みんなすべていっしょだった
これから激しいスポーツをするときは
用心した方がいいと思います。
心筋炎
脳梗塞などの血栓症など・・・
血液と循環に関する病が
今後深刻になる気配があります。
サッカー⚽️選手がバタバタ倒れてるぞー スポーツ選手は気をつけろ‼️ pic.twitter.com/cfeenYAN2G
— 船瀬俊介の船瀬塾 (@funasejuku) March 22, 2022
私たちは、血液について本当に学んだ方がいいです。
現代の血液学は根本から間違っています。
現代の遺伝と進化論は根本から盲点があります。
私たちは、
別々に見えるからと言って
それらが別のものだと認識してしまっている事象が
いのち・身体に関してたくさんあると思います。
例えば、一番簡単な例ですが、水。
今の人たちで、ある程度の年齢になれば、
氷と水と水蒸気が同じものだと認識しています。
ところが一歳児、二歳児はどうでしょう・・・
空に浮かんでいる雲と、
いつも飲んでいる水が同じと認識できないのは当然です。
だって、違う風に見えているからです。
では、血液、遺伝、進化に関してはどうでしょう・・・
きっと私たちは、
本当は同じなのに、
ちがう風に見えるからと言って
別のものだと誤って認識しているものがたくさんあるはずです。
赤血球
白血球
細胞
これらはみな同じものの別の顔です。
そういって、ああ、知っていますよ、常識じゃないですか!
と言える人は今はそうそういません。
また、
ラマルクが
「進化は自然発生した結果」といったことと、
千島博士の、
「ウイルス・バクテリアの自然発生」とに
相似象を見出せるでしょうか?
「相似象」とは、
天然・宇宙・自然界・人間界を通ずる森羅万象は、
相似の象(ヒトツカタ)・・・
という考え方です。
実は千島学説を学んでいると
この相似の象(ヒトツカタ)の「カタカムナ」を思い出します。
カタカムナは、
見えない世界と見える世界を
つなぐ言霊のことで、
カタカムナ保存会 潜象物理学会HPによれば
「カタカムナ」とは、自然界・人類社会の
平和共存、親子・夫婦・友人の親和と健康な長寿など、
生命によいとわかっていることを
マットウに達成しうる為の「根拠」を示す上古代語です。
となります。
私たちは目に見えない事象、
ソマチッド
エクソソーム
ウイルス・バクテリア
赤血球
白血球
・・・・・
などと
細分化しすぎてしまって
本当は同じものなのに
別々に認識する罠にはまっているように思えます。
物質として細分化するにとどまらず
それぞれの役割までも細分化しています。
どれもが「共存共栄」「親和」に向かっているにすぎないのに
善悪を付けて役割を矮小化しています。
菌に、善玉菌、悪玉菌と名前を付けるようにです。
物質の細分化例は、
ウイルスとバクテリア(細菌)を分けてしまっていることです。
これ、全く同じものの別の場面です。
オギャーと生まれた赤ん坊時の写真と
その方の80歳の写真を見せられて
同一人物だとわかる人は少ないでしょう・・・
そういうことです。
今の科学は、
細胞は分裂で増えると言いますが、
最初の細胞がどうして生まれるかは説明してくれません。
われわれの身体はDNAという設計図で作られると言いますが、
ではそのDNA(設計図)は誰が書くのか?とか
DNA(設計図)そのものの組み合わせは誰が作るのか?
という肝心の問いには答えてくれません。
生物はある原始的なものから
枝分かれして進化すると言いますが
では、最初の生物はどうして生まれたのか?
そういう問いに対しての答えも曖昧です。
小さいころ、あの雲はどうしてできたのか?
(どうして急に見えるようになったのか?)
という疑問を持ったことがあるでしょうが、
そういった問いを「いのち」「身体」にも持つべきなのです。
宮沢賢治は詩を残しています。
星がさうならうと思ひ
陸地がさういふ形をとらうと覺悟する
あしたの世界に叶ふべき
まことと美との模型をつくり・・・
宮沢賢治「竜(チャーナタ)と詩人(スールダッタ)」より
また、銀河鉄道の夜の最後、
黒い大きな帽子をかぶった男に
こんなセリフを言わせています。
「水は酸素と水素からできているということを知っている。
(中略)
けれども昔は水銀と塩でできていると言ったり、
水銀と硫黄でできているといったりいろいろ議論したのだ。」
「変な顔をしてはいけない。
僕たちのからだだって考えだって、
天の川だって汽車だって歴史だって、
ただ、そう感じているのなんだから。」
私は
「(ただ、そう感じているのなんだから) そうなった。」
と続くような気がします。
「さあ、いいか。だからお前の実験は、
このきれぎれの考えの初めから終わりすべてに
わたるようでなければいけない。
それがむずかしいことなのだ。
けれども、もちろんそのときだけでのでもいいのだ。」
本当はきれぎれではないのです。
きれぎれに見える現象を
私たちはひとつのものだったと
認識しなおすことがこれからの時代特に大事です。
これは科学の問題ではないのです。
いのちの問題なのです。
わたしが先日上げた「遺伝に関わる要素」は
実はすべて同じものなのではないかと思い始めています。
①メンデルの遺伝学(DNA)➡分子遺伝学
②ダーウィンの自然(偶然)選択と分岐
③ラマルクの用不用の意思で進化
④親の環境×子供の環境・・・組織間のコミュニケーション
(ジェミュール・エクソソーム・ジャンピング遺伝子/垂直遺伝・水平遺伝)
⑤③が叶わない場合、不自由な環境を
どう解釈するかという意思選択で進化
私たちの世界に
「分断」「別個」のものは
何一つなかったとわかり始めてきました。
これが、Onenessの一面なのでしょう・・・
わたしも、ジョバンニのように
銀河鉄道の切符をしっかり持っていようと思います。
theme : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
genre : 心と身体
令和buzz62・・・ほんとうにほしいもの
賢治がこの作品に投影したかった「問い」が
象徴的な二つの出来事を通して描かれています。
ひとつは、「鳥を捕る人」
もう一つは「青年家庭教師」
賢治が問いかけたかったテーマ・・・
それは、
「ほんとうのほしいもの」
「ほんとうのさいわい」
この作品は、
もうすでに死んでしまった人々と、
これからも生きて「ほんとうのさいわい」を
伝えていかねばならないジョバンニが
銀河鉄道という列車に乗り、様々な人と会話をしながら
天上であるサザンクロス駅まで旅をするお話です。
また、サザンクロス駅を過ぎてからの
ジョバンニとカンパネルラのシーン、
カンパネルラがいなくなった後もかなり奥深いです。
1924年の初稿以来、
1933年に賢治が死ぬまでの間に
なんと、4回も改稿してるところを見ると
賢治のこの作品への思い入れは
相当のものでしょう・・・
1922年に最愛の妹を亡くし、
1923年、教え子の就職依頼で
青森-樺太を鉄道で旅をしているところから
おそらくそこでこの作品の青写真ができたのではと思います・・・
対比として描かれている二人・・・
鳥を捕る人は、
・殺生をしている
・その材料で、生きるのには不要なお菓子を作って商売している
・ジョバンニが持っていたどこへでも行ける切符をうらやましがり
気持ち悪いぐらい褒め、少しの嫉妬を持つ
・途中下車(消える)してしまう
一方、青年家庭教師は、
・2人の子どもを連れている
・おそらくタイタニック号の犠牲者
・タイタニック沈没時にせめて子供たちだけでもと
ボートに乗せようとする
・しかし他にも多くの子供たちがいたことで押しのける気になれず
・このまま神様のみ前に行く方がこの子たちの本当の幸福だと思い
・そのまま3人とも犠牲になる
・天上と言われるサザンクロス駅で降りていく
私たちは生きるのに
何かを捕って生きねばならない・・・
しかし、いったい何を捕るのか?
それを私たちに問う場面だ。
ジョバンニが、鳥を捕る人が消える直前
心の中で問いかける言葉ある。
「ほんとうにあなたがほしいものは
いったいなんですか」
(賢治はわざわざ
ひらがなで書いている。)
そして、青年家庭教師が
船が氷山にぶつかって沈んでしまった事情を話し終えると
ジョバンニはこうも言います。
「(氷山の流れる寒い海で働く多くの人々がいて)
ぼくはそのひとのさいわいのために
いったいどうしたらいいのだろう。」
乗車している燈台守はこう続けます。
「なにがしあわせなのかわからないのです。
ほんとうにどんなつらいことでも
それがただしいみちを進む中でのできごとなら
峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく
一あしずつですから」
昨日改めてこの作品を読み返し
「ほんとうのさいわい」を
自分に問い返したその時、
ふと見上げると
めくり忘れた日めくりが目に留まった・・・
これが応えなのだろう・・・

少なくとも
必要以上に
トイレットペーパーやティッシュペーパーを
買いあさることではないようだ。
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十力の金剛石 花巻、賢治に会いに
その十力の金剛石はまだ降ふらない。
おお、あめつちを充てる十力のめぐみ
われらに下れ
宮沢賢治「十力の金剛石」より
彼のこの哀しみ、切なる祈り・・・
まるで、庶民が搾取され続ける
今の日本、いや世界を言い当てている。
どこまでも奥が深く、
それでいいて、上空に突き抜け、
繊細で、斬新な彼・・・
それゆえ 時に予知者となる宮沢賢治・・・
恐らく私の一生をかけても
きっとたどり着くことはできない彼の世界観は、
今後、全人類にとって
探求と発見の連続になることと思う。

今回 花巻で彼の童話村を訪ねたことで
また素晴らしい作品に出会えた。
「十力の金剛石」
初期の作品らしいが、
私は全く知らなかった。

童話村、はじめて入った白い部屋・・・
その部屋に入った瞬間、私は涙が止まらなくなった・・・
「???」 の ぴよさんの横顔をしり目に
流れるままにしておいた。
その白い部屋には、さらに白い椅子が何台かおかれていて
自由に腰掛けることができる。
白の中の白...
大きな夜空の木の下の白い椅子に座ると
足元に文字が見えた。

「十力の金剛石」の一節だった。
そして十力の金剛石は
野ばらの赤い実みの中の
いみじい細胞の一つ一つにみちわたりました。
彼の言葉は、音であり、色であり、
やがて、幻燈になる。
こころが退化した私たちには、
彼の活字だけではもう十分な映像を引き出す力がない。
「十力の金剛石」
涙が出るほど美しいお話です。
彼は、ずっとずっと遠くに行ってしまって
現代のわたしたちが追い付けない場所にいることでしょう。
それでも私たちは、追いつこうと努力しなければいけません。
でないと人類が滅びてしまう気がするのです。

旅の終わりは「千と千尋の神隠し」
➡千と千尋の神隠し:名ぜりふ1位は?
「千と千尋の神隠し」が先週の金曜日に
TVでやっていたからだろう。
わたしこれを旅の最終日の夜、
金沢で偶然見ていた。
ジブリ映画の中で、わたしが一番好きな映画かもしれない。
奥が深いからだ。
私の好きな名台詞は入っているのかなと
記事を読んだが残念なことに全く入っていなかった(笑)
「魔法で作ったんじゃ何にもならないからねぇ。」
このセリフが一番好きだ。
映画の中では、銭婆の登場シーン・・・
お守りの髪留めを
糸を紡ぐところから始めているシーンだ。
この世には魔法でかなえたいことが多いけれど
そういうものに限って魔法を使ってはいけないものが多い。
「おまえを助けてあげたいけど、
あたしにはどうすることも出来ないよ。
この世界の決まりだからね。」
そういって、銭婆は糸紡ぎを坊ネズミたちに手伝わせる。
この話で一貫していること・・・
それは自分の手足を使って事をなすこと・・・
その大切さを宮崎駿は説きたかったのではないか・・・
これは、ブラック労働がはびこる大企業の労働とは真反対にある。
偽の大量消費を促すための、大量生産ではなく
自分のなりわいを
自分の心を
自分の手足で育てること・・・
そういうことだ。
労働と心はセットなのだ。
人の痛みがわかるこころ・・・
思わず感謝で手を合わせるこころ・・・
誰かの役に立とうとささやかに動こうとするこころ・・・
その根底には、「労働」がある。
農業を芸術に高めようと呼びかけた賢治は
きっとそういうことを言いたかったのだと思う。

お店に何度も同じ相談で足を運ぶ人たちに足りないものがあるとすれば、
きっと、すぐに魔法に頼ろうとする安易なこころを捨てることだろうか…
「自分でやる」
「自分で決める」
「人のせいにしない」
ただそれだけで人生は好転する。
「おまえを助けてあげたいけど、
あたしにはどうすることも出来ないよ。
この世界の決まりだからね。」
あなたや私の神様はきっとそう言っておられる。
でもそれは冷たい突き放しではない。
むしろその逆で、あなたが生きてゆけると確信があるからだと思う。
「神様は、その人が乗り越えられない試練は与えない」
わたしたちは、自分の手足を使って
ただ、生きていさえすればいいと思う。
「芸術としての人生は老年期中に完成する」 宮沢賢治
中年から老年にかかる橋・・・
その袂まで来たわたし・・・
その時代に東北に行けたのは本当にありがたい。
東北の香りを連れてきた金沢の宿で
自分の人生、どこまで労働で育て、芸術にできるか・・・
そう思いながら「千と千尋」を見ていました。

冬、小雪のころ⑨・・・リンゴとフリーエネルギーと教育
賢治がこのリンゴにそれほどこだわったのはなぜだろうと
心の隅でずっと引っかかっていました・・・

以前は、切った切り口が∞の形をしているので
いのちの輪廻や魂の永遠を語っていると思っていましたが
もう一つ、その示唆を得ることができました・・・
フリーエネルギーです。(トーラス)
この動画の前半・・・
そのことが述べられています。
フリーエネルギーとは、仏教でいうと「空」のことだと思います。
フリーエネルギーの第一人者にはたくさんいますが
そのお一人、飯島秀行さんという方がみえます。
この方も「園芸」という土からスタートしています。
2度の脳梗塞と心筋梗塞を乗り越え、
開発に没頭されていましたが
2015年3月1日、永眠されました。
「フリーエネルギーっていうと、
モーターとかが電気を使わずにずーっと回っているとか、
そう思う方が多いんですけど、
この世の中はすべてフリーエネルギーなんです。
宇宙や地球はフリーエネルギーです。
その中にあるもの、住んでいる者すべてが
フリーエネルギーの世界に属するものなんです。」
それを裏付ける素晴らしい動画があります。
南米チリの女子大生3人が植木鉢に電気回路を差し込んで
光合成に伴う電子を吸い上げ、
スマホを充電したりUSB給電に使えるという機器を発明というニュースです。

これが日常いたるところに使われれば
闇権力も真っ青です。
彼らが森林や植物を痛めつけるのは
こういったことを知っているからです。
また、飯島さんはこうも言われています。
フリーエネルギーは「圧」・・・
天気の高気圧や低気圧の「圧」です。
圧をかけるところにエネルギーが流れていくというのが自然の法則で、
常に「圧の低い方」から「圧の高い方」にエネルギーは流れるという。
ギャップですね。
また、物質は逆で高い方から低い方に流れる。
川の流れがそうであるように。
感情も波動でエネルギーですから、「圧」によって変わります。
例えば「緊張」から「緩和」へのギャップによって
「笑い」や「号泣」が生まれたりしますね。
ですから、何にでも「圧」をかけて
「ギャップ」を生み出すように働きかければエネルギーは生まれます。
わたしたちは、自分の身の回りの人や
自然に対して、善良な「圧」を与えているでしょうか・・・
わたしたちの身の回りに起きていることはすべて
自分がかけた「圧」の結果です。
良い圧をかければ良い結果が・・・
悪い圧をかければ悪い結果が・・・
あたりまえのことなのです。
また、私たちの周りや、わたしたち自身は
もともと「持っている」ということ・・・
「持っている」と言っても
所有ということではない・・・
共有として「在る」ということ・・・
ただ、それを認めればいいということ・・・
色即是空
空即是色・・・
「在る」ものを奪い合う必要もないし
だれのものだと誇示する必要もない・・・
長年ダンスをしてきた私がたどり着いた持論は
「個性」も「表現」も・・・いらない・・・
この大切なことに気が付くと
あえてする必要がなくなるということ・・・
あるのだから、する必要がないという感じです。
しなくても、「ある」・・・
見えてしまうから、しなくてもいい・・・
その在るものに気が付き、
それをいただき、遣わせていただく・・・
日常がそうやってシンプルになる・・・
その事実を鑑みるだけでも
今の教育界がいかにくるっているのか・・・
いかに悪い圧をかけ続けているか・・・
あるのに、ないといって煽る・・・
エネルギーでないものを・・・
ベクトルフォースが働かないものを求めさせる・・・
(ベクトルフォースはわたしの造語で「向き不向き」という感じです)
いかに「恐育」(恐れと不安を煽って学ばせる・・・)であり
「狂育」(事実を教えない)なのかがわかります。
すべてのエネルギーがあるのに
一体どこの高みに向かって急かされなければならないのか・・・
電気システムに「オフグリッド」という言葉があります。
電力会社などの送電網につながっていない電力システムのことで
太陽光発電システムの利用やご当地電力の取り組みなどについていいます。
独立電源といってもいいです。
里山を破壊し、
電気に値段をつけて
転売を推奨するメガソーラーシステムは
全くのNOですが、
各家庭の自給自足型の
小規模オフグリッドは素晴らしいのと思います。
わたしは、以前 自然体の教育を目指すと言いましたが
それは、オフグリッド型の教育ということです。
中央集権からできるだけ遠いところ・・・
つまり、「恐育」や「狂育」から遠いところで
子どもたちに接していきたいと思います。
フリーエネルギーに触れて
ますますその思いを強くしています。
これまではっきりとわかっていたことを
ぼんやりとしか表現できませんでしたが
このフリーエネルギーの理論に触れて
ますますクリアーになってきました。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体