令和buzz327・・・子供の観察力
自分で書いておいて何だが、
まさにそれを証明する絵に出会った。

この絵は誰が描いたのか?
勘の鋭い方はお気づきかと思うが、
そう、これは私自身が
小学校4年生の時に描いた絵なのだ。

裏には「49.5.24」と捺印されているので
昭和49年5月24日、当時私は9歳・・・
テーラーを営んでいた父の作業の様子を描いたものだ。

先日実家へ帰った折、
母が、これは捨てられなかった・・・
そう言って見せてくれた。
この絵を見せられた私は、
もう号泣でしかなかった・・・
下に名札の紙が付けられ
5重丸をいただいているので
おそらくそれなりの評価を受けて
貼り出されたものだったのだろう・・・
しかし、私が号泣したわけは、
そういった評価とか、
上手に描けているものだったとか
そういうことではない。
自分でいうのもおこがましいが、
自分の観察力の細かさに
当時、父を誇りに思い、
まぎれもなく愛していたことが
この絵から伝わったからだ。
そういった
愛のある観察ができる子どもに育ててくれた父に、母に、
とめどなく感謝があふれ出たからだ。
そして、まぎれもなく自分は愛されていたと
心から思えたからだ。
今こうして、47年ぶりに出会ったこの絵・・・
自分が描いた絵でありながら
もうそういった所属などどうでもよい。
そんなことがふきとぶぐらいのメッセージを
私に残してくれる。
曲がりなりにも、「教育」という世界に身を置く私に
この絵が気づかせてくれるもの・・・
それは・・・
「子どもの観察力を甘く見るな」
観察をされないものは、
子どもであっても大人であっても
やはり愛ではないのだ。
子どもは大人をちゃんと観察している・・・
大人はちゃんと観察しているのか!
監視ではない、観察なのだ・・・
まなざしとは、
観察とは、
愛そのものなのだ・・・
※観察:仏語。智慧によって対象を正しく見極めること。