
自分で考える力を奪うTVで洗脳させ、
片や、
3%のエリートを作るためだけの教育
が制度として開始された・・・
端的にいえば、教育においても、社会においても、
能力主義を徹底するということである。
➡『経済発展における人的能力開発の課題と対策』
(経済審議会・人的能力部会、1963年)一部抜粋
明治の学生発布より、
明確な制度としては少なくとも
私が生まれたころからずっと
ひとりひとりの子どもに寄り添う教育など
1ミリもなかったことになる。
ある特別支援学級に通う子供・・・
彼は、中一・・・
時間はかかるが
中一の計算を一生懸命自力でこなす。
その彼に小4のプリントだけ渡し、
実質のほったらかしの状態で「特別支援」というありさま・・・
何のための特別支援か!
親御さんが、
「中一の計算プリントをお願いします」と要望を出すと
「計算だけでは入試は受かりませんよ」と宣う・・・
いやいや・・・
計算はめちゃくちゃ重要ですよ。
しかも公立の場合、1/4~1/3は計算ですし
それを取れれば受かる高校も数校あります。
私立では、約半分が計算というところもあります。
入試の事実も把握されてなく、
できるできないを、0か100かで見ていたら、
永遠に彼らは小学生のプリントばかりになることも想像できず・・・
子どもたちは、まだらにできる部分とできない部分がある・・・
という事実を体感できていない先生・・・
たとえば、アルファベットを順番に書けなくても
単語は覚えられるし、
方程式ができなくても
連立方程式ができるようになる事実・・・
いのちには、実に不思議な喜びがあるのです。
この複雑系の知を知らない限り
発達障害の生徒と一緒に学びあうことはできないでしょう・・・
ちょっと話がずれてしまいました・・・
とにかく、
子どもたちを取り巻く教育のシステムは
いのちを基準に見ていないということです。
わたしたちのいのちは、
国の道具ではない!
こうやって育ってきた私たち・・・
こうやって育てられる今の子どもたち・・・
それでもTVを見て鵜呑みにしますか?
それでも学歴、能力で生涯収入が決まってしまうことを
現実だもん、当たり前のことだもん、と言い切りますか?
事実は誰かが作ったシステムなのです。
それを無知に無考に容認したとき
本当に「現実」となってしまうのです。
その事実を作り替えることは
私たちにもできることなのです。
ときには、「ふざけるな!」と
立ち上がらなければならないのです。
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令和buzz338・・・学力とは安心感のこと
今の本は、10万部売れたらベストセラーですが
昔の本は、50万部、100万部でした。
この本もそうです。
当時の帯には65万部突破と書いてあります。

先日もこの本について書きましたが、
改めて読んでみると本当に凄い本です。
子ども、
特に小学校の低学年ごろの子どもたちは
家庭の空気がそのまま学力の土台となります。
まずは、親御さんが学び好きか?
子どもは親が好きなものを
好きになる傾向があります。
親御さんが歴史が嫌いなのに
歴史が好きになる子供さんにはならないのは
自然な道理です。
親御さんが本も読まずに、
単語で命令口調で話すのが常であれば、
子どもが論理的に考えるようにならないのも
自然の道理です。
そして、何よりも、親御さんが落ち着いているのか・・・
近づいて安心できる空気を作っているのか・・・
これはもっと大切なことと言えましょう・・
この本にも書かれていますが、
ちいさな子どもさんが勉強しようという気になるのは
いったいどんな時か?
それは・・・
「親がそばにいてくれて、優しくしてくれる時」
異論がある人は少ないと思います。
明治の学生発布以来、
子どもたちの教育の目的は
「富国強兵」の一端を担うこととされてきました。
立身出世・・・
実に胡散臭いのですが、
システムごとそうしてしまったわけですから
ご家庭が躍起になってしまうお気持ちも
わからないわけではありません。
意外に思う人もいるかもしれませんが、
令和になった今でさえ、
国の教育の目的は、
富国強兵
立身出世(させる)なのです。
ゆとり教育も個性化教育も
一部のエリートをあぶり出すための詭弁にすぎません。
教科書は、一般的生徒には
3割しかわからなくていい設定されているようです。
以前ブログにも書きましたが
➡迷走する教育
教育課程審議会会長として、ゆとり教育に舵を切った三浦朱門は、
こう発言しています。
【新・学習指導要領の答申(ゆとり教育時代)の最高責任者として関わっている】
「つまり、できんものはできんままで結構。
戦後五十年、落ちこぼれの底辺をあげることにばかり注いできた労力を、
できるものを限りなく伸ばすことに振り向ける。
百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。
限りなくできない非才、無才には、
せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。
(中略)
国際比較をすれば、アメリカやヨーロッパの点数は低いけれど、
すごいリーダーも出てくる。
日本もそういう先進国型になっていかなければいけません。
それが“ゆとり教育”の本当の目的。
エリート教育とは言いにくい時代だから、回りくどく言っただけの話だ」
(ゆとり教育の目的は、エリート教育だったより)
これがなによりの証拠です。
国は、ひとりひとりの豊かさや幸せなど
ちっとも考えていないのです。
学力と収入をがっちりリンクさせ
数少ないパイを奪い合えというのです。
政府は、
自分たちの意に添う知識人だけを優遇し
富国に役立つ大学に助成金を増やし、
そこで学ぼうとする若者だけに授業料を免除したり
給付型の奨学金をあてがうのです。
今の状態では、教育は
生産性だけを求める資本主義教育です。
わたしは、これを教育と呼びません。
わたしは、教育を文化と考えています。
私の父が歴史好きだったため
私も好きになりました。
チャップリンの映画から
TVの落語から、弱い者への寛容という世界を知りました。
母が聖書を読んでいたため、
「汝」などという難しく古典的な言葉にも触れました。
だから、就学前の小さなお子さんには
学力ではなく、愛情のある教養がたっぷりと必要なのです。
早急な結果だけの学力ではなく
※涵養が必要なのです。
※涵養:水が大地に染み込むように無理をせずゆっくりと養って育てることです。
リビングでたっぷりの愛情がある
たっぷりの会話がなされ、
人として語彙力が豊かになる時間の使い方・・・
要は、親御さんのさりげない根気が
子どもの根気となり、教養となるのです。
それこそが、まさに見えない学力というわけです。
もちろん、政府の要請通りの教育をしたいという
ご家庭があってもいいでしょう・・・
どちらにしても教育とは、
その子の20年後、30年後に答えが出るものなのです。
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