春、雨水のころ⑮・・・当事者研究!?
昨日の記事に書いた
発達凸凹グレーゾーンかも!?の彼に聞いてみた。
昨日は、英語の質問だった。
やはり入りにくい・・・
「小学校のときや、中一中二のときは普通に聞いてなかったっけ!?」
そう聞いてみた・・・
「たしかに!」
かれは、目を大きく開いて顔を上げて肯いた。
・・・
・・・
しばらく、静考・・・
「前期の発表を(学校の)先生から聞いた時・・・かな」
・・・
「どんな感じだったん?」
・・・
『今回は残念やったけど・・・』
そう先生に言われた時、すべてが真っ暗になり
そのあとの先生の言葉か入ってこなくなったらしい。
「自分が聞きたかったのは、そんな言葉じゃない!」
そう思ったらしい・・・
もちろん先生は悪くない・・・
「自分が聞きたかったのは、そんな言葉じゃない!」
この言葉に、私は少し驚いた。
いつもの穏やかな彼から出たとは思えない
はっきりと意志を持った、なにか「闇」のような部分を見た気がした。
自信をもとことは大事だし、
良いイメージを持つことは大切だが、
自分が描く固定されたイメージが強すぎると
それとは違う(本人には)不本意な結果に遭遇した時、
人はここまで狼狽して、
周りをシャットアウトとしてしまうものなのか・・・
たしかに思い当たることもある・・・
過去世で、大きなショックに遭遇した経験があり、
その時に、気持ちが激しく「聞きたくない」「見なくない」となった場合、
現世で、自ら選んで耳や目を閉ざす場合があります。
そういったことを相談行で観させていただいていたので
彼のそういった一連の心境と起きている現象が重なった。
「ストレス」
そうやって簡単には片づけられない何かが彼にはあると思った。
しかし、これからの人生、
うまくいくことばかりではない・・・
いや、うまくいかないことの方が多いかもしれない・・・
そういう意味で、彼には少しずつ「強い心」を育ててほしいと思った。
結果を受けるとき、大きく守備範囲を広げておくこと・・・
ひとつの結果だけで、あなたの人生のすべては決まらないこと・・・
あなたがどこに行っても幸せは待っていること・・・
そういうことをお話した。
北海道の北海道浦河町に「べてるの家」という社会福祉施設がある。
そこは精神障害(統合失調症等)をかかえた人たちが多く利用する施設だ。
そこは、当事者研究というプログラムで有名だ。
当事者研究(とうじしゃけんきゅう)は、
主に精神障害当事者やその家族を対象とした
アセスメントとリハビリテーションのプログラムのことだ。
はじまりは、器物破損などの「爆発」が止まらなかった
統合失調症の青年に、現場が疲弊し切っていたとき、
ソーシャルワーカーであり、
北海道医療大学教授の向谷地生良(むかいやち いくよし)さんが
その青年にむかって「研究してみないか?」と言ったことから始まった。
そのとき、うなだれていた本人が俄然やる気を出し
「研究ってワクワクする響きですね」と言って進んで研究に乗り出したらしい。
その後、共同で「爆発の研究」をまとめ、
その年のべてるまつりで発表したのがきっかけとされている。
べてるまつりとは、自分で自分を研究した結果を
みんなの前でユーモアと笑いの中、発表しあう会だ。
➡べてるまつり
自分で自分のことを、研究する・・・
専門家や薬に頼り切るのではなく
自分で自分のことを研究し、知ろうとする・・・
向谷地さんは、
「自己、システム、人間関係などに関して、
人がどのように思考し、意味づけ、認知しているかの深い認識こそが、
実践に対して信頼しうる理論的基礎を提供する」
という、H・ゴールドシュタイン氏の論文を参考にしている。
「天は自ら助くる者を助く」というが
当事者研究は、まさにその「自助」の考えが根底にある。
「つまり、引きこもる、食べ過ぎる、
自分を傷つけてしまう、大声を出すなどの行動も、
当事者の視点に立てば、何らかの理由によって
そういう「対処」をせざるを得ない状態と考えることができ、
当事者研究ではそうした様々な「自分の助け方(自助)」に焦点を当てて、
より良い自助ができるように、当事者が主体的に考え、
実践していくことが核となっている。 」
参考➡当事者研究
人は、調子が悪い人や病の人に出会うと
すぐに病院に行ったらとか、薬を飲んだか?というが
今の状況や原因を、本人がゆっくりと把握する前に
まわりから「あーだ、こーだ」と言われる「混乱という害」を
もう少し考えることも必要だ。
特に、私のように「先生」と言われる人種は
自制と自戒が必要だ。
そして、その当事者もいったん
模範解答や固定概念を脇に置いて
自分がしてきた生活や考え方、また今見ている主観的な世界を認めて、
それらを客観的に見つめる作業がいるのではないかと思う。
しかもその作業を、自ら、主体的にすることが大切だ。
塾の彼が、昨日自分で導いた、
「そう先生に言われた時、すべてが真っ暗になり
そのあとの先生の言葉か入ってこなくなった」とか
「自分が聞きたかったのは、そんな言葉じゃない!」とか
そう思ったことを思い出し、客観視できたのは
本当に発見だったに違いない。
また、それを言葉にし、外に出した時点で
少しだけ冷静に自分を客観視し始めたのではないかと思う。
それを当事者研究というかどうかはわからないが、
これからも、人生の混沌にはまりそうなときは
混沌している自分を観察し、客観視するなど、
是非この当事者研究をまねてやってほしい・・・
そう彼に伝えた。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
tag : 天は自ら助くる者を助く 当事者研究