平成の後ろ影①・・・大相撲
それが大相撲・・・

いわずと知れた、日本の国技であり、神事である。
思い起こせば、夕方小学校からかえってくると
店のTVからはいつも取り組みの呼び出しが聞こえていた。
父も母も相撲好きだった。
当時は、憎らしいほど強い北の湖や輪島、
初代貴乃花が土俵をにぎわせていた。
そのころの私は、父や母が相撲談義をしていても
ふ~ん・・・
という程度で特にファンでもなかった。
夕方6時近くに、結びの一番があり
「この相撲一番にて、本日の打ち止め~」と
独特のふし廻しが聞こえる。
そして、勝負のあとはよく座布団が舞った・・・
なぜ座布団を投げるのか?
そう、尋ねたのを今も覚えている。
名勝負になると母は決まって
「力が入る・・・」
そう漏らしていた。
私にはなぜ力が入るのかさっぱりわからなかったが、
思えばあの頃に日常の自然な風景に「大相撲」があった。
ただ、わたしは相撲よりソフトボールにのめり込んでいった。
しかし、年齢のせいかどうかはわからないが、
「相撲は美しい・・・」
そう思わせた力士がいた。
昭和人ならだれもが知っている「ウルフ」・・・千代の富士だ。
優勝記録を31に伸ばし
大鵬をいよいよ抜くか!というときに引退をした。
また、千代の富士の連勝記録が、
昭和63年九州場所で53で止まり、
双葉山の69連勝突破の夢は消えた。
翌朝の朝刊一面に
「千代の富士、連勝ストップ!!」の文字が踊ったのを
いまでも覚えている。
彼の引退を決めた大勝負をご存知だろうか...
最近まで何かとTVでお騒がせになっていた
二代目貴乃花との名勝負だ。
当時、貴乃花は「貴花田」
18歳9ヶ月...
新旧の劇的交代のシーンだった。
まさに、昭和から平成へのバトンパスだった。
この名勝負は、実は以前、
千代の富士が北の湖に引導を渡したときと同じだ。
視聴率も驚きだ。
千秋楽の大相撲中継視聴率は52.2%、
千代の富士の優勝が決まった瞬間の最高視聴率は65.3%に達し、
現在でも大相撲中継の最高記録となっているらしい。
そういえば、昭和から平成にかけて消えたものに
「お茶の間」という「間」がある。
家族が一家団欒を楽しみ、寛ぐ部屋のことだ。
録画もなかった時代、誰かが決めたチャンネルを
いい悪いに関わらず、家族全員が見ることになる。
だからお茶の間だ。
平成が進むと、個別のものが増えていった。
部屋、TV、車、電話・・・
すべてが個人に一台になろうとしていた。
そうやってお茶の間は消えた。
そして、もう一つ消えたものに
大相撲の美しさを挙げたい。
もちろん、単なる私の感覚なので
いまも大相撲ファンの方はお許しいただきたい。
いまの相撲の良し悪しを語るつもりは全くないが
わたしにとってあの頃の大相撲は外国人力士がいても
本当に美しいものだった。
千代の富士の土俵入りはいまでも惚れ惚れする。
還暦を迎えた土俵入りも
往時の隆盛をしのばせる。
昭和から平成の過渡期、
時代の流れと言えば仕方がないがいまから思えば、
何か大切なものが消えてしまった時代なのかもしれない。
さて、私事で恐縮ですが、
本日、AddCafe&学習支援塾Onenessは
11周年を迎えました。
ここまで来られましたのも
一重に皆様のお陰さまと心より御礼申し上げます。
これからもマイペースは変わりませんが
末長くお付き合いいただけますとありがたく存じます。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
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