努力は必要か?②
権威への服従なので、
心が勝手に敵意(憎しみ)を作り出す。
それはどう言うことか?
例をあげよう・・・
もう大分前の生徒さんだが、
親子げんかが勃発した。
その子にとっては
自分の存在意義が壊されるほどのけんかだった。
その流れで塾にきたその子は、
こう私にいった。
「いい成績取って、お母さんを見返してやる!」
私は穏やかにこういった・・・
「それはやめとき。動機がすべて。
その動機で仮に成績が上がっても
あなたは幸せにはなれないから」
もし、仮にその子が、
この憎しみが原動力で成績が上がって、
母親からの優越を勝ち得たとしても
その子の根っ子の自己肯定感は
母親への憎しみで支えられることになる。
その瞬間だけは、優越に浸れても、
それは、長続きしないし、仮に長続きしても、
その子は一生その憎しみから解放されることはない。
解放されないばかりか、
かえって自分の存在を保つために
憎しみが手放せなくなる。
憎しみがその子の自己肯定感を支えることになるからだ。
もうこれは、心か身体の病になるしかない。
やがて、その憎しみ、敵意は、
その子の人生の最大の障害となる。
劣等感も同じことだが、
この例から見るように、優越感の方がもっと厄介だ。
「優」はある種の打ち負かし感があるので、
その不健全さに 本人がなかなか気づかないからだ。
私がいつも、優越感も劣等感も同じ病だというのは、
そういうことだ。
一昨日の音読会の花結び・・・
今でしょ!の林先生の言葉が出てきた。
「努力は裏切らないって軽々しくいいますけど、
補足してあげる必要があるんです。
正しい場所で、正しい方向で、
十分な量なされた努力は裏切らない。
(林修:塾講師・作家)
わたしはここの一番最初に
「正しい動機で」を付け加えたい。
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