春、啓蟄のころ⑨・・・幹を磨く
すっかりと盛りを終えて散り去ってしまった。
次は桜か・・・と
人はせわしない。
そんな人の気持ちにツンデレの桜は
やっと花芽や新芽が伸びてきたばかり・・・
しかし、桜並木などに目をやると
全体がうっすらピンクの紗をまとったようにみえる・・・
もう準備は始まっている。
この時期、いつも思い出す随筆がある。
人間国宝で染織家の志村ふくみさんの話だ。

この方を取材した大岡信さんが書いた随筆だ。
京都の嵯峨に住む染織家志村ふくみさんの仕事場で話していたおり、
志村さんがなんとも美しい桜色に染まった糸で織った着物を見せてくれた。
そのピンクは淡いようでいて、しかも燃えるような強さを内に秘め、
はなやかで、しかも深く落ち着いている色だった。
その美しさは目と心を吸い込むように感じられた。
「この色は何から取り出したんですか」
「桜からです」
と志村さんは答えた。素人の気安さで、
私はすぐに桜の花びらを煮詰めて色を取り出したものだろうと思った。
実際はこれは桜の皮から取り出した色なのだった。
あの黒っぽいごつごつした桜の皮から
この美しいピンクの色が取れるのだという。
志村さんは続いてこう教えてくれた。
この桜色は一年中どの季節でもとれるわけではない。
桜の花が咲く直前のころ、山の桜の皮をもらってきて染めると、
こんな上気したような、えもいわれぬ色が取り出せるのだ、と。
➡大岡信 「言葉の力」
問題集にも載っていたので、
授業したことがあったが、
私自身、桜色が桜の木の皮から取りだしたと知って
その自然の奥深さに感嘆したものだった。
桜の花が咲く直前、
桜は全身で力いっぱいあのピンクになろうとするのだ。
花びらのピンクは幹のピンクであり、
樹皮のピンクであり、樹液のピンクであった。
桜は全身で春のピンクに色づいていて、
花びらはいわばそれらのピンクが、
ほんの先端だけ姿を出したものにすぎなかった。
私たち人間もそうである。
ほんの一瞬しゃべったり
ふっと手を挙げたり
何気なく振り返ったり
そういう一瞬一瞬は
私という全身から放たれるエネルギーのようなもので
そういった意味でからだや声をとらえなおすと
ああ、ちゃんとしなきゃなと思う。
常連さんと話すときも
一見さんと話すときも
生徒と話すときも
一人でいるときも
出ているものはほんの一部なんだと・・・
一部だけどすべてなんだと・・・
言葉もしぐさも視線も、
それが出てしまっているだけなんだと・・・
そういう意味で日々、幹である中身を磨かなければ・・・
そうしなければ・・・
この時期の桜はそういうことを教えてくれるのです。

theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体