「もっと不自由に」

「もっと自由に」・・・らしい。
13歳以上が対象だそうだ。
これを見てどこが「自由」なのか?
まじめに突っ込みたくなる。
すでに、ゲーム漬けになっている子供は、
知らず知らずのうちに毎日を奴隷のように支配されて、
支配されていることさえ自覚なしに支配されている・・・
私など、ふっとこんな風なロゴに変えて遊んでしまう。

メタバースも
ムーショット計画も
気持ち悪くて仕方がない。
自分の頭で考えない=支配される
以前の「悪魔を出し抜け!」の
悪魔のアドバイスを忘れてはいけない・・・
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theme : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
genre : 心と身体
tag : メタバース
これからますますリアルが大切!
人で始まり、人で終わるのが人生
最近、日本語が通じないことが多い。
特に飲食店の接客や
ディーラーの若い店員への電話、
アパートの管理会社に不備を説明しても、
その通りになったためしがない。
私の伝え方が悪いのだろうか・・・
以前、「どうしたいですか族」の話をした。
運ばれた料理の品数が足りなかったので
店員を呼んで伝えると
「どうしたいですか?」
(いやー💧)
こちらが困惑してしまう返事が帰ってくる。
自分では何も考えず
変な主導権をこちらに丸投げしてくる学生アルバイト・・・
私は最近こういう人を「どうしたいですか族」と呼んでいる。
先日も、
アパートの管理会社にお願いしたことが
全く違う形になって返ってきた。
受付のお姉さんと
担当のお姉さんの伝言ゲームがうまくいっていないのだ・・・
いったい今の日本の若者はどうなっているのだろうかと、
心配になってしまう。
要は、ツボを得ることが苦手な、
いや、できない若者が増えたのだ。
相手の話の核心をつかむ力が弱くなったのだ。
相手は何を言いたいのか・・・
その核心をつかめないのだ。
この場合、話の核心とは、
相手の話の中で何をしてほしいのかの中心をつかむ技術だ。
おそらくその原因は、いまのSNSに仕組みにあるような気がする。
彼らは自分が見たいもの聞きたいものしか接しない。
SNSのAIの仕組みがあまりに便利で
その人の興味あるものが永遠に流れて来るだけなので
ネットという広い世界と思いきや
実は常に狭い世界しか触れることがないようにできている。
彼らが興味あるものと
興味ないものとの境目は
毎日毎日固く高い壁となって構築される。
おそらくその弊害が出ているのではないだろうか・・・
幸田露伴は、この核心を会得する方法を3つ挙げている。
① 学んで得る
② 観察して得る
③ 行って得る
③は、いまそこで働いているのだから、
行動しているので、
時間をかけることに尽きるが、
問題は、③に行くまでの
①②が圧倒的に不足している感じがする・・・
幸田露伴の時代は、もちろんSNSなどないので
興味があろうがなかろうが世の中では様々なことが展開する・・・
①の学ぶは、学校の勉強のことではない。
日常の立ち居振舞い、言葉遣い、
トラブルになったとき、
どんな言葉を選ぶのか、
どんな言葉でそれを回避するのか、
言い訳が先にたつか
自分の非を認める度量があるかどうか・・・
②は事象や人に関心がなければさっぱりである。
関心とは、
自分と違う何かにたいして、
新しい発見にたいして、
新鮮な心が生まれることである。
つまり、ああ、そうか!
心が動くかどうかである。
最近はマスクもしているので
こういった洞察力を身に付けられなくなって
ますますひどくなっているのか・・・と思うと
少々憂鬱になってくる・・・
幼少期から、中学高校期にどんな力が必要かと問われれば
「気付く力」
私はこれに尽きると思う・・・
媚びるために気付く力ではなく
能動的に世界を変えようと気づく力だ。
忙しくても足元に落ちているおしぼりの袋に気づく力・・・
相手の話を一通り聞いた後、
言葉の奥に隠れている本当の要望を察する力・・・
この場に足を運んできたお客さんが
何を解決しようとしてお見えになったのかの核心をずらさない力・・・
そういった力が身につくのは
確かに「経験」という時間もいるが、
それだけでなく
本当にそれに気づきたいと思う本人の向上心かと思う。
結局、どんなにIT技術が進もうが、
どんなにメタバースの世界が浸透しようが、
DSがその世界に私たちを強制的に閉じ込めない限り、
人はその中だけで生きるわけではない。
メタバースの世界だって、
あちらには人がいるってことを忘れてはいけない。
人とは、例えば、
意図的に私たちの脳を誘導、破壊しようとしている側や
純粋にそれを楽しんでいるユーザーなどだ。
「気付く力」
要は、この力こそが道を拓くということだと思う。
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