令和buzz121・・・魔女狩りの下地を作る「緊急事態条項」
火事場泥棒警報です!
みなさん気を付けてください。
憲法学者の石川健治さん「はっきりと仕分けしておかなければならないのは、今回の事態は、憲法に『緊急事態条項』を加えるかどうかという議論とは関係がない、ということです。この機に乗じて改憲機運を盛り上げようとする動きには、釘をさしておかなければなりません」https://t.co/AQmaeDzI4S
— 福地慶太郎(朝日新聞記者) (@kei_fukuchi) April 25, 2020
緊急事態条項の賛否二分 憲法改正「必要」61%
— 盛田隆二🍶Morita Ryuji (@product1954) April 29, 2020
●憲法29条が「公共の福祉」に適合する私権の制約を認めているので、改憲の必要はありません
●安倍政権が悲願としているのは、国会を停止し、閣議決定で法律と同じ効力を持つ政令を出し、公益名目で私権を制約する仕組みですhttps://t.co/XI9AuFdnKT
たまったビデオを見ようとTVをつけると、
ダークサイドミステリー「魔女狩り」という番組がやっていた・・・
思わず見入ってしまった・・・
それはまるで、
今のコロナでも起きそうな出来事だったからだ・・・
人は集団を作りたがる欲求があるらしい。
その集団が、今のコロナのような恐怖の状態になると
個人を攻撃するようになる・・・
個人より、集団のエゴを優先するのだ・・・
攻撃をしていること自体は
間違っているとわかっている周りの人間は
そう思いつつ、
自分が攻撃を受けたくないので
傍観者に回ったり、攻撃側に加わる・・・
そうやって、集団が個人の上に君臨する・・・
その悲惨な歴史が
魔女狩りであり
戦時中であり、
そして、いまも世界中で起きているらしい・・・
例えば、
単なる海外の旅行者が「誘拐犯」だといってSNSで拡散され
車ごと壊されリンチを受け命を落とす・・・など、
そういった悲惨な事件が今現代も起きているという・・・
そして、
いまは「自粛警察」という我こそは正義と信じる同調圧力で
110番通報があるという。
私たちが本当に恐れなければならないのは
自分自身の「恐れ」・・・
そして、そこから生まれる「分断」・・・
わたしではない、
わたしじゃない、
わたしはなりたくない、
あいつが悪い、
あいつのせいだ、
みんなで責めろ、
その強烈な自己特別感ほど危険なものはない・・・
ウイルスは、
窓を開ければ、
荷物が届けば、
本当に
本当に
お互い様なのだ・・・
マスメディアは、決して
インフルエンザと比較しない。
インフルエンザのほうが圧倒的に死者が多いからだ。
しかもこの記事を読んでもなおパンデミックと思われるか?
➡世界でたった3カ国の「ロックダウンも外出の自粛も店舗の閉鎖もしなかった国」スウェーデン、ベラルーシ、カンボジアの新型コロナウイルスに対しての「勝利」が明確に
恐怖のコロナ!を演出し、
それを改憲に利用する政府は
本当に危険なんです。
本当のパンデミックは、
国家権力の暴走です。
➡火事場泥棒②
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十年、をちこち・・・㊲
未曽有の大震災が起きます。
店を始めてからの10年間・・・
その中でわたしが大きく揺り動かされた出来事と言えば
この大震災しかありません。
あのとき皆さんも、居ても立ってもいられずに
「自分にできることを何かしなくては・・・」
と思われたのではないでしょうか・・・。
その揺れ動きから生まれたのが
手作り市「宙結び」「笑市」
「100年後も笑いましょに」の「書&アートパフォーマンス」
音読会「花結び」
などです。
思いつくものすべてをやってみました。
当時の私の動きがあまりにも早すぎてpiyoさんは、
「首がもげる」
といっていました(笑)
あれから7年です。
子供たちと接していても
記憶がある子とそうでない子が入り混じるようになりました。
人生で、それまでも多くの地震や災害を目の当たりにしてきましたが
原発事故と大津波が重なるあの大震災は、
わたしたちを生きる根元から変えていく、
そういう・・・本当に本当に大きなできごとでした。
突き詰めて端的に言えば、
「ほんとうに大切なものは何ですか?」
そういうことだったと思います。
バブル崩壊後の小泉政権あたりからじわじわと
「自己責任」という真綿で首を絞められていた大人や子供たち・・・
いまでも一向に責任を取ろうとしない政治家や
社会的地位の高い会社経営者が作り上げる「社会」・・・
そういった旧態依然の閉塞的な未来に・・・
子供たちも大人たちもほんとうに窮屈な思いをしていました。
自己責任は人と人とのつながりを「分断」していったからです。
あの大震災で「絆」という言葉が
クローズアップされた理由には、
そういう背景があったと思います。
「自己責任」
「分断」
それしか生きる道がないと思い込んでいた世の中の流れが
「そうではない」
降り戻された瞬間でした。