令和誕生④・・・令和ええじゃないか
各地ではお祭り騒ぎだったようです。
➡「令和元年」到来、祝福ムード カウントダウン歓声
➡郡上八幡 令和徹夜踊り
まるで、幕末に起きた「ええじゃないか」みたいです。
日本の今の閉塞感をだれもがきっと感じているからでしょう。
令和が、それを打ち破る時代になってほしい・・・
そういう庶民の願いが爆発していると思います。
わたしは見えない世界を当たり前に生活しています。
寺社を囲む自然に神を見ますし、
そこに流れる厳かな空気も大好きです。
天皇の仕事に敬意を表しますし、
元号が改められて、いい時代が来ることを心から願います。
そして、こういったええじゃないか的なお祭り騒ぎは
個人的に大好きです。
ただ・・・
ただ、それらすべてを関連付けてあがめることはしません。
なぜか・・・
それをつなげると、
政治的・教育的・経済的に利用される隙が生まれるからです。
歴史的に見て、その隙の例は、枚挙にいとまありません。
近くは、国家神道・・・
明治に国家神道がうまれ、第二次世界大戦終了まで
国民は一つの道に導かれた歴史があります。
国家神道が生まれる前は
自然神、神仏習合、ごちゃまぜの神様、八百万の神・・・
沖浦さんは言います。
➡「日本人」はどこから来たのか
私たちの言う「日本人」とは、
いくつかの異なる系譜をもった民族集団が、
複雑にからみあい混じりあっており、
決して「日本人」というひとつの系譜にはまとめられない。
同様に、日本文化といわれるものも、
渡来してきた民族集団がそれぞれ持ち込んだものが混じり合い、
あるいは日本の風土に合わせて変化してきたものなのです。
日本という概念も
日本人という概念も
日本文化という概念も
ひとつにまとめ上げれるものではない・・・
私もそう思います。
➡古代日本のアイデンティティ
なぜ、私がこのことを強調したいかというと、
ことさらに「日本人」の優秀さを強調したり、
「日本人」としてどうあるべきかという精神論、教育論を
国民に押しつけようとする風潮が根強くあるからです。
これだけ情報にあふれた社会でありながら、
「日本人」がどうやって形づくられてきたかは驚くほど知られていません。
私たちはまず、私たち一人ひとりのルーツは
多様であるという事実を知る必要があります。
沖浦さんのこのレポートを
私は何度ものっけますが、
それは、これを理解しないと、
例えば、神社に憲法改正の署名用紙や旗がたなびくことに
違和感が生まれないからです。
いつの時代も、巨大で、力ある団体、
イデオロギーに認定された「神」が利用され
その国や民を一定の方向へとかりたててきた歴史があります。
それは日本だけではありません。
どんな宗教・国でもありうることなのです。
もう何度も歴史が証明してきています。
日本政治は、政教分離という原則があります。
しかし、いまや「日本会議」をはじめ関連諸団体によって
その原則は反故になっています。
➡日本会議
その事実を冷静に見ながら
私は令和をお祝いしたいですし
いい時代になるよう一人の庶民として祈りたいと思います。
ちなみに令和のカウントダウンは、
昭和の名残が残るあるスナックで迎えました(笑)
庶民が笑い、歌いあう昭和が飛び交う
本当に懐かしいお店でした。
あたらしい時代が幸せになるようにと願う庶民の思いが
政治や教育や経済に利用されるのはもう勘弁してほしい昭和人です。
➡古賀茂明「安倍総理に言いたい。『天皇陛下の政治利用は止めてくれ!』」
➡田原総一朗×古賀茂明「安倍首相は天皇陛下で人気取り」政治利用に苦言
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体