令和buzz4・・・中村哲さんの遺言
アフガニスタンで銃撃にあい亡くなられた。
※1946年福岡市生まれ。九州大学医学部卒。NGO「ペシャワール会」現地代表、PMS(ペシャワール会医療サービス)総院長。専門は神経内科(現地では内科・外科もこなす)。国内の診療所勤務を経て、1984年パキスタン北西辺境州の州都のペシャワールに赴任。ハンセン病を中心としたアフガン難民の診療に携わったのをきっかけに、井戸・水路工事による水源確保事業など現地での支援活動を続ける。
現地では、カカ・ムラド(ナカムラのおじさん)と呼ばれていた。
私はこの方のことをある雑誌で知った。
おそらく15.6年前のことかと思う。
こんなすごい人がいるんだなと感動した。
彼は、雑誌『SIGHT』(07年1月)のインタビューで、
「9条がリアルで大きな力だったという現実。
これはもっと知られるべきなんじゃないか」
そう話している・・・
➡マガジン9 この人に聞きたい
このサイトのインタビューでも・・・
「そうなんですよ。ほんとうにそうなんです。僕は憲法9条なんて、特に意識したことはなかった。でもね、向こうに行って、9条がバックボーンとして僕らの活動を支えていてくれる、これが我々を守ってきてくれたんだな、という実感がありますよ。体で感じた想いですよ。
武器など絶対に使用しないで、平和を具現化する。それが具体的な形として存在しているのが日本という国の平和憲法、9条ですよ。それを、現地の人たちも分かってくれているんです。だから、政府側も反政府側も、タリバンだって我々には手を出さない。むしろ、守ってくれているんです。9条があるから、海外ではこれまで絶対に銃を撃たなかった日本。それが、ほんとうの日本の強味なんですよ。」
いじわるな見方をする人たちは、
それでも彼は殺されちゃったじゃないか・・・
憲法第9条なんて意味がない・・・
そういうだろう・・・
でもポイントはそこだろうか・・・
自民党が変えたがっている9条のようにすれば
こういった悲劇はなくなるだろうか・・・
私は違うと思う。
彼がこう話した時期までに
自衛隊の立ち位置は
どうなっていったのか整理してみる・・・
・1947年(昭和22年) 日本国憲法制定
・1950年 警察予備隊が発足
・1954年 参議院で「自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議」
自衛隊発足 海外派兵禁止決議
・1955年 自衛隊の海外派兵が議論➡米反対で断念
・1970年代後半以降、ベトナム戦争等で日米安保が強化
・1979年 ソ連がアフガニスタンに侵攻
➡日米防衛協力の指針(いわゆるガイドライン)制定
環太平洋合同演習(リムパック)参加
1979年12月14日 衆議院外務委員会、佐々淳行防衛庁参事官は、
リムパックの参加について、個別的自衛権の範囲であるという答弁
➡合憲
・1980年 「海外派兵とは、武力行使の目的を持って武装した部隊を他国の領土、領海、領空に派遣することで、これは自衛のための必要最小限度を超えるもので許されない。武力行使の目的を持たずに部隊を海外に派遣することは憲法上許されないわけではない」(「衆議院議員稲葉誠一君提出自衛隊の海外派兵・日米安保条約等の問題に関する質問に対する答弁書」
➡武力行使の目的でなければ、自衛隊海外派遣が可能との見解
・1987年 イランイラク戦争、米は、イランに対抗するために、
クウェート船籍のタンカーの護衛や、機雷の除去に乗り出す
➡中曽根首相は、戦時下でなければ掃海艇が機雷の除去を行うことは
憲法上可能であるとの答弁。
・1991年 自衛隊の掃海艇がペルシャ湾に派遣
(このころから自衛隊の活動が拡大していく)
・1991年 湾岸戦争
➡日本輸送船を「平戸丸」と命名して、(武器弾薬は積めず)
多国籍軍への協力任務果たす(アメリカからは非難)
・1992年6月 PKO協力法 国際緊急援助隊法
・1997年 日米ガイドラインが改正
・1999年 周辺事態法
(日本周辺有事の際、日本が米軍の後方支援を行う)
・2001年 9月11日の同時多発テロ ➡テロ対策特別措置法
・2003年 イラク特措法が成立し、自衛隊の海外における活動がまたも拡大
・2009年 ソマリア沖の海賊に対処するため、海賊対処法が成立
・2014年 安倍政権は、集団的自衛権の行使についての憲法解釈を変更
・2015年 平和安全法制(いわゆる安保法制)成立
・2019年 6月 ホルムズ海峡タンカー攻撃事件
➡12月 中東地域に自衛隊派遣、閣議決定
中村さんが、
「9条がリアルで大きな力だったという現実。
これはもっと知られるべきなんじゃないか」
と発言したのは2007年・・・
中東での自衛隊の活動がどんどん拡大していた時期だ。
つまり、時の政府が
憲法の9条が都合のいい解釈を重ねている時で
中東での日本へのイメージが変わり始めていた時と想像できる。
だからこそ、こういった発言になった。
憲法解釈を捻じ曲げて、
自衛隊の活動を拡大させたために
現地で日本のイメージが変わっていった・・・
つまり、12月の銃撃の意味は、もっと深い。
そんな中・・・
12月27日、政府は信じられないことをした。
中東派遣を閣議決定したその日に、
なんと故中村さんに感謝状と旭日小綬章を贈り、表彰したのだ・・・
➡故中村哲医師に感謝状
➡海自の中東派遣を閣議決定 護衛艦部隊、2月の活動開始目指す
彼の発言や功績を心から理解していたら、
無神経にも 中東派遣決定の日に、
彼の長年の労と功績をねぎらう表彰などできないはずだ・・・
いったいどんな神経をしているのだ・・・
私は思った。
現政府は、中村さんを政治的利用しようとしている・・・
「9条を大切に思っている人でさえ殺されるんだ・・・
だから9条には意味がない・・・
だからこそわれわれは(自民党)は9条を変えて
現地で貢献する日本人のいのちを守るため
(武器を持って)自衛隊を派遣し続けるんだ・・・
それが国際貢献だ!」・・・と。
今日の歯衣なし宣言・・・

安倍首相&これからの政府に、この遺言を送ろう・・・
『戦争協力が国際的貢献』とは
言語道断である
中村哲
theme : いのちあるものが いのちあるように
genre : 政治・経済