春、春分のころ⑧・・・改竄までして持ち込みたい結論とは?
虚偽を語る人の差が激しくなっています。
虚偽を語る人は、まるでマインドが安倍政権化しているかのように
・のらりくらり
・平気でうそをつき
・責任を取らない
この3点セットになります。
阪大に続き、京大でも熊本地震論文に改ざんや盗用・・・
➡京大教授が論文不正 熊本地震の図を改ざん・盗用
真理を探究するのが高等教育、大学の役目!
もちろん、科学的結論はあとからいろいろと真実が塗り替えられる宿命で
その時精一杯持論を展開しても、人類の進化として
オリンピックの記録のように塗り替えられることはあります。
しかし、はじめから自覚がある嘘はいけません・・・
「学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、
深く真理を探究して新たな知見を創造し、
これらの成果を広く社会に提供することにより、
社会の発展に寄与する」
(教育基本法第7条第1項)
↓ ↓ ↓
学術の裏技として
高い改ざん能力を養い
ばれないように真理を捻じ曲げ
新たな偽造を生み出し
これらをさも真実と広く社会に提供し
その社会を混乱させることに寄与する・・・
それが大学ですか?
もう本当にやめてください。
前回の阪大のときもそうですが
マスコミは もう少しきちんと伝えていただきたい。
なぜ改ざんしなければならなかったのか・・・
改ざんしてまで導きたかった結論とは何なのか・・・
図表は誤っていたが後で直すつもりだったなどとして「結論は間違っていない」???
「故意だったと、調査委員会では断定しきれなかった」???
あとで直すつもりだったということは
誤りを認識していたわけで、
ましてや意識不明のまま論文を書くわけありませんから
改ざん・盗用することをすでに故意というのではないでしょうか・・・
それに、科学で仮定や条件が間違っているのに
同じ結論になることがあるのでしょうか・・・
どんな結論かわかりませんが、
はじめに結論ありきのような気がします。
科学の定義や日本語までおかしくなってきそうです。
「共著者は関わっていなかった」
一緒に書くことを「共著」といい
当然読んでいるわけですから・・・
読んでいないなら、共著者といいませんし・・・
また、補佐した学生がいるはずですから
彼らも気が付いていたのかもしれない・・・
こういったことが慣習化され
学生らのマインドさえ「教授たちの体質」と同じになっていく・・・
そういう恐れもあります。
そういう意味で、改ざんした教授たちは
研究者として、教育者として、ダブルの罪を犯している・・・
子どもでさえも 恥じ入り詫びる行動を大人がしていて
わざとではありません、
知りませんでしたって・・・(苦笑)
もうこの国の大人はいったいどうなっていくのでしょうか・・・
ただ、推測ですが、人工地震のために
今までの科学的な知識や論証が通用しない・・・
そういう意味では、これからの科学者は変なところで苦労すると思います。
「恥の文化」
アメリカの文化人類学者 R.ベネディクトが『菊と刀』 のなかで
日本をそう分類しています。
西洋人は、神に罪を許してもらう文化で
「罪の文化」だという。
日本は、「人さまが見ている」ので
「恥の文化」だそうで・・・
それでも、日本人は「おてんとうさまが見ている」と言いますから
「恥の文化」と同時に、目に見えない何かへの畏れは存在していると思います。
恥の文化だろうが罪の文化だろうが
「内面への深い戻り」
これはあるに違いない・・・
日本ではこれを「良心の呵責」といいます・・・
大学の教授の一部に、もうそれがないのはとても本当に残念ですね・・・
わたしは、人から見られる「恥」ではなく、
内面から生まれる「恥」は
「美」と表裏一体の価値観のような気がします・・・
「美」とはなにか・・・
「美」はどこへ行ったのか・・・
何かを守るために美を壊す者
美を守るために余分なものを捨てられる者
次の時代はどちらの人口が増えるのでしょう・・・
わたしは、行動に迷ったとき、
「美しいほうはどっちだろう」と自問します。
美は真実であり
流れであり
風であり
辻褄であり
いのちである・・・
※辻褄・・・「辻」は裁縫で縫い目が十文字に合う所。「褄」は着物の裾の左右が合う所》合うべきところがきちんと合う物事の道理。
いまのところ、それで合ってきています・・・
みなさんはどうですか?
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体